第648話 聖職者の戸惑い

パペリーノは、ゆっくりと事実の確認からはじめた。


「あの農家は、あまり豊かに見えませんでしたよね」


「そうね。でもしょうがないじゃない?息子さんが4人もいるんでしょ?あのお母さんの年なら、まだ息子さん達も若いだろうし、たくさん食べるでしょ?」


元農民のサラからすれば、男の子供4人を抱えた農家の暮らしがどんなものか具体的に想像できるのだろう。

その答えに迷いはなかった。


「そうです。その単純な事実がわからなかったのが問題なんです」


「うーん?わからなかったのが問題?」


「そうです。農地の広さと徴税額だけを見れば、あの農家は上手くやっているように見えるんです。ですが、実際には単純に畑に手をかける人数が多かっただけで、うまくやっているわけではなかったんです・・・」


散布図を作成することで優秀な農家を探し出すという方法(アプローチ)に感銘を受けた分、それが通用しなかった衝撃も人一倍大きかったのだろう。


「じゃ、やり直せばいいじゃない?」


「やり直す・・・?」


顔を上げたパペリーノに、サラはあっけらかんと答える。


「うん!だって、ケンジだってよく間違ってクヨクヨしながらやり直してるじゃない。パペリーノも同じようにクヨクヨしてやり直せばいいじゃない」


「それは・・・そうですか。でも、どうやれば?」


「あたしはよくわかんないけど、ケンジなら考えついてるんじゃない?」


そろそろ、バトンタッチか。

サラの視線を受けて「クヨクヨってのは酷いな」と苦笑しつつ、パペリーノの相手を代わる。


「そんなに間違っていたのがショックか」


パペリーノがそこまでショックを受けた様子でいるのには、多少意外な感じはする。

クラウディオとパペリーノの出向聖職者2人組が初めて工房に来た時の態度ときたら、世間知らずの聖職者そのものであったし、その際にいろいろと議論でやり合って間違いを認めさせたことがあったのだ。

その時の態度は、ここまで衝撃を受けたものではなかった。


「そうですね。自分でも意外です」


頷いてから、自分の頭の中を整理するように言葉を選びつつ、話し始めた。


「思うに、代官様と以前に議論した時は自分の誤りが理解できました。それは、代官様の主張の論理が理解できたからです。ですが、今回は理屈では正しいはずであったのに、ただ現実が違った。それが、受け入れられないのだと思うのです」


「なるほど」


聖職者の世間知らず、と否定してしまうのは簡単だが、これは聖職者特有の思考訓練の種類の問題なのかもしれない。

論理で考え、議論を通じすり合わせるという過程を通じて物事を理解し、真理に至る。それが聖職者の思考訓練だ。

仮説を立て、議論というクッションを経ずに現実の方に否定される、という経験は受けた訓練では受け止めきれなかったのだろうか。


「いろいろと混乱があるようだから、一緒に考えよう。キリク!お前もだぞ!」


我関せず、とばかりに鼻毛を抜きながら剣を担いでいる護衛にも声をかける。


「うえっ。俺には関係ないでしょう?」


「お前もいずれは剣牙の兵団で重職を担う身分だろう?勉強しておいて損はないぞ」


腕が立つだけでなく、商家の出身であり、剣牙の兵団の将来の幹部候補であろう男。

どこの軍隊でも、連絡将校は最優秀の者が務める、と決まっている。


「問題が混乱してわからなくなった時は、単純に考える。まずは確かなところに戻るんだ」


「はあ・・・しかし、確かなことなんてあるんでしょうか」


「そりゃあ、あれでしょうよ。あの農家が貧乏そうなこと。あれは事実でしょうが」


キリクは経験ある冒険者らしく、断定的な口調で答えた。

事実をありのままに認めなければ、冒険者としてはやっていけない。

そうできない冒険者は、いずれ引退する羽目になる。


「そう。あの農家が貧しい、というのがスタート地点だ。まずは事実に戻って考える」


「はい」


「それから、どうする?」


「まずは、単純に考えるということですよね」


「そう。そもそも何をしたいか、目標(ゴール)を考える」


「それは、何度も確認していますがうまくやっている技術と管理能力に優れた農家を発見する、ということです」


「そうだ。だが、今回の発見方法はうまくいかなかった。だから混乱している」


「そうです。あれは、合っているべき論理だったのです」


「そうだな。論理は合っている、かもしれない」


「合っているべきだったのです・・・」


パペリーノは、力なく呟くと俯いた。

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