第647話 農婦の語る村事情
しばらく歩くと、件の農家が見えて来た。
小さな領地とは言っても、徒歩でまわるとそれなりに距離がある。
小麦畑を縫ってだんだんと近づいていくと、農家の建物も細かい点が見えてくる。
「なんか、あんまり暮らしに余裕がありそうに見えないね・・・」
屋根の藁葺は葺き替えがあまりされていないのか、一部が腐って雑草が生えている。
家の壁は一部の石壁が崩れたのか、土で補修されたようなものも見える。
あれでは、風は防げるが強度に不足が出るだろう。
おかしい。散布図の上では、規模が大きく納税額の大きい言うなれば暮らしに余裕のある家のハズだったが。
とりあえず、家を訪ねて事情を聞くことにした。
「新しい代官のケンジという。少し尋ねたいことがある」
隙間風が入って、今にも崩れそうな木のドアの外から声をかけると「はい」と小さな声で返事があり、ほどなく年のいった農婦らしき女性がでてきた。40過ぎ、といったところだろうか。この世界の農婦は過酷な暮らしを強いられているせいか、年齢よりも老けて見える。腰を少しかがめているのは、腰を痛めているのかもしれない。
ただ、低い位置からの視線には、珍しくこちらを怖れる色が見えない。
ようやく、まともに話が聞ける人間に出会った気がした。
◇ ◇ ◇ ◇
窓の小さな家の中は暗いので、外で話を聞かせてもらうことにした。
腰の悪そうな農婦には薪の上に腰を下ろしてもらう。
こちらも適当に薪を拝借して、数本を組み合わせて適当に椅子にする。
「代官様なのに、ずいぶんと器用なことをなさるんだねえ」
意外そうに、農婦が声をかけてくる。
「こんな成りをしているが、元は冒険者だからな。今日の朝飯は麦粥だった」
「あれまあ。代官様ってのは、毎日のように肉を食べてらっしゃるのかと思ってましたよ」
「肉か。鶏も豚も、この領地にはいないからなあ」
「前の代官様は、他所の土地で買っては運び込ませていたとか」
食べ物の話は、身分や老若男女を問わず共通の話題になる。
特に娯楽の乏しい社会では、何を食べたかという話は、格好の娯楽でもある。
それにしても、この農婦の馴染み方はずいぶん気安い気もする。
「おばさん、あたし達が怖くないの?他の人達にはすごく怖がられちゃって、なかなかお話が聞けなくて」
「怖いもんですか!うちの息子たちは男ばかりでねえ。今さら何をどうということもありゃしませんよ。それに、司祭様がいらっしゃるでしょ?司祭様を連れた人が悪いことをするはずがないでしょうに」
「いや、私はまだ助祭の身で、司祭などでは・・・」
パペリーノは何か細かいことは言っているが「いいから」と黙らせる。
村人にとって聖職者というのは、なべて「司祭様」なのだ。細かい分け方なんて気にしない。
そういうものだ。
「兄弟が多いと言ったね。何人ぐらいいるんだい?」
「ああ、神様のおかげで、どの子も丈夫に育ちましてねえ。5人の息子がおります」
「5人も!それは大変だねえ。男の子は食べるからねえ」
「ええ、そりゃあもう!ですから、今は他所の畑を耕させてもらって食べておりますよ。うちの畑だけじゃ、とても食べさせていけませんでねえ」
「なるほどねえ。そりゃ大変だ」
農婦の言葉に相槌をうちながら視線を向けると、パペリーノは小さく首を左右に振った。
「最近、何か困っていることはないか?」
「そりゃあ、暮らしていくのは大変だしいろいろあるけど・・・」
と濁しつつも「最近は余所者の子供が畑の作物を盗んでいくのが困る」という。
「昔からの子なら顔も知ってるし、親に言えば躾をしてもらえるんだけど、余所者はねえ。固まって住んでるみたいだし、顔も知らない人ばっかりだし、やっぱり怖いわよねえ」
農婦の正直な感想には、ただ頷くしか無かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「やはり現地で聞いてみる、というのは重要だな。そうじゃないか、パペリーノ?」
農婦のところを辞してから、黙って下を向いて歩くパペリーノに話題を振る。
「ええ。それはもう・・・」
そう答えるパペリーノの声には張りがない。
昨夜からの鼻息が荒かったのと、同じ人間とは思えないほどだ。
「どうしたの?なんでパペリーノは、そんなに落ち込んでるの?」
「いえ、落ち込んでいるわけでは。ただ、自分の迂闊さに打ちのめされていただけなのです」
人は、それを落ち込んでいると言う。
「代官様、あの計算結果は信用できませんでしたね」
「そうかもな」
そうとも限らないのだが、話を続けるために、とりあえず頷いてみせる。
「え、どういうこと?なんか凄い、って騒いでたじゃない?」
サラからすれば、パペリーノの昨夜の浮かれ具合も、今の落ち込みも理解の範疇の外なのだろう。
何かよくわからない理由で気分が上下しているようにしか見えていないに違いない。
「どうだ?パペリーノ、説明できるか?」
仮説の誤りは、説明をすることで原因が明確になることも多い。
それに、他人に向かって説明するぐらい、ものごとを整理するのに良い方法もない。
先を続けるよう促すと、パペリーノはその重い口を開いて、説明を始めた。
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