第730話 条件闘争

心の中ではニコロ司祭の命令を全力で拒否したが、そのまま口から出せば首が飛ぶ。

実際には出す言葉は、せいぜい穏当な表現に変えて再考を促す。


「司祭様、仰られるように私は一介の工房主であり、代官に過ぎません。教会全体の方針に関わる大事業の行く末を左右する任務につくなど、畏れ多いこと。まして、お預かりした領地の運営も端緒についたばかりでございます。まだまだ労力が必要な時期に手を放すのは、育て始めた赤子を道ばたに放り出すようなもの。今一度、再考をお願い致します」


だいたい「教会の派閥争いのバランスが取れた人事」と言えば聞こえは良いが、要は「何を決定するにも反対派がいる」という状態の組織になる。

まして、そこに統治の貴族様が加わるのだから、各地にできる予定の出版組織とやらは、始めから揉めることが約束されている組織、としか言いようがない。

そんな火種にうかうかと関わっては、庶民の自分は火傷では済まないのである。

ここは逃げの一手に限る。


ニコロ司祭は底光りする目でこちらを睨みつつ「そうか、嫌か」と呟いた。「無理か」ではなく「嫌か」というあたり、こちらの意志が正確に伝わっているようでありがたい。問題は、伝わったからといって理解されたり意志を変えさせたりはできない、ということだが。


「報告書を見たが」


ニコロ司祭は、そう言うと攻め口を変えてきた。


「なかなか興味深い方式を試みているようだ。他の領地でも参考になろう」


「恐れ入ります」


「教会には多くの領地がある。どの土地も有能な代官を欲している、と聞く。とくに近年、多くの貴族が土地開発に熱を上げているのでな」


「そのように聞いております」


「中には土地開発に失敗する貴族や、思うように利益を上げられぬ貴族もいる、と聞く。そうした者共はさぞ有能な代官の助けを必要としておろう。資金を貸し付けるのは教会であるが、浄財が焦げ付くのは困りものだ。かといって貴族の土地を収容するわけにはいかぬ。欲に駆られた者共ではあるが、一族の命運がかかっていることもあるのでな。中には心得違いの者が逆恨みに思うかもしれん」


言いたいことは伝わった。要するに、断ったら代官として売り飛ばすぞ、というのだ。

遠隔地の領地に派遣されてしまっては、靴工房の経営ができなくなる。現状の経営管理体制では、数日で往復ができる今の距離が限界だ。

そうして靴工房と切り離した上で代官としてのキャリアを積ませ、ゆくゆくは聖職者になれ、という脅しである。


身体や生命を人質にでなく、キャリアを人質にとる。

なかなか、辣腕な組織人らしいスマートな脅迫だ。


これは、こちらが一手遅れたな。

遠隔地からでも経営管理できる体制を築いていれば、対抗のしようもあったのだが。

貴族身分の端っこに加わるというのは、この手の理不尽が降りかかってくることでもある。


仕方ない。断れないのなら、せいぜい条件をつり上げるとしよう。


「報告書をごらんになられたのであれば、領地開発では様々な新規の取り組みを行っていることと、ご理解いただけると思います。領地に投資される資金の増額を求めます」


「よかろう」


あっさりとニコロ司祭は肯いた。まあ自分の財産が増えるのだから、首を振る必要はないか。


「領地には他の領地から働きにきた流民が多くおりました。彼らの身体の買い上げをお願いします」


「それも報告にあったな。問題なかろう」


「買い上げた後は、彼らを自由民に」


「それはいかんな。自由にしてしまっては、民は恩を忘れるものだ。また他の村民に示しがつかん」


「では、彼らが現実的に身分を買い取り可能なまで金額を引き下げて下さい。特に女子供については大きく引き下げ、数年の労働で可能な程度へ」


「よかろう」


これで、領民の問題については一定の見通しがついた。いや、もう一つ問題が残っていたか。


「領民の中で希望する者は靴工房で労働させたいのですが。村の生誕名簿に名前を残したままで」


「ふむ」


それまで即答してきたニコロ司祭が、はじめて少し考え込んだ。


城壁で囲まれた都市の面積が限られており、また城壁外には怪物が跋扈する世界では都市に住む戸籍を持つことは特権である。

俺やサラが先日、ようやく市民権を獲得することができたように、余所者が都市に住む権利を正式に得ることは非常に難しい。

冒険者達は勝手に住み着いているが、それは3等街区の流民扱いであり、出身地の生誕名簿から離脱する行為なのである。


そこに「正式な形で都市での労働許可証を発効して欲しい」と依頼したのだから、法律についても造旨の深いニコロ司祭としては、何かの前例があるか、その類い希な記憶力を総動員しているのだろう。


「・・・前例がなくはない。助祭、あるいは従士として取り立てられたが、適正が不足したために帰村する、という事例を適用すれば良かろう」


従士!聖職者!あの汚なくて飢えた子供たちが!


ニコロ司祭の捻り出した理屈の珍妙さに、厳しい交渉のさ中であるが口元が微妙に緩むのを感じた。

これは諧謔だろうか。彼なりの歪んだユーモア感覚、というものだろうか。


「印刷業については、印刷機の改良のため工房で試作が必要です。職人は手元に置いておきたいのです」


「よかろう」


これでゴルゴゴが召し上げられることはなくなった。


「出版部の初期の印刷物は神書となりましょう。その際、各領地の教会には冒険者への依頼書も配布いただきたいのです」


「教会の利益は何か」


「領地の自衛力があがります。また、村人が教会を頼るようになります。それが例え貴族の土地であっても」


「貴族は面白くなかろうな」


「貴族とは土地の者達を守るものでございます」


冒険者に依頼されてメンツがつぶれるのが嫌ならば、代官に丸投げせず自分が守ればいいのだ。


「・・・ふむ。まあ良かろう」


ニコロ司祭が肯いたことで、肩の力が抜けた。

まあ、これだけ要望を通せたのだから、多少の苦労は引き受けるのも仕方ない。

組織だけ立ち上げて、さっさと解放してもらうのがいいだろう。


決意して引き受ける旨の返事をするべく視線をあげると、ニコロ司祭の奇妙な光をたたえた視線とぶつかった。


「それで、そなたの望みはないのか?」


いや、条件はできるだけ積み上げたつもりなんですが。

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