HOMICIDAL HEXES ~魔法都市犯罪ファイル

橋本ちかげ

第1話 ~INTRODUCTIN

ロムリア州立国、アル・ディメオラ、西海岸最大の都市の一つ。


幹線道路九五号線かんせんどうろきゅうじゅうごごうせんは北に続いている。

十字に交差した道路の西側の最果てがアル・ディメオラだ。海を挟んで四車線の鉄橋の向こうはまるでおとぎ話のような、決して眠ることのない無数の光の輪で満ち満ちている。

建国以来の歴史を持つこの街の現在の姿は、不毛の地に光を灯したある男の伝説で彩られている。

その男は人に言える職業の持ち主ではなかった。全国規模のシンジケートを持つマフィアの一員だった。しかしそこに流れてきた当時、男はすべてを喪っていた。そこにいたのは東の大都市を無一文で放り出されてきた死に体の敗北者に過ぎなかった、と言う。

彼がこの街に流れてきた頃、ディメオラは廃坑で人口の流出した寂れた田舎町で、目立つ建物と言えば駅馬車を待つクロスロードの上に小さなモーテルが一軒建っているだけ、と言う体たらくだった。

一時は落剥らくはくしたとは言え、蛆虫のような貪欲さと獰猛どうもうさを併せ持っていたその男は、二年で街を買い取るだけの資金を掻き集め、あとの三年でディメオラを一大観光地に仕立て上げた。十年も経つころには、彼はこの国でも最大の影響力を持つギャングの一人になっていたと言われる。

しかし次の五年間で彼は、あっと言う間に築き上げてきたすべてを失った。あらゆる物事が裏目に出て、最後は自分が可愛がっていた部下にあっさりと暗殺されてしまったのだ。まったくあっけない成り行きで、虫のように命を失ったその男は、はじめから存在していなかったのだ、と言うように遺体を細切れにされて、街の至るところにばら撒かれたと言う。

その男の遺体の痕跡は今に至るまでひとつも見つかっていない。

いくつかのストリートの名前や、広場の名前を除けば、現在のディメオラにその男の痕跡を留めるものはまったくなくなってしまった。十年の男の快進撃を裏づけるものは今も歴史家の諸説紛々の的になっているが、もっともユニークな説は、彼がクロスロードの悪魔に十年の繁栄と引き換えに、その身を売り払ったのだと言うものだ。

契約の証に男は自分の家族五人を殺してクロスロードのどこかに埋め、悪魔の指示に従ったのだと言う。契約が満了すると、悪魔はその男の五体を引き裂いて持ち去り、この地にその男の痕跡すら残さなかった。

この街のすべてを創りあげた男の遺骨が今でも発見された試しがないのは、実はそのせいなのだ。

もちろんこれを信じるか、信じないか、それは個人の自由だ。


さて今まで、なんの話をしていたのだろう?


薄墨うすずみに水を差したように雲が晴れて、凍った空に灼けた三日月が赤く光っている。この不毛の土地では乾いた西風はひとつかみの砂を巻き上げて、ぼろきれのようにくすんだ色の枯れ草をそよがせる役にしか立ちはしないのだ。

暗い海の彼方のディメオラを眺める小高い丘の上、潅木かんぼくを縫って二筋ふたすじの自然道が幹線道路の真上を走る。かつての炭鉱時代の名残か、その道は交差して大きな広場を作ると、北へ向かう一本道は赤茶けた山肌の彼方、塞がれて久しい廃坑へと続いていく。

その男の首はディメオラのネオンが顔の左側に当たるほどに微妙な角度で、暗い闇の彼方を見つめるように埋められていた。土から突然生え出したその首の持ち主はまだ生きている。生と死の境界線。まさに光と闇の分岐点をまたぐようにして、男はその二つの世界の狭間に埋め込まれていた。

クロスロードから外れる形で、一台の赤いアコードが停車していた。地面の男は首をひねればその車内の様子をフロントガラスから覗くことが出来た。言うまでもなく彼はその車に乗ってここまで来たが、もちろん一人で、ではない。もっとも居心地が良くないので有名なトランクに載せられてここに来たのだ。

アコードのエンジンが掛かり、ヘッドライトが汗と泥で汚れた男の顔を照らし出す。助手席のシートが跳ね上がると、山高帽に喪服のようなスーツを着た、痩せた男の影が浮かび上がってくる。

エンジンをかけ、煙草に火を点けているのだ。薄闇の中、その男のシルエットは、紫色の煙の中にたゆたっていた。

突然ハイビームになったヘッドライトに照らされて、男はまぶしそうに目を細めた。一気に闇を吹き飛ばされ、男は動揺を隠せずに動かない首をうろうろさせる。おかしなものだ。闇に怯えていたのに、今は光に恐怖しているのだ。

強烈な刺激と絶望にえづきそうになりながら、首の男はどうにか気丈を保つと、こちらに歩み寄ってくる死神の男と目を合わせた。

「楽しんでるか、坊主」

男は陰気なしゃがれ声で、地面の首に向かって話しかけた。

「今のが最期の風景になるぞ、よーく見ておけ」

やけに湿っぽく、地鳴りに似たがらがら声はともすると聞こえにくくなる。沼地に住む蛙は、たぶんこうして誰にも聞こえない言葉を、藪の中でぼやき続けるのだろうと言う風な救いようのない陰気さを感じさせる声だった。

「ちょっと待て」

首の男は言った。

「最期に教えてくれよ。それぐらい、いいだろ…なっ、なんでおれだったんだ? おれになんの恨みがある? なぜおれを狙った?」

「話したら、お前は納得して死ねなくなる」

山高帽はまたか、と言う感じで同じ答えを繰り返した。

「もともと聞いてお前の得になることじゃないと言ったろ。それに…こいつも何度も言ったと思うが、おれはお前を狙ったわけじゃないんだ。分かってくれと言わん、だから祈る時間くらいはやると言った。その時間使ってどうするかは、あんたの勝手だが」

