第699話 最悪の想定の対策

敵の手下が既に領地に潜入している。


想定(シナリオ)の深刻さに、全員が声をなくした。


手を叩いて注意を向け、先を続けるよう促すと、キリクが話を続けた。


「ま、まあ、もう少し続けましょうや。他には」


「すでに印刷機は持ち去られ、ゴルゴゴは誘拐され、設計図は盗まれている」


印刷業の最重要人物(キーパーソン)は技術者のゴルゴゴである。

ゴルゴゴが誘拐されると印刷機の改良ができなくなるし、現在の印刷機が盗まれると技術が流出する。


個人的には印刷技術は流出しても構わないと思っているのだが、技術を盗む連中は教会よりも悪質な態度で技術の独占を企む可能性が高い。


それはクラウディオからの報告書でも明らかだ。


「靴工房に押し入った連中は設計図を盗んだ上で火をかけようとしていたらしいからな。最悪のシナリオの通りなら、ゴルゴゴ以外の全員が死体になって屋敷は火事になってるな」


とりあえず最悪の想定(シナリオ)ではない、と告げるとゴルゴゴが面白くなさそうに応えた。


「それはないの。印刷機はあの通りの図体であるから運び出すのは無理じゃろう。おまけに、わしは雁首さらしてここにおる。設計図は昔の奴はあるが、今はだいぶ弄ってあるからの。あてにはならんじゃろう」


そこはきちんと書類にしておいてくれ、と言いたいところだったが、今は機密を守るほうが大事だ。


「要するに、本当に本当の最悪ではない、ということだ」


やり取りをまとめると、少し落ち着いたのかパペリーノやサラからも意見が出るようになった。


「すると、次の最悪・・・なんか言い方を考えたほうがいいとは思いますが、何らかの手の者が村に入り込んでいる、という前提で手をうてばいいことになりますね」


「そうだな」


「でもケンジ、前みたいな魔術使いが相手だったらどうするの?あたし怖いよ」


自らの肩を抱くようにしてサラは声を震わせた。


「そうだな」


以前、大貴族と揉めたときに熟練の魔術使いを送られたことがある。

あの時は人混みの中で知らないうちに魔術をかけられて思考を誘導された。

サラが声をかけてくれなければ、そのまま自らの足で誘拐されに行くところだった。


「だが、相手の出方がわかれば対処はある。まずは1人にならないこと。特にゴルゴゴだな」


「ふうむ。まあ手伝いはおった方が楽ではあるの」


ゴルゴゴも以前の魔術師騒ぎのときの緊迫感を覚えていたからか、ひねくれた言い方であったが了承してくれた。


「それから屋敷に人を入れないこと。これはまあ、認識を阻害する魔術とやらがあれば無効化される可能性はあるが・・・戸締まりをしっかりとするしかないな」


あの時の魔術は、あくまで精神的なところに働きかけるものだった。物理的に鎧戸を締めて鍵をかけておけば無音で開けることは難しいだろう。


「それは少しわしの方で細工しておこう。ドアや窓を開けると少々うるさい音をたてるようにな。普通は反対のことをするもんじゃが」


鶯の廊下みたいなものか、と納得する。床は石造りだから難しいとしても、ドアの蝶番などに細工をして開閉音を大きくすれば侵入者の察知に役立つ。


「印刷機については、倉庫においておけば問題ないだろうな。そもそも運び出すには大きすぎる」


今の印刷機はゴルゴゴが弄り倒して何やらおかしな部品がいくつもついた得体の知れない装置になっている。

あれを壊さないように盗んで運び出すのは至難の技だろう。


「誘拐もあれですな。誘拐してもどうやって外部へ運び出す、という問題はありますな」


ちょっとこの地図を見てもらえますか、とキリクが少年たちを動員して作成した領地の地図で説明をはじめた。


運び出すのが難しいのは人も同じだ、とキリクは言う。


領地は街とは違う。誘拐した人物をそのまま馬車に載せて人混みに紛れる、などという真似はできない。

なにしろ馬車が走れるだけの平らな道は1本だけしかなく、それは領地の境から代官屋敷へと続いている。

丘の上にある代官屋敷からは昼間であればかなり遠くまで見渡すことができるので、道を馬車で逃走などすれば追跡は容易であり、そうした手段を強行手段以外で取ることは考えにくいという。


「それに強行手段もむずかしいでしょうな。この屋敷は前の代官の性格もあって、かなり頑丈に備えがしてあります。自分もおりますし、10人や20人ならなんとでもなりますな」


強行手段が難しいとなると、やはり隠密の内に潜入して誘拐するという手段をとることになるか。

自分が貴族の手先になったつもりで想像する。そうした場合、どんな隠蔽手段をとるか。


「誘拐するなら外部の取引先、例えば街間商人などがいるときを狙うということか」


「ですな。次回の取引のあたりが危ないかもしれませんな」


「対応策は?」


「複数人で持ち出しの際の荷物検査をしっかりとやれば、ある程度は防止できるでしょう。誘拐されたとわかれば、商人の足止めを好きなだけできますしな」


馬車以外の手段を考えてみたが、今のところ思い浮かばない。人というのは案外重い。長時間運ぼうと思えば、それなりの道具がいる


「あとは、河ですな。船で運び出されると厄介だ。追う手段がない」


地図を示してキリクが指摘する。


河か。たしかに河は今のところ何の手段も講じていない。

深夜に船で上陸され、そのまま誘拐されて運び出されたら、どうしようもない。


「上下流の領地に、船を盗まれたら教えてくれるように注意喚起しておくしかないな」


通信手段の乏しいこの世界で、どこまで有効だろうか。それでも何もしないよりはいい。


「その種の賊がでる、と噂を流して賞金をかけてもいいかもしれませんね。賞金目当ての農民達が河に目を凝らしてくれれば、やりにくくなることでしょう」


パペリーノが、アイディアを修正してくれる。教会を通じて連絡してもらえば、たしかに有効な手段になるだろう。


「うちも領内で川釣りをする連中に声をかけておくか。頼めるか?キリク」


「ですな。怪しげな船を見かけたら知らせる。豆、塩でもやれば、喜んでやるでしょう」


「危ない真似をして怪我をさせるなよ。あくまで、知らせるだけだ」


「わかってますよ」


キリクに念を押しておく。領内の労働力は貴重なのだ。つまらん内紛に巻き込んで怪我をさせたくない。


これらの対策を一通りうてば、最低限の守りはできるだろう。


だが、守りはそれでいいとしても、こちらから攻めの手段も欲しい。

やられてばかり、というのは性に合わない。


「なにか考えがあるの?」


何かを察して、サラが聞いてくる。


「ああ。1つ気になってることがあるんだ」

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