第707話 籠城は引越しに似ている

籠城は引っ越しに似ている。


必要なリストに基づき、屋敷の外にあって必要なもの、屋敷の中にあって邪魔なものなどを適宜移動させていく作業の連続だ。

引っ越し作業との大きな違いは一点。作業に抜け漏れがあると死ぬ。


今は、その籠城チェックリストの確認中だ。


「まず窓の鎧戸は全て釘で固定する。状況は?」


「それなら、もうやってあるわい」とゴルゴゴ。


「倉庫の食料と印刷機については」


「それなら村民に手伝ってもらって3Fに運び込んであります」とパペリーノ。


農民の力を借りるのは情報封鎖の観点で不安はある。

だが、逆に印刷機と食料が代官屋敷にあることを明らかにして、敵の標的を絞らせるために農民の力を借りたほうが良い、との判断だ。


「あと、鶏は1Fの空き部屋に入れておいたわよ。外に置いておいたら食べられちゃうかもしれないし」とサラ。


赤毛の娘は戦火の土壇場においても卵のことは忘れない。さすがだ。


「武器については」


「大したもんはありませんが、弩が一張ありますね。これは代官様か自分が使うのがいいでしょう」


弩は剣牙の兵団が使用しているものであり、命中すれば鎧ごと人を貫くだけの威力がある。

キリクは侵入してくる敵に対処してもらうことになるから、おそらくは自分が使うことになるだろう。

サラには自分の弓を使ってもらう。


他の報告も合わせて考れば、籠城準備作業はおおよそ順調に進んでいると見ていいだろう。

進行状況に頷いていると、パペリーノが手をあげた。


「それで・・・村民達が不安を覚えているので代官様の方から話をしていただけないかと」


「当然だな。後で話をしにいく。他になにか心配事や意見のある者は?キリク?」


「金属製の農具はどうしますか。あれも武器にはなりますが」


「全部、教会に持っていって自衛用に農民達に配ってやれ。ここに置いておいても役に立たない。教会で配ろう」


「了解です。しかし、こいつは何というか、便利なものですな」


キリクが執務室の黒板を見ながら、呆れたように声をあげる。


「これが?いや、普通じゃないか?」


キリクが指したのはチェックリストである。

ToDoと担当者があり、その実施状況がチェックされているだけの単純なリストだ。

たしかにチェック項目に「武器準備」「一階封鎖」などと物騒なものはあるが、それでもただのリストだ。


「そうはおっしゃいますがね、代官様。こう、籠城とか戦術とか言うのは熟練の指揮官とか将軍様の技術で、お偉い人の頭の中だけにあるものなんです。だから将軍様は戦場では部下達に神様のように崇められるわけでして。自分達のできないこと、知らないことを知っているからカリスマになって、命のかかった戦場で兵士たちを従えられるんです」


その理屈はわかる。ジルボアなどを見ていても、彼には圧倒的なカリスマがある。自分にはできないこと、知らないことを軽々と成し遂げてしまうような、命をかけてついて行きたくなるような何かがある。


「自分も団長に籠城の心得みたいな昔のお偉いさんが書いた本を見せられましたがね、正直なところ何が書いてあるのかサッパリでした。

ですが、こうしてみると普通の仕事の集まりなことがわかっちまうじゃないですか。これなら俺にだってできるんじゃないか?さっきから、そう思えて仕方がないんですわ」


名を残す将軍職ともなれば、貴族階級であることは確実だろう。

国の顕職たる彼らにとって、あらゆる機会を捉えて自分の政治的立場を強化することは必須の義務ですらある。

その著書であれば、自分の記述を神秘化するために飾り立てている部分が多いことは想像に難くない。


手紙のマナーの点でもそうだったが、貴族達の文章は過剰な修飾が多く理解しにくいものだから、キリクが理解を投げ捨てるのも頷ける。


「キリクなら、立派に務まるだろうさ。俺は戦場のカリスマって柄じゃないしな」


だから、キリクの指摘には、そう肩を竦めるしかないのだ。


◇ ◇ ◇ ◇


「・・・来ませんね」


「寝たほうがいいぞ、パペリーノ」


正面玄関と階段を封鎖してしまったので、今夜は代官屋敷の3Fで雑魚寝である。

部屋は広いのだが、別の部屋に入り切らなかった小麦やレンズ豆の麻袋、それに5人が一緒にいれば狭っ苦しい感じは否めない。


パペリーノは戦場の空気に落ち着かないのか、鎧戸の隙間から外をしきりに覗いている。

もっとも、かすかな月明かりに照らされる農道には、人っ子一人歩いていないわけだが。


「すみません。どうにも落ち着かなくて。あの・・・今夜は本当に襲撃はないんでしょうか?」


「わからない・・・が、可能性は低いだろうな」


潜入技術に長けた連中は、先日の襲撃で大打撃を受けたはずだ。

これだけ防備を固めた場所に潜入し、さらに戦える人間が複数残っているとは考えられない。

敵の大きさを見誤ってはいけないが、怖れすぎてもいけない。

影に怯えて自滅することになる。


「代官様は、その・・・怖くはないんですか」


パペリーノが少し恥じ入ったように小さな声で語尾を震わせる。

若い聖職者からすれば、なぜこんな目にという思いもあるだろう。

教会の権威に正面から逆らう輩がいるなど、想像したこともなかったに違いない。


「怖いさ。だからこうやって屋敷に閉じこもって隠れている。なに、明日一杯隠れていれば、援軍が来るさ。子供の頃に、言いつけられた用事をサボるのに隠れたことがあっただろう?それと同じようなものさ」


ぷっ、とパペリーノが吹き出した。


「私は優等生でしたから、用事をサボったりはしませんでしたよ。ですが、そうですね。一度ぐらいはサボってみたかったのです。今は用事をサボっている。そう思うことにします」


鎧戸の細い月明かりの下で微笑んだ若い聖職者は小麦粉の詰まった袋の上で寝転ぶと、程なく穏やかな寝息をたてはじめた。

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