第654話 複雑な問題
「ふう。このくらいの飯が毎回出るなら、この田舎に住むのも文句はないんですがねえ」
キリクが満足げに腹を撫で回す。そんなに麦粥は嫌だったのか。
「植物油は高いから毎日は無理よ。でもキリクがもう少し石臼を頑張って小麦粉を余分に作ってくれたら、明日も白パンになるわよ」
「いいねえ」
「俺はライ麦パンとかでもいいんだが」
「ケンジったら、偉くなっても貧乏舌なんだから!荷物が載らないから、ライ麦は持ってきてないわよ。その代わり、魚と一緒に豆も買ってきたから、明日は豆もスープもありね。屋敷(うち)でも庭に豆を植えようかしら」
「それもいいな。豆を植えると土にいい、と聞くしな」
「それと、鶏ね。早目に飼ってもいいじゃない?製粉所のふすまで養鶏をするんなら、先に増やしておく必要があるでしょ?」
「実は卵が目当てじゃないのか?」
「それはそれよ!」
良い食事を摂った後は、雰囲気も和やかになる。
「さて、飯をしっかり食ったところで発見した問題を話し合うか」
こちらのかける言葉に全員が頷く。
おそらく、今日の午後は長い話になる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
黒板のある執務室に、個々に茶と椅子を持って集まる。
「まずは、どんな問題があったかな。パペリーノ、答えられるか」
パペリーノは聖職者として官僚的な教育を受けてきただけあって、物事の記憶力については評価できる。
「わかりました」と頷くと、パペリーノはメモなどを見ることなく、問題を列挙し始めた。
「まずは時系列で問題を順番にあげていきます。最初に、我々は教会を訪問しました。そこでは村長宅を追い出された村外の出稼ぎ農民たちが大勢おりました。彼らの多くは家族持ちです。また、住居がないまま村長の畑の手入れをしております。彼らの手がなければ村長の畑は荒れてしまいますが、その生産性が高いとは言えません。
次に訪問したのは代官様の手法で分析した際に、豊かであるはずの農家でした。実際には大勢の男手があり、徴税額の大きさは、そのせいでした。
最後の訪問は、夫を亡くした婦人のいた農家です。庭には豆が植えられ、密かに魚を獲っておりました。代官様は、その婦人を雇うと仰っております。
以上です」
何となく報告の締め方に微妙な悪意を感じるが、主観を抑えて事実関係に終止した良い報告だ。
「多いな」たった半日の視察だったが、問題の多さには頭を抱えたくなるほどだ。
サラとキリクからも、似たような感想があがる。
「代官様って大変ね。これを全部解決しなきゃいけないんでしょう?あたし、もっと楽して贅沢してるものだと思ってた」
「兵団(うち)の団長も、何やら大変そうですしね。上に立つってのは、楽じゃねえってことですよ」
「何を他人事のようなことを言ってるんだ。キリクだって、すぐに同じようなことをしなきゃならなくなるさ」
「うへえ」
一睨みして未来図を指摘してやると、キリクは露骨にうんざりとした顔をした。
「それにしても代官様、かなりの難問が積み重なっていることは事実です。我々のような少人数で解決できるものでしょうか」
パペリーノが心配するように、この場にいるのは、たったの4人だけである。
普通は自分の家臣団を連れてくるものだ。
「全部を自分でやるわけじゃないからな。人を頼るさ」
靴の事業を立ち上げた時に比べれば、特に困難というわけでもない。
だが、人に頼るためには、問題をわかりやすく分割する必要がある。
難しい問題を相談されて協力できる人は少ない。
問題を単純にできれば、協力してくれる人は増える。
「難しく見えるなら、まずは問題を小さくしよう。大きくて複雑な問題は、小さく単純な問題に分けて考える」
「前にもやったやつね!ええと、具体的にどうするかは、ちょっとわからないけど」
サラが、ぱっと顔を輝かせてから、口ごもる。
アプローチについて考えが及ぶだけでも、大きな進歩だ。
そこから先は実践と経験がものをいう世界なので、それは仕方ない。
「とりあえず、一緒に考えるか。まず、最初に教会にいた出稼ぎ農民達の問題だな」
白墨で黒板に”出稼ぎ農民の問題を解決する”と書いてから、解決の切り口をあげる。
「そもそもの大前提として、彼らの出稼ぎを領地として承認するかどうか、という問題がある」
「追い出しちゃうの?」とサラ。
「わからない。そもそも、彼らは領民ではないわけだから、元の領主の財産なんだ。どこから来たのかはわからないが、無許可の出稼ぎの場合は、こちらが罪に問われることもあり得る」
「なるほど。それはあり得ます。教会の上層部と確認が必要でしょう。ただ、教会で面倒を見ているからには、多少は問題を把握しているとは思いますが」
パペリーノが補足するほどには、俺は楽観できない。
「そうだといいがな。それで、元の農地に返すべき、と別の領主の間で合意ができたとする。だが、どうやって返すのか?という問題がある。夫婦で別の村から来ている場合もあるだろうし、この領地で子供が生まれている可能性もある。すると、その子供の帰属はどこになるのか?それに、元の領地に戻すための交通費や警備費用を誰がどのくらい負担するのか、という問題もある」
「そうなりますね」
貴族法や教会法が定める領地関連の法律については、パペリーノが詳しい。
問題の捉え方については、異論がないようだ。
「試算すれば、おそらくは金銭での買い取りを依頼してくるとは思う。その場合、こちらで費用を持つのはいいが、彼らの借金が増えることになる。彼らの財産状況を思えばやりたくはないが、そうせざるを得ない。それに加えて、生誕名簿の書き換えだけでも、教会にかなりの費用を払う必要があるだろう」
「減額の余地はあると思います。ここはニコロ司祭の領地ですから」
パペリーノは補足するが、それは言い換えれば、代官である自分の裁量で彼らの借金を帳消しにすることはできない、ということだ。
「そこを乗り越えてこの村で働いてもらうとする。その場合、彼らの仕事を作ってやらなければならない。一応、製粉所の建設や河川工事、道路工事で人夫を必要とする予定はある。だが、それらは元々は領地に戻す予定の冒険者連中のために考えていた仕事だし、一時的な仕事でしかないものもある。金銭を払う仕事であれば、元々の村人も雇用しなければならない。この村で恒久的に受け入れるのであれば、農地を任せる必要もある。しかし、あまり良い農地を優先的に振り分ければ、それはそれで元の農民が不満を抱くだろうな」
考えれば考えるほど、問題は山積みになっていく。
「もう、ほんとうに!なんで前の村長さんとか、勝手なことしたのかしら!」
というサラの怒った声が、この場にいる全員の内面を代弁していた。
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