第727話 目の前の課題から目を逸らすための課題整理

ガタン、と締め切っていた窓の鎧戸を苦労して開けると、埃が舞った。


「けほっ。あー、こっちは掃除してないのね」


埃を吸ったらしいサラが咳きこんで不平を鳴らす。


「事務所には絶対に入るな、と言ってあったからな」


各種の構想を纏めたメモや靴のサイズに関する統計情報、制作の手順、顧客の名簿、今後の工房運営に関する覚え書き、各種の新規設備に関する設計図など、外部に流出しては困る情報が事務所には山ほどある。

不在時に起きた外部からの襲撃も事務所の情報を狙っていた節もある。


本当なら情報を全て領地の方に持って行きたかったのだが、何しろこの世界では情報が物理的にかさばる。

羊皮紙は分厚いし、いくつかのメモは板に直接書かれている。

何より領地には少人数で赴任することにしたため、警備としては却って手薄になる可能性もあった。

そういうわけで、事務所に厳重に鍵をすることで情報の秘匿をする方法を選択したわけだが。


「このあたりの情報管理も、何か方法を考えないとな」


靴事業は大きくなり、関わる人数も大きくなった。

それに合わせて管理すべき情報も爆発的に増えつつある。

そのために情報保管だけでも、現在の事務所では許容量を超えつつある。


具体的には、事務所兼生活場所である部屋なので、俺とサラの暮らす空間が狭くなる。

茶をこぼせば書類にかかるし、ベッドの脇に羊皮紙が積んであると落ち着けない。


子沢山の農家育ちのサラは狭い場所でも気にしないかもしれないが、空間だけは広々としていた代官屋敷を経験すると、いかにも手狭に感じられる。


「はいはい!まずは掃除するわよ、どいてどいて!」


サラが事務所のドアを開けると、開けはなった窓との間に風の通り道ができたのだろうか。

冷たい風が吹き込み、長期間留守にしていた部屋に特有の淀みと埃臭さを洗い流していく。


きびきびと動くサラが埃を掃いたり窓際に手際よくハーブの鉢を並べていくのを眺めていると、事務所が家として機能を取り戻していくのが感じられる。


今のサラを見て、元農民で根無し草の冒険者だと評する人はいないだろう。

どこから見ても、街育ちで工房を取り仕切る立派な市民だ。

安宿で小銭とエールを強請られていたあの日が、遠い昔に感じられる。


視線を感じたのか、サラがこちらを見て口を開いた。


「ケンジ、あとで白パン買いに行くわよ」


「お、おう」


食い気だけは、相変わらずのようだ。

それに窓際に並べたハーブの鉢の数。少しばかり多くないか。


◇ ◇ ◇ ◇


サラが事務所を復旧させる間に俺が何をしているかと言えば、相も変わらず今後の方針について悩んでいたりする。

工房が自分のいない間に色々と良い方向に変化していたのは嬉しいことだが、それはそれで考えることが増えるのだ。


「ちょっと整理してみるか」


事務所には黒板があるのが有り難い。ホワイトボードとペン、とはいかなくとも白墨と黒板の組み合わせは思考を整理するのに役立つ。


複雑なものごとに悩んだら、まずは全てリストにする。

その後で並び替えていくわけだ。


並び替えの論理には様々な手法があるが、とりあえず「重要度」と「緊急性」の二軸で分類することにする。

そうすると以下のように4つの優先順位がつけられることになる。


1.「重要で今すぐやるべき用件」

2.「重要だがじっくり考える用件」

3.「重要でないが今すぐやるべき用件」

4.「重要でないし後でやればいい用件」


この手法の利点は、2の「重要だがじっくり考えるべき用件」を忙しさにかまけて放置することを防ぐことができる点にある。


遠隔地の領地管理や成長してきた靴工房の将来像、先ほど知ったマルティンの駆け出し冒険者育成など、事業の性格も成長度合いも全く異なる事業群を、最終的に冒険者の支援につながるよう、どのように統一的に考えていくか。

悩んでいる今の自分には適切な分類方法かもしれない。


やることが多い、と頭が混乱している場合は、とりあえず何かの方法で整理して外の人から悩みが見えるようにするのが良い。

本人は吐き出してスッキリ出来るし、他の人からアドバイスを求めることができる。


そして「重要かつ今すぐ対応しなければならない用件」と言えば。


「まずは、ニコロ司祭の対応だろうなあ」


ニコロ司祭宛と託された「分厚く、重く、まるで箱のような異様な存在感」の報告書をどうしたものか。

領地開発では、多少はやらかしたような記憶はある。

なにしろ、パペリーノの奴が俺が何かするたびに目を剥いて懸命に羊皮紙に書きつけていたものだから、自覚せざるを得ない。


あの報告書を読んだニコロ司祭が、いい笑顔でどんな無理難題を押しつけてくるか、想像するだけで今から胃が痛む。


鈍感系主人公になりたい。

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