第698話 最悪の想定
「貴族に情報が漏れている、と仮定して。どこから情報が漏れるんだ?教会はそのあたり厳しいだろうが」
キリクが指摘するように、教会は情報管理に甘い組織ではない。
聖職者という知的階級を育成し、社会全般から情報を集約して活用することで教会は現在の地位を保ってきた。
印刷業の効果に着目し、利権として組織内で奪い合っている現状がそれを示している。
「そうですね。職人の家族から噂になったとしても、貴族まで伝わったりはしないでしょうし」
靴工房の職人達には口止めをしていはいるが、その家族や親族などから噂になることはあるだろう。
だが、それが貴族に伝わるかどうかとなると、それは別の話だ。
あの街では貴族と庶民の間には分厚い壁が社会的にも物理的にも隔たりがある。
住居からして1等街区と3等街区で離れているし、そもそも3等街区の情報が上がるルートがないだろう。
「だよなあ・・・」
全員で腕を組んで考え込んでいる中で「あっ」と声を上げたパペリーノに全員の視線が集中する。
「漏れたルートが、わかったかもしれません。が・・・その」
なぜか、聖職者は先を続けることにためらいがあるように見えた。
「別に間違いでも構わない。続けてくれ」
頷いてみせると、意を決したようにゆっくりとパペリーノは話しはじめた。
「少し不愉快な指摘になるかもしれませんが・・・おそらくは、出稼ぎ農民の線から漏れたと思うのです」
一瞬の沈黙のあと「そんなわけないでしょ!」がたん、と椅子を蹴って立ち上がったのはサラだった。
「ケンジがあれだけ無理して何とかしてあげてるのに、裏切ったりするわけないじゃない!」
「そうだぜ。ちっと考えにくいんじゃねえかな」とキリクも同意する。
否定したくなる気持ちはよく理解できる。
だが、会議の意味は自分の想像力では及ばない他人の視点を借りることに意味があるわけで、全員に否定される意見を出したパペリーノの見解には意味がある。
「まあ、とにかく聞いてみよう」先を続けるよう促す。
「感謝します。代官様は出稼ぎ農民達に寛大に振るまっておいでです。ですが、まさにその点から貴族側に情報が漏れたのではないかと想像するのです」
パペリーノの指摘で、問題の本質が理解できた。
「債務の交渉か。農民達の買い取りに目をつけられたんだな」
パペリーノが深く頷いた。
「まさに、そう考えております。代官様と貴族の取引関係と言えば、靴工房を別にすれば出稼ぎ農民達の買い取り以外にはありません。それに靴工房の貴族向け取引きは販売専門のアンヌ様を挟んでおりますし、聖職者の靴については教会も間におります。ですから、農民の買い取りが注意を引いたのではないかと思うのです。
普通は、たかが自領に逃げ込んできた農民のために、わざわざ借金を負うような真似はしません。追い払ってそれで終わりです。それに、農民を買い取る領地というのは、通常は辺境で怪物の脅威に日々さらされるような土地が多いのです。この領地のように優良な土地で農民を買い取る必要性はないのです」
指摘はもっともだが、幾つか反論したい点もある。
「優良な土地ね。赴任したときの状態は酷いものだったが」
「ですが、税収の面からは優良でありました。それに餓死者はほとんど出ておりませんでしたから」
「開発の余地がある、という意味では優良なことは否定しないが」
河はあるのに湊がない。製粉のための水車もない。漁業もロクに行われていなかったし、税のかけすぎで庭で豆を植えることもできなかった。
優良な土地、が聞いてあきれる。
いずれにせよ、どうも目をつけられたのは事実なようだ。
「よし。まずは秘密が漏れた、という想定で今後の策を考えよう」
手を叩いて合図をすると、全員が静かに頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇
「しかし秘密が漏れたとかいうても、何をどう考えたらいいんじゃ?そもそも、街から離れたこの領地では何もできんじゃろう?」
ゴルゴゴが肩を竦めて疑問を投げかけた。
雑多な人間が入り乱れている街とは違い、農村では他所者が来れば一発でわかる。
かといって村の周囲で潜伏するには怪物達の脅威が問題となる。
普通の人間なら焚き火もなしで森のなかで野営などしようとは思わない。
「キリクはどう考える?」
この手の荒事の専門家であるキリクに尋ねる。
この男は大雑把な外見と言動に反して、かなり知恵が回る。
案の定、太い指で顎髭をさすりつつも専門家らしい指針を示してみせた。
「そうですなあ・・・まずは最悪の事態を考えろ、といつも団長は言っていました」
「最悪(ワースト)ケースを考えろ、か。ジルボアらしいな」
「ですな。それでこの場合の最悪の事態といいますと、どうなりますかね?」
キリクの指摘に、”最悪の事態”の条件を指折り数えてみる。
「まずは、この領地の場所が敵の貴族にバレている」
「ありそうですな」
「敵は教会でも手を出しかねる大貴族である」
「ありえますな」
「すでに敵の手下が潜入している」
最後の指摘に、会議に参加していた全員が目を見開いた。
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