第四十章 街に戻って経営管理の仕組みを作ります

第721話 凡人と英雄の歩み

吹きつける風が冷たくなりはじめた街道を、人と馬車の列が進んでいく。


馬車の数は6両ほどだろうか。どの馬車も幌をかけているので隠れてはいるが、中にはうず高く荷を積んでいるであろうことは遅々とした馬車の歩みと車輪の軋む音が物語っている。太った鵞鳥が歩いているようなものだ。足の遅い馬車は格好の獲物になる。


この世界は過酷である。大陸は無知の暗黒に包まれており、人類の世界はごく狭く、一部の地域と河川に留まっている。


怪物の脅威に晒される人々は、富と身分のある者達は高く巡らされた城壁の内側に引き籠もって権力闘争に精力を傾け、その他の貧しい者達は木を削りだし縄で組み合わせただけの粗末な柵の内側で怯え、身を寄せ合って暮らすことを強いられている。


この時代、旅は危険に満ちている。城壁に囲まれた街と街を結ぶ街道はひどくか弱いわだちに過ぎず、各所で怪物の跋扈する人のものならざる世界を通らなければならない。

なかには時ならぬ土砂崩れや季節外れの長雨で街道が途絶えていることもある。補給地点としてあてにしていた、つい先日まで存在した村が流行病や怪物に襲われて跡形もなく消え去っていることもある。


危険は怪物や自然だけではない。


一部の農民は貧窮に耐えかねて山賊となる。領主や衛兵に見つかれば死刑だが、どのみち飢えて死ぬよりは、と村の男達が旅人を襲い金品を奪うこともある。

人間にとって最大の危険は人間である、というのは悲しい真実の一つである。


「まあ、この車列コンボイを襲おう、なんて連中はいないだろうけどな」


この車列を囲むよう歩みを揃えて護衛しているのは、最強の呼び声高い剣牙の兵団に所属する精鋭30名である。

前線の盾となる剣盾兵、中軸で駆け引きと継続的な打撃力の中心となる斧槍兵、最大の打撃力を誇る弩兵の組み合わせが織りなす戦闘力は竜でさえ容易く屠る、と噂されている。

山賊程度が近づける存在ではないし、人喰鬼オーガの集団さえ鎧袖一触に蹴散らすだろう。


「こういうものには見栄えも大事さ。何しろ代官様のご帰還だからな」


先頭の馬車で御者席に座るケンジに話しかけるのは、剣牙の兵団の団長ジルボアその人である。


10年ほど前、ふらりと街に一介の冒険者として現れたジルボアはその腕とカリスマでもってたちまちの内に一流冒険者に上り詰め、立ち上げたクランは怪物の討伐と戦の小競り合いで立て続けに多くの手柄を立てて、今では剣牙の兵団と言えば最強の精鋭と同じ意味を持つに至っている。


だというのに、荒くれ者の頂点に立つはずのジルボアその人は金髪の長髪に涼しげな蒼い目をした柔弱ともとれる貴族的な容貌みためなのであり、その上で魔剣を使わせれば腕自慢の集まった兵団でも彼に敵うものはなく、頭も天才的に切れて獣のように勘も鋭い。


天は英雄に二物も三物も与えるのか。あるいは、英雄とはこういう男のことだろうか、などと凡人に過ぎない我が身と比較してケンジはため息をつきたくなったりもするのである。


ざくざく、と周囲を歩む兵団の精鋭達の足音が揃って聞こえるのは偶然ではない、とジルボアは言う。


「行軍の練習も兼ねているのさ。お前の工房ところの靴を使うようになってから遠隔地の依頼も増えているし、新人も増えた。お前を迎えにきたのは、まあ訓練の一環、ということだな」


「たしかに、増えたな。今は何人ぐらいになったんだ」


初めて会った頃、剣牙の兵団は精鋭揃いではあったが20名強程度の、よくある一流クランの一つでしかなかった。

ジルボアが一から立ち上げ、全てを差配する集団としては、それが限界に達していた、と言っても良い。

副団長のスイベリーが運営に悩み、ケンジに相談コンサルを依頼したのが今に続く縁の始まりであった。


「そうだな。遠征主体の第一戦闘集団が30名、近郊掃討主体の第二戦闘集団が30名、輸送集団が10名、経理、鍛冶2、祐筆2、助祭で6名。あとは街娘の手伝いが10名ほどか」


