第720話 楽をするための仕組みのために苦労する
「今の話には幾つか、納得しかねる点があるな」
落ち着きかけた議論に口を挟んだのは、ジルボアだった。
さきほどまでは、しきりに頷いていたはずだったが。
「指揮権というのは、非常に重要なものだ。特に戦場においては生死を直接的に左右する。それを簡単に手放せるものか?いや、そこの若い聖職者が手放せるかどうかではない。この仕組を他の領地に転用した場合、複雑な問題が起きるだろうな」
「というと?」
「例えば、もし自分であれば、貴族領地の占有(のっとり)に使うだろう。怪物の暴走の脅威が迫っている。自分に指揮権を寄越せ、と。そうして怪物の暴走に見せかけて、貴族領地の主だったものを指揮権に基づいて消してしまう。そうすれば、領地の占有(のっとり)は完了する。どこからも文句はでない」
奇妙なほどに現実的で、具体的な指摘だった。
さすがに政治で揉まれている英雄というべきか。想定が甘くない。
そうした悪辣な手法を瞬時に思いつくあたり、ジルボアもなかなか誤解されやすい性格をしている。
現に、ジルボアと付き合いの長いキリクがニヤついた笑顔を浮かべているのと比較して、パペリーノの笑顔は完全に強張っている。
「つまり指揮権の交代条件について議論するなら、指揮権を戻す条件もセットで議論する必要がある。そういう意味だと捉えてもいいか」
「そうだな。そういう言い方もできるか。もう1つ、教会と兵団の命令が異なった場合、その若い聖職者はどちらに従うべきなのだ?
例えば、怪物の暴走(スタンピード)の兆候が見られたとする。そこで指揮権の移譲を考える。ところが教会から領地の資産を死守せよと命令が下っている。一方で軍事的には屋敷に領民と共に籠城して援軍を待つのが正解だとする。その際、聖職者は指揮権を移譲できるのか?」
「指揮の原則は現場の判断を優先する。異常事態であれば、兵団に任せる。その方針に従うものだと思うが」
「もう少し厳しい局面もあり得る。例えば、怪物の暴走で一部の領民を見捨てなければならない状態になったとする。軍事的には見捨てるのが正しいが、領民や教会から後で批難を受けるのは確実だ。その状態で代行者は指揮権を全うできるものなのか?」
なるほど。ジルボアの指摘したいことが、鈍い自分にも段々と理解できてきた。
「つまりは、周囲の合意がない、そういうことか」
元の世界で企業研修などで連呼される「リーダーシップ」とは異なり、この世界の指揮権は、文字通り命を預かる権限である。
領地を預かる教会や貴族と、軍事を預かる冒険者や傭兵団には利権を巡る緊張関係もある。
そうした危ういバランスの中で成立している指揮権を、簡単に移譲することができるのか。
ジルボアの指摘は、そうして点を突いている。
「自分にならできる、そう言っても意味はないだろうな」
「わかっているじゃないか。お前は特別に奇妙な人間だよ、ケンジ」
誰にでもできる仕組みを考えていたはずが、自分にならできる、という意味で属人的な仕組みを考案してしまっていたようだ。
聖職者のように大組織に所属している人間を動かそうと思うのであれば、その上役に許可を取らねばならない。
なぜなら、この領地で行われる施策は、そのまま前例として他の領地でも行われる可能性がある。
そこにリスクがあるのならば、その必要性についてきっちりと説明をした上で、運用を詰めていく必要があることを納得させなければならない。
「また仕事が増えるな・・・」
うんざりとしつつ、一つ逃げ道を思いついた。
「そうだ!こうした突発事項における領地の指揮権の交代については、前例があるんじゃないか?例えば戦争中に当主が亡くなるとか、普通に起きることだろう」
だが、苦し紛れの思いつきは、法律をしっかりと修めている若手聖職者に即座に否定される。
「確かに、貴族法の中には後見人制度として、類似の事態に対する想定がありますね。ですが教会法の中には、類似の記述はありません。もともと、代理人制度そのものが、聖職者が直接統治できない場合の指揮権の移譲と似た性質を持つものなので・・・」
うなずける話である。代理人が務まらないのであれば、そもそも辞退して別の代理人に任せよ、ということだ。
任されたからには、能力の限りを尽くして職務を全うせよ、ということか。
「結局、それって根性論と何が違うのかね・・・」
なぜ自分が何か楽をしようと仕組みを考えると、ことごとく世間の壁が立ちふさがるのか。
結局は、そこを乗り越えていくしかないのだが。
「つまりは、ケンジはそうして生きるしかないのだろうさ」
ジルボアの論評には、返す言葉も無い。
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