第653話 貧乏人のパスタ
「さて。最後の一軒は・・・」
訪問予定の3軒目の農家の場所を聞こうと振り返ってみると、疲労の色が濃いように見える。
朝から回った2軒の状況が想定外に過ぎて、頭の整理ができなくなっているようだ。
特に、パペリーノの顔色が悪い。
いろいろと刺激が強すぎたかもしれない。
「と、言いたいところだが、とりあえず屋敷に戻るか」
「よろしいのですか?」
「まあ、最低限の視察はこなしたからな。持ち帰って考えてから、また視察だ」
あまり飛ばしても良いことはない。
農村の復興は一刻を争う事態ではあるが、自分たちが潰れては元も子もない。
仮説を考える。現場で情報を収集する。仮説を修正する。
仮説修正のサイクルを繰り返すだけの知的体力は残して置かなければならない。
そのためには、美味い食事が要る。
「というわけで、少し美味い昼飯にしよう。サラ、さっきの婦人から川魚か海老を買ってきてくれないか」
少し多めに銅貨を渡すと「わかった!いいの貰ってくるね!」と赤毛の娘は来た道を飛んでいった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
美味いものを食べると言っても、この領地では材料が限られている。
ニンニク、小麦粉に植物油、ハーブとリーキぐらいか。
それと、サラが買ってきた魚(パーチ)が1尾だけ。
「あとね、固パンがそろそろ危ないから、使っちゃいたいの」
固パンは焼き締めて長持ちするようにしている保存食の一種だが、そこまで長持ちするものでもない。
「固パンか・・・」と、すっかり貧しい食生活に閉口したキリクが嫌そうな顔をする。
「大丈夫!いい考えがあるんだから!」
サラには何か勝算があるようだが、大丈夫だろうか。
まずは手分けをして作業を始める。
キリクは小麦粉の製粉担当だ。
台所にある手回しの石臼に小麦を入れて、ひたすらに回す力の必要な重労働だ。
ゴリゴリ音を立てて回る石臼から少しずつ吐き出される小麦粉を見ていると、今の小麦粉が高価な理由がわかる。
パペリーノは畑からニンニク、ハーブ、リーキを収穫してくる担当だ。
「ケンジは、魚を何とかして!」とサラが言うので、俺は魚(パーチ)を捌く担当。
川魚を料理するのは初めてだが、大きめの魚を処理するぐらいのことはできる。
ナイフの背でゴリゴリと鱗を削るのだが、なんだか手応えが薄い気がする。
適当に腹を裂いて内蔵を取り出し、頭、ヒレ、尾などを落とし、それらしく加工していると、サラがジッと手元を見つめているのを感じる。
なんだろう。華麗な包丁(ナイフ)捌きで、株が上がったりしているのだろうか。
「ケンジ、意外と魚に慣れてるのね」
そのレベルか。
確かに、魚をあまり食べない人間からすると、目が気持ち悪いなどの拒否感があるのかもしれない。
「こうして小さくすれば、あまり魚に見えないだろ?」
個人的には魚は形を保ったままの方が好きだが、慣れないうちは小さ目に切り分けた方がいいかもしれない。
そして、相変わらずのパスタ作り。
生パスタもいいが、乾麺を作り置きした方がいいかもしれない。
作り方は知らないが。
「それでね!今日は新作を考えたの!」
そこから始まる”シェフ”サラの新作パスタ教室。
「まず!パンを粉にして・・・油で炒めます!」
固くなったパンをナイフの背で削って粉にし、浅い鉄鍋にニンニクと植物油で炒めると、途端に香ばしい匂いが漂いだした。
これは、ガーリックパンの匂いだ。
「美味しそうでしょ?パンに植物油をつけて食べるじゃない?だったら、粉にしても美味しいと思ったの!それで、ハーブとリーキを刻んで混ぜるっと・・・」
香ばしくなったパン粉を刻んだリーキとハーブと和えると、それだけで立派なトッピングだ。
さらにパン粉を引き上げた鍋の香る油で、塩を振ったパーチを炒める。白身の魚に微かな焦げ目がつくと、それだけで食べても美味そうだ。
そこに並行して茹でた生パスタを絡める。
湯気と香りで台所という空間は、美味さの奔流で大変なことになっている。
手伝いを終えたキリクやパペリーノが台所に張り付いてサラの手元をジッと見つめている様は、何かの御神体を崇める宗教者のようだ。
「はい!完成!ええと、パン粉と植物油とニンニクとハーブとリーキとパーチのパスタ!」
サラのネーミングはあんまりだったが、もとより文句などない。
香りからして、これは絶対に美味しい。
広めの皿を用意して、出来上がったパスタを盛ると全員で大変な奪い合いになった。
パスタの山にフォークを突き刺し、クルクルと巻きつける競走だ。
全員が、少しでも自分の取り分を増やそうと必死だ。
しかし、俺には秘密兵器がある。
「あ!代官様!なんか巻くのが早くないですか!」
そう、個人で注文して作らせた銅製の4本歯のフォークだ。
こんなこともあろうかと、領地に持ってきていたのだ。
他の面々が木製の2本歯のフォークで巻取りに苦戦しているところを、ささっと華麗に巻き取って皿に盛っていく。
「ケンジ、ずるい!」
「ずるくない。日頃から準備していた人間が勝つのはずるくない」
敗者の批難には耳を貸さず、パスタを口にする。
一口目の感想は、これはうまい、に尽きた。
この世界に来て、初めて元の世界と同等の飯を食べた気がする。
川魚の泥臭さも、塩を振ったのとニンニクで炒めてハーブやリーキと一緒に和えているので気にならない。
揚げられたパン粉のサクサク感で、ボリューム的にも満足である。
長いこと小麦の粥しか食べてこなかった口と舌が驚いている気がする。
人間は、温かい塩と油と炭水化物があれば満足する生き物なのかもしれない。
領地に来てから久しぶりの美味い飯と、それを奪い合う食卓の喧騒は、それからもしばらく続いた。
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