第708話 奇妙な平穏

「結局、夜のうちには来ませんでしたね」


換気と監視のため、一箇所だけ鎧戸が開けられた窓からの朝日に目を細めて、パペリーノが眠たげに目を擦った。


「まあな。連中が援軍を呼んでくるにしても、すぐに人員を揃えるってわけにはいかないだろう。傭兵や私兵の連中なんてのは、暇な時分は酒場で酔っ払っているか、娼婦のところに居座ってるもんだ。そいつらを呼び集めて、武装を仕立てるだけで一仕事だ。夜間行軍をするだけの練度があるとも思えんし、いくら依頼主が騒ぎ立てても素早くは動けんものさ」


隠密部隊はともかく、大人数の襲撃部隊を敵が直属の兵だけで揃えるというのは考えにくい。

何しろ兵隊というのは抱えているだけで金がかかる。

単純な戦闘だけを考えるならば、その都度、人を雇うのが手っ取り早い。



まして今回のような汚れ仕事であれば、後腐れのないよう金銭で動く傭兵や冒険者崩れを使い捨てにするのが理の当然というものだ。


「でしょうな。兵団(うち)は団長の方針で即応組と留守組にわけてますが、それが出来るのは兵団(うち)ぐらいのものでしょう」


剣牙の兵団は、ジルボア率いる外征部隊とスイベリー率いる留守部隊とで組織され、今では別種の依頼を請けて動いている。その装備は充実し、訓練は厳しく、人員の士気は高い。

だが、それは剣牙の兵団が本当の一流クランだからだ。普通の傭兵は、そうではない。


「来るのは、いつ頃になるでしょうか」とのパペリーノの問いに考える。


「そうだなあ・・・こちらが応援を要請することは敵も想定しているだろうから、今日中には片をつけたいだろう。早朝に出発して、昼過ぎ、あるいは夕方になるか」


敵方の指揮官になって考えると、もし襲撃をするならば今日中に片をつけてしまいたいはずだ。

時間をおけばおくほど、こちらの防備が固くなり手が出せなくなる。


「逆に考えれば、明日の朝まで襲撃がなければ敵は諦めたということさ。そうしたら、小麦袋(こいつら)を倉庫に戻して、鶏を小屋に戻す仕事が待っている」


「それは勘弁して欲しいですね。鶏達は、私の言うことを聞きませんから」


鶏たちは餌をくれるサラのことを憶えてなついているが、その他の人間のことは卵泥棒として激しく突っついてくるのだ。


「はいはい。それより朝食よ!」


サラが渡してくれたのは、一杯のハーブ茶と木皿に盛られた数枚のよく焼けたビスケットだ。

先程からいい匂いがしていたのは、これか。


一口かじると、さくりとした歯応えとナッツの香りが鼻に広がる。


「うまいな。冒険者時代に食べていた非常食とは段違いだ」


「そりゃそうよ!だって小麦粉も植物油もいいものを使ってるし、卵もナッツだって入ってるんだから!」


砂糖とバターが入っていない以外は、元の世界で作っていたものより余程に上等な材料を使っている。

籠城用の保存食として調理したものだろうが、菓子としてもいける。

皿の別のビスケットには、ナッツの代わりにドライフルーツが載せられているものもある。


「水樽も運んでもらってあるから、大丈夫よ」


部屋の隅には飲料水として水樽も運び込まれている。中にはハーブの葉を入れて腐敗防止と香りづけをしてある。

この水を暖炉の火で沸かすと薄味だが香りづけされたハーブ茶になる。


「あんまり飯が美味いと、戦いという感じがしませんな」とキリクが太い指でビスケットをつまみながら笑う。


まったくだ。戦いがあるかもしれないというのに、この場所には奇妙な静けさと平穏がある。


「あたしたちはいいけど、村の人達は怖がってないかしら」


「まあな。だが教会に全員で集まるように言ってあるし、リーダーたちに話もした。身を守るために金属製の農具も渡してある。そもそも、教会は怪物の襲撃に備えために分厚い石壁で出来ていて、この屋敷と同じぐらい防備も固めやすい。戦える人数も100人以上いる。狙われるだけの財産も置いていない。ここよりも、よほど安全さ」


連中の狙いは、印刷業であり、印刷機と設計図と技術者のゴルゴゴだ。

その全ては、この屋敷にある。

応援が来るまでに片をつけなければならないという条件であれば、真っ先にここを狙うしかない。


もちろん、敵が全くの無法者で、進軍しながら目についた建物に放火したり、畑の麦を刈り取ることに血眼になるような本当の山賊紛いの連中であれば、そもそもの策が機能しない可能性もある。

だが、その場合でも彼我の戦力差が大きければ籠城して援軍を待つしかない。


だから、結果的にとるべき方策は変わらない。


今は、とにかく待つ。それしかない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る