第670話 報告の逃げ道

その夜、パペリーノからはニコロ司祭に報告する内容について相談を受けた。

領地の内実を報告する密命を受けていることを、もはや隠そうともしていないな。

理解が不十分なまま報告されて誤解されるよりは、よほどいいが。


「この領地に赴任して以来、1月としないうちにこの量です。何回かに分けて報告した方が良いと思うのですが」


「この量です」という言葉に微かに棘を感じたが、そこは敢えて聞こえない振りをして数え挙げてみる。


一、領地内の出稼ぎ農民の問題を発見した。そして解決の道筋をつけた。

一、散布図で農地のハズレ値を発見する方法を使った。教会の人でも使えるように簡易化した。

一、漁業権の分割方法を開発した。税負担と同様に福祉提供について基準となる方針を示した。

一、貯蔵された豆を選別する器械を開発した。在庫豆の資産化と金融について新しい考え方を示した。

一、在庫削減による資産の高付加価値化と在庫保管費の削減に具体的な方法を示した


「結構、働いてるな」


あらためて黒板に書いて一覧化してみると、幅広い項目にわたって検討したことがわかる。

麦粥を啜りながらも、粗食なわりになかなか頑張ったように思える。


「結構じゃありません!どれ一つをとっても、教会の領地運営に巨大な影響を与える問題ばかりです!」


と、温厚な聖職者には珍しくパペリーノは叫んだ。


「そうは言っても、なあ。どこの領地でもある一般的な問題を検討しただけだと思うんだが」


この領地に固有の難解な問題について解決したわけではない。

むしろ製粉業を滞りなく興していくために、後で問題となりそうな現在の問題について解決の道筋をつけただけなのだが。

もちろん、自分だけが働くのは嫌なので、誰でもできるように出来るだけ簡易な方法を採用したり、器械を開発したりはした。

教会の利益になりこそすれ、誰の権益にも触れないよう慎重に進めたはずだ。


「だからこそ、ですよ。どこの村でも採用できるから広域にわたって影響します。誰でもできる手法ですから多くの者に使われます。誰の権益も侵害しませんから教会全体に巨大な利益をもたらします」


「いいことじゃないか。うまく報告してニコロ司祭の派閥で勢力を伸長してくれれば、それでこちらも安泰になる」


ノウハウの類は著作権などが整備されていないこの世界では保護できないし、それがどれだけ利益をもたらすとしても、その利益は教会のような巨大な統治機構が整備されてはじめて利益を生むものであるし、一介の代官でしかない自分は、せいぜいそのお零れに預かれれば良い。


「代官様は、この件で利益を得ようとは思わないのですか」


「どうするんだ、そんなもの」


独占できない利益に拘って命や周囲の連中を危険な目に遭わせる気はない。

身を守る傘には、ぜいぜい大きく頑丈になってもらわねば。


「ですが、このまま代官様の名前が埋もれるのは惜しいと思うのです。司祭様の派閥も、あまりに強くなり過ぎると今度は周囲から足を引っ張られます」


「そうなのか?」


「私も噂で聞くだけですが。印刷業の権益の分配についても、いろいろとあるようです」



パペリーノによる教会の内情に少しだけ考え込む。


そもそもが、この領地に赴任してきたのは教会の利権争いの余波を怖れてのことである。

冒険者向けの靴事業で足場を固めるために、いろいろとやらかした記憶は、正直なところ思い当たる点は多い。


その時は、全ては教会の利益と自分の利益を一致させるためにしたことと思っていたのだが、その利益自体が短期に積み重なったせいで組織運営や派閥のバランスに影響を及ぼしたということだろうか。

急に金持ちになった成金が精神のバランスを崩すように、利権が巨大化した組織内で統制に緩みが出ている、ということだろうか。


「それで報告内容について迷っているということか」


パペリーノの懸念は理解できた。

組織運営の統制が危うくなっているところに、さらなる利権が示されたとき、それが派閥のためになるかを心配しているのだろう。


「だが、隠すわけにもいかないだろう?」


「ですから、分割して報告した方が良いと考えています」


「先送りだな」


「ええ。ですが今は先送りそのものに意味があるのではないでしょうか」


何度か教会のエライさん達から呼び出しをくらって吊るし上げられた経験からすると、教会という組織には優秀な人間達、喰えない大物達が揃っていて、型通りの問題には硬軟併せ持った抜群の処理能力を発揮するが、新しい問題の解決や普及には、やや苦手であるように思える。

良くも悪くも優れた官僚組織という側面があり、組織の学習能力や施策の展開能力に若干の弱さがある、と見る。


とはいえ、巨大な象の爪先だけを見て判断するかのような行状であるから、それが当たっているかどうかはわからない。


「それと、近いうちに代官様の呼び出しがあるのではないでしょうか」


「それは勘弁してもらいたいな」


領地経営については端緒についたばかりであるし、実質的には何もしていないに等しい。

だが報告書を送れば、その内容について詳細な説明を求められるのもわかりきっている。


「報告書をできるだけ理解しやすく詳細に書けば、呼び出しはないことにしてもらえないかな」


「努力はします。そのために相談させていただいているのです」


パペリーノが、ニコリともせずにこちらの逃げ道を塞いだ。

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