第728話 巨人と小人

ふと、窓から流れ込む冷たい風で目が覚めた。


「朝か・・・」


昨夜は考え事をしているうちに寝てしまったようだ。

あまり記憶はないが、ベッドに移動して寝ていた。サラは早くに起きたのか、すでに傍らに姿はない。


大きく伸びをする。


書類の山が近くに積まれていても、安全な部屋、清潔なベッドで足を伸ばして寝るのはいいものだ。

剣牙の兵団の護衛つきとはいえ、魔狼の吠え声が聞こえる野宿はどうしても落ち着かない。


冒険者時代ならそれでも眠れていたのだが、今は野宿をすると地面の感触が気になるし起きたときに腰が痛い。

軟弱になった、と言えばそれまでだが。そのうち、冒険者向けにハンモックベッドでも作るべきだろうか。


愚にもつかないことを寝起きの頭で考えていると、朝早く出勤した職人の奥さん達が準備をしているのか、麦を煮込む良い香りが窓から入ってくる。

自分抜きでも、靴工房が支障なく回り出している証左だ。


冷たくさわやかな風とよく晴れた青い空。今日は気持ちのよい一日になるだろう。


◇ ◇ ◇ ◇


「それで、午後は司祭様に会いに行くんでしょう?準備はできてるの?」


良い気分は、朝食時のサラの一言で消し飛んでしまった。

心配してくれているのは分かる。が、面倒ごとからは、もう少し現実逃避していたかった。


「まあ、何とかなるさ」


そうとしか言いようがない。


「それにしても、もうちょっと良い服を揃えないとダメね。失礼のないように」


「今回は間に合わないな。服は以前に揃えたのがあったろう。あれでいいんじゃないか」


「ダメよ!だってケンジはもう代官様なんだから!」


「代官様」というサラの言葉に、食卓を囲む職人の何人か、が強く肯いている。


今は冒険者時代よりはマシな格好をしている、と自分では思うのだが。

よく洗濯された麻と薄い毛皮を組み合わせた服は、動きやすく丈夫なので個人的に気に入っている。


「この靴を履いているんだから、大丈夫じゃないか?」


示した足元の先は、当然のように工房で作られた冒険者の靴である。

これは製品検査の一貫として、ランダムで工房の製品から抜き出した靴を履くことにしているものである。


足元を見る、という言葉があるように富貴は靴に現れる。

実際、接客業では客が金持ちかどうかは靴と鞄で見る、と聞いたことがある。

そして、この街で剣牙の兵団の焼印ロゴが入った守護の靴は、一流に近い冒険者だけが履ける靴の証である。

であるから、靴が一流のものである以上、上着は普段着でもいいのではないか。


「でもダメ。服も大事」


完璧な論理武装に支えられたささやかな抵抗は、サラと職人達の視線によるダメだしにあった。


自分からすると代官なんてものは、教会や貴族が徴税業務を丸投げする下っ端の役職でしかない、という認識なのだが。

サラを含む農村出身者からすると、代官というのは日常生活の延長で接することのある貴族そのもの、という差があるからかもしれない。


貴族なんだから、良い格好をしろ、という一般の圧力は想像以上に強い。これが身分制社会というものか。


「まあ、次回だな。次までには揃える」


一応、貴族の古着を販売する店で揃えた一張羅なのだが、今度の機会に、サラのやつも揃えてやるか。

今から本人が驚く顔が楽しみだ。


朝食後に護衛のキリクと合流する。大柄な護衛は、今朝は珍しく少し遅れてやってきた。


「いや、いろいろありましたんで」と言い訳するキリクは、酒臭い上に、妙にツヤツヤしてやがる。


サラは眉をしかめているが都会育ちのキリクには田舎暮らしの苦労も大きかっただろうし、いろいろとハメを外す必要もあったのだろう。

領地ではキリクの大立ち回りで襲撃を切り抜けられたわけだから、もう少し小遣いも弾んでやるべきだったか。


このあたりはキリクが剣牙の兵団からの出向組という立場もあるので、統制がなかなか難しい。

個人的に金銭を渡すと引き抜き行為と見られるからだ。


俺はサラとキリク、それにクラウディオを供に指定された教会にて、ニコロ司祭との会談に臨むことになった。


◇ ◇ ◇ ◇


案内された二等街区の教会は、以前にニコロ司祭から派遣された3人の弟子の研修をした場所である。

教会でも将来を嘱望される優秀な若者達だったが、教会の外の常識と現実に疎くて随分と苦労させられた思い出がある。


以前と異なり教会の周囲には多くの護衛もいたが、聖職者のクラウディオが交渉と手続きを担当することであっさり入ることができた。

有能な聖職者が同行していると、教会関係の手続きが驚くほどスムーズに進む。

ジルボアが兵団みうちに聖職者を迎え入れるのも頷ける。


「・・・なかなか来ないわね」


「呼び出しておいて、なあ」


その教会に出向いて、かなり経つ。さすがにサラやキリクも小声で不平を漏らしている。

連絡役として教会にいるミケリーノが、ニコロ司祭は前の面会が長引いて遅れている、と恐縮しつつ現在の教会の状況について教えてくれる。


「枢機卿のご人徳はいやます一方でありまして、その高弟であるニコロ司祭様にも大貴族や教会有力者、大商人からの面談がひきもきらない有様なのです」


教会組織での人徳とは、要するに席次ポストと利権である。席次ポストは金で買える。利権とは金である。すなわち全ては資金力である。

枢機卿の元に金が流れ込んでいる、と察した連中が集まっている、ということである。

ニコロ司祭が辣腕を振るった結果だろう。


この教会で指導した3人も今ではそれなりに出世している、という事実が派閥の成長具合を示している。

成長する派閥はポストを提供できる。ポストを目当てに派閥に参加する者が増える。ますます派閥は大きくなる。

枢機卿の派閥を実質的に切り盛りする立場に昇ったニコロ司祭の権勢は、部外者の自分が想像する以上のものとなっているに違いない。


その絶大な権勢を誇る司祭様と、元冒険者で一介の工房主が対峙して交渉しなければならないわけだ。

これは不公平というものではないか?

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