「じゃあ、話を聞いてくれ。つまりこれは偶然なんだろ?」

遮るように、地面の男は聞き込んだ。

「交渉させてくれ。あんたのボスは誰だ? いくらで請け負った? なんなら倍額払ったっていい。おれは…」

そこで山高帽の男は露骨に鼻を鳴らした。

「ファミリーは関係ない。大体あんたやくざだったのか? それにそう言う時代でもないだろ、もう。そうじゃないか、坊主」

「それなら慈悲があったっていいだろ? だって」

「お前も恋人がいるだろ?…どうしても言うこと聞かせたいとき、なんて説得する?」

ヘッドライトの逆光のせいと山高帽に隠れて、男の表情はまったくうかがえない。彼は手馴れた手つきで後部座席からテナーサックスを入れるようなケースを取り出すと、中身を組み立て始めた。

「金じゃないのさ。ただ、今日はそう言う日だってだけさ。おれは女になったことないが、どうしてもだめだって日は月に一度は必ず来るだろ? 話はそう言うことだ」

「おれを殺したら、ただじゃ済まないぞ」

せめて強がってみようと思ったのか、首の男は態度を変える。だが山高帽は肩をすくめて、くく、と嘲笑っただけだった。

「こんな仕事はもちろん、ただじゃない。代価を払ってる。それにこれはこう言う決まりなんだ。言っても分からないと思うが、あんたがどうこう出来る問題じゃない」

「たまたまおれを選んだなら、やめとけ。後で絶対、後悔するぞ」

「後悔してる。次はもっと早く死にたがるやつを選ぶよ」

まるで死神のようだ。あらゆるはったりが、この男には通用しないようだ。

「だが予定を変更するのも、それだけ骨でね。契約がある」

「だから、その契約ごとおれが買い取るって話をさっきからしてるんだよ。五百くらいなら、今からでも…」

山高帽の男は、その瞬間、乾いた笑い声を放った。

「今のディメオラを作った男の話を知ってるか、坊主。そいつはたった十五年で国で一番の金持ちになったって話だ。すべて掻き集めたら、この街ごと買いなおせる。そんな巨額の資産だ。でもやつは、自分の命は買い戻せなかった。なぜだか分かるか?」

どう答えれば殺されないか考えたあと、地面の男は首を振った。

「悪魔相手の取引だったからさ。いくら積んでも、奴等にとっちゃ紙くず同然なんだよ」

山高帽の男はケースの中身を組み立て終わったらしい。それは、ほとんど骨董品の旧式の鳥打銃のようだった。飴色あめいろに古びた木製のストックは幅広になっており、そこにいぶし銀で赤い目をしたからすの彫刻があしらってあった。

「安心しろ、一発さ。ベッドの上で十年苦しむやつもいるんだ」

「どうしても助けてくれないのか?」

すると山高帽の男は、弾丸を装てんした銃口を下ろした。

「だめだ」

「なぜおれを殺す?」

懇願こんがんはほとんど絶叫になった。

「人生に疑問はつき物だ。でももう、そうやって首を傾げることもなくなるんだから、せめて最期の時を楽しめばよかったのに」

なおも絶叫しようと男が首を乗り出すのを山高帽が制止した。

「静かにしろ。今夜死ねるあんたは幸運だぞ。たまに聞こえるんだ。美しい歌がな。こんな街でも、救いはあるらしい」

「歌だと?」

首の男は沈黙したが、風の音以外は何も聞こえはしなかった。山高帽の男は聞こえもしない風に乗って運ばれてくる歌を味わっているようだった。左手でリズムをとって言った。

「お前には聞こえないのか? まさに神の慈悲だ」

「イカレ野郎!」

憎悪をこめて、男は吐き捨てた。

「お前の頭、クソでも詰まってやがるのか?」

「残念だ、せめて安らかに送ってやろうと思ったのに」

山高帽は銃を構えながら、一歩ずつ後退した。撃ちおろしの立射だ。闇の中、ヘッドライトだけが照らす小さな目標に、二十五メートル。骨董品もののライフルではそれが限界のぎりぎりの位置に射程距離を取る。

「やめろ」

十字を切り、男は神経を集中した。首の男の目が見開かれる。

「やめてくれぇっ!」

「おやすみ」

山高帽は引き金を絞った。


ビルの谷間から、風に紛れて歌が流れてくる。

高い音程は、少女のものだろう。

けたたましい悲鳴と銃声が途絶えた今、それは確かに聞こえる気がする。

山高帽の男はエンジンを停めて、思う存分、それに聞き入った。

いい歌だ。

その男にとって、何より残念なのは、まだそれを、生きている人間に話したことがなかったことだ。

いいものはみんなが愛するべきだというのが、彼の隠れたこだわりだった。だが残念なことに、男には長い夜を話をして過ごす相手も、長らく絶えていない。

目を閉じると、ビルの屋上で後れ毛をそよがせて歌う少女の姿を、男は容易に想像することが出来る。

仕方がない。

男は今夜もそれを、一人で愛することにした。

それから、作業をした。トランクからスコップを取り出し、破裂したかぼちゃのようになった遺体に土をかけ、時間をかけてそこをならした。

やっと済んだ。

これさえ終われば、もう物憂い仕事は今日はない。男はしばし、シートの上で目を閉じて浸っていた。

古巣にこだましていた歌は、今も止まずに男の中に響いている。

「…家に帰ろう」

静かに、男はつぶやいた。

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