第652話 規則と運用

「はい?」


農婦は、理解できないものを見る目で、こちらを見返した。

それは、パペリーノやキリクにとっても同じだったらしい。

彼らも口にこそ出さないものの、驚いている気配を背後から感じる。


「私達は、当地に来たばかりです。屋敷の細事を引き受けてくれる、この地に詳しい人手を探しているのです。もちろん、報酬についてはきちんとお支払しますよ。お孫さんに不自由ないだけの額を用意するつもりです」


「ですが、私は」


「申し上げたでしょう?咎め立てするつもりはないのです。ぜひ、ご家族と話し合って決めて下さい。屋敷の方で待っておりますから」


とりあえずの決定は委ねて、農家を辞することにする。

後には、呆気にとられた様子の年かさの農婦だけが残された。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


農家から離れるや否や、サラの詰問が始まった。


「ねえねえケンジ!どういうことなの?」


「そうですよ、何でまた、あんな人を!領地の法を破った罪人じゃないですか!」


パペリーノも、不満の声をあげる。

首を回して、背後からついてくるキリクに意見を求めると、無精髭を触りながら。


「自分の好みからは少しばかりトウが立っていますなあ。小団長が、そういう趣味だとは知りませんでした」


などと言うものだから、サラなどが「そうなの!」と必死に突っかかってくる。


「まあ落ち着いてくれ。彼女を雇おうと思ったのには、いくつか理由がある」


「まずは、年齢が高いことだ。若い娘を雇うというのは、いろいろと面倒が起きやすい。今度の代官は若い娘を集めている、などと悪評が立つのは困るし、逆に妾や愛人の席を狙われても困る。それに、若い娘に一から家事の教育をするだけの余裕はない。その点、あの家は十分に片付いていたし、屋敷の維持に力量を発揮してくれるだろう」



「それから、何より彼女の才覚が気に入った。夫を亡くすという不幸に遭いながらも、教会の司祭と交渉し、豆を植える権利を勝ち取り、魚をコッソリと密漁し、息子夫婦と孫の家族を守りきっている。その手腕には尊敬の念を憶えるね。彼女を雇えば、その知恵を当地に役立てることができるだろう」


「ですが、それは違法です」


「だがな、パペリーノ。法は領民の暮らしを守るためのものだ。法を守って領民が飢えるなら、それは法が誤っているのだと思う。彼女の家族は法を破ることで暮らしを立てることができたが、法を破らずとも、あの程度の暮らしができるようするのが統治者の勤めだ。法を、暮らしの実態に合わせるんだ。それには、彼女の知恵を借りよう」


「はい」


「それは、今回の訪問の収穫を説明できるか?」


「まずは、廃止された法の周知徹底が必要です。おそらくですが、村人はこの村で何が禁止事項なのか、把握していないと思います。全ての行いに税がかかり、実質的に禁止された結果、何もしないという無気力な状態になっていると思うのです。この状態は、一刻も早く解消しなければなりません。その意味で、豆畑を各戸に作らせるというのは、良い施策になるかと思います」



「次に、今の話と関連しますが、豆にとどまらず救荒作物の類の作付けを奨励する必要があるかと思います。想像になりますが、前の代官によって、その種の小麦以外の作物について税がかけられたのかもしれません。過去の記録に、かつて、この領地で植えられていた別の作物を発見することができれば、もう一段の状況改善が可能になると思います」


「そこは、書類よりも人に聞こう。あの農婦に聞いてみれば、半日をかけて記録を引っ張り出す必要がないだろう。彼女なら、前の前の代官の治世についても詳しいのじゃないか」


「な、なるほど。たしかに、その方がずっと早いですね。こうしたことのために、彼女を雇おうということですか」


「それから、漁業権ですね。領主に漁業権があることを周知し、漁師となる者を選定する必要があります」


「そうか。漁師をやれる者がいればいいが。それなら漁期の設定などは必要か?」


「冬季は危険ですから禁止しますが、特にそういったことはしない予定ですが」


資源管理の考え方がないということだろうか。

確かに、村から一歩離れれば怪物のいる世界では、河の魚が根こそぎ捕られる危険はないのかもしれない。

漁の道具も未発達に見える。


規制の導入については、現地の事情に合わせて検討する必要があるだろう。


「それにしても、川海老はともかく、鯰(なまず)か」


東南アジアを旅行した時に、フライは食べたことはあるが。

癖はないが、あまり美味いものではなかった気もする。


「サラは食べたことあるか?」


サラはブンブンと勢い良く首を左右に振る。


「あたしん所は、山に近いところだったから」


「パーチはありますぜ。なかなか旨い魚で、こんくらいで」


キリクが両手を広げて、で魚(パーチ)の大きさを示す。30センチぐらいだろうか。

鯉みたいなものだろうか?釣りといえば釣り番組で見たのと釣り堀に行ったことがあるぐらいなので、ちょっと印象がない。


「例え小さな魚でも、とりあえず副食があるというのはいいことだな」


メザシを副食にするだけで必要な米飯の量が減った、という研究を読んだことがあったような。


養鶏で卵が手に入る様になるまでは、魚を食べるのもありかもしれない。

余った魚は土壌の改良に使えばいいわけであるし。


「漁師に完全に独占も良くないな。腹を減らした村人が、妙なところに入り込んで怪我などされても困る」


あまり運用を固くすると、それを逃れようと無茶なことをする者がでる。


良い例が橋の税金だ。

村人に安全に河を渡ってもらうために作ったはずの橋に高い税をかけたせいで、河を泳いで渡ろうとした村人が溺れるようなことが起きる。


規則を定め守らせる必要もあるが、無理な規則は現実に報復される。

ルール・メイカーになったからには、トラブル・メイカーにならないよう自分を律(ルール)しなければならない。

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