「多いな・・・」


「おかげで楽をさせてもらっている」


「祐筆、というと手紙の専門家も雇ったのか」


「やはりそこに目を付けたか、流石だな」


ジルボアが言うには、剣牙の兵団の評判を聞きつけた遠隔地の貴族からも依頼が増えているという。

貴族の手紙は独特の規範ルールがあり、字体フォントからして平民が用いる文字と異なる。

現代社会では文書ソフトをインストールするところを、ここでは専門技能を持つ人員を雇うことになる。


説明された兵団の新組織図では、もう一点気になることがあった。


「教会からも人員を受け入れたのか」


自分で何もかもやろうとしていた頃のジルボアを知っている身としては、意外ではある。


「お前の護衛にやったキリクからの報告では、教会の人員もなかなか使える、と言っていたからな。実際、受け入れてからは調整がずいぶん楽になったよ。今では教会からの依頼も多いしな。それに教会が後援バックについていると貴族からの依頼代金が踏み倒されずに済む」


ジルボアは、言い放つと朗らかに笑った。


これが、つい先頃まで団員からの求心力に悩んでいた一介の傭兵団長が言うことだろうか。


虎に翼を与える、という言葉があるが、まさしく黄金の豹が鷲の翼を得たような、あるいはこの世界風に鷲獅子グリフォンの如く、とでも表現するべきか。

今のジルボアからは、運命を膝下につき従わせる英雄だけが放つ輝きが感じられる。


英雄は笑いを納めると、こちらに冗談の矛先を向けた。


「教会の重要人物からの依頼としては、代官様を迎えに行かないわけにはいかないだろう?実際、襲撃もされたしな」


そもそも自分達が城壁に囲まれた靴工房じっかから離されて僻地の領地開発に追いやられていたのは利権を巡る闘争から遠ざかるためであった。

ほとぼりが冷めるまで田舎でノンビリと過ごすはずだったが、気がつけばいろいろとやらかしていたらしく、村を襲撃してきた傭兵団に危ない目に遭わされるやらで急遽呼び戻される羽目になった、というわけである。


「あれは・・・まあ不可抗力だ」


「パペリーノとか言ったか?教会から派遣されていた補佐はケンジおまえのことを聖人でも仰ぎ見るかのような態度だったぞ?」


「よしてくれよ・・・聖人様は傭兵団に馬車で護送されたり報告書を託されたりしないだろう?」


「分厚いな。怪物が殴り殺せそうだ」


パペリーノからニコロ司祭宛に「旅の間は手元から離さず直に手渡しするように。ただし絶対に開封してはいけない」と託された報告書は、ジルボアが苦笑しつつ評したように分厚い羊皮紙何十枚も重ね、厚い革表紙で綴じられた上に何重にも革紐が巻き付けられ、止めに教会印で封蝋してある、報告書というより報告箱とでも言いたくなるような代物となり果てていた。


たしかに、鈍器として振り回せばゴブリンぐらいは殴り殺せそうである。


「何が書いてあるんだろうな。気にならないか?案外、お前を聖人に列しようという熱烈な推薦文かもしれないぞ?」


「冗談はよしてくれ。聖職者ぼうずに興味はないよ。それに封蝋は正式な教会印だ。下手な魔術がかかっていたら命に関わる」


笑顔でそそのかすジルボアの冗談は際どいところを突いてくる。が、ケンジとしては素直に頷くわけにはいかない。


この世界には魔術がある。使用に高価な触媒が必要な高度な魔術は魔術師ギルドと教会の独占技術である。

ケンジも一度、敵対者が雇用した魔術師に精神を操られて暗殺されかけた。

一介の冒険者でしかなかった身としては、魔術おそろしいものには近づかないに限る。


1人の凡人と1人の英雄が会話をする間にも、馬車の列は進んでいく。


ケンジが起業した靴工房と、剣牙の兵団の本部がある城壁に囲まれた街へ。

そこは2人のホームであると共に、陰謀と権力闘争が渦巻く人間の世界でもある。


待ち受けるトラブルの予感に、ケンジは深く、深くため息を吐き出した。

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