第622話 籠城の中の籠城

この厳しい世界で生きていれば、そして事業をやっていれば尚更、危険(リスク)はある。

生きることは不確実性という名前のリスクを克服することだ、と言っても良い。


自分が死んだら、手がけている事業は全て倒れる。

だから、自分の身体には気をつけるようにしよう、という理屈はわかる。


「とは言え、これ以上に安全のために何かしろと言われても難しいよな」


思わず独り言が漏れる。


冒険者を辞めてから、かなり経つ。

剣の腕は鈍る一方だし、訓練もしていない。


一方で、剣牙の兵団からは常に工房に2名が警備で常駐してもらっているし、キリクには専任で護衛についてもらっている。


昼間、物理的に何かしようと思っても、かなり難しいはずだ。

夜間は外出をせず、戸締まりをしている。


革通りは奥まったところにあるので、通りの入口さえ警備していれば不審者が入り込んでこない、という構造上の利点もあるし、その入口は工房の若い男達が交代で見ているし、夜食を提供するようにしたせいか、衛兵もよく見回ってくれている。

3等街区としては、突出した治安の良さである、と言ってもいいだろう。


今のところ、問題はない。

ただ、今は発生していない問題に対応するための体制はない。

それが、問題なのだ。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「ジルボアの言う何か、っていうのは、怪物のことだよな。たぶん」


翌朝も、朝から黒板に向かって整理してみることにする。

今度は、事例(ケース)シナリオという手法を使ってみる。


「それって、印刷機の話をしてたのと同じよね?いい話と悪い話を考える、とかいうやつでしょ?」


隣で見ていたサラが気がついたように、基本的には印刷業の説明(プレゼン)に使用した手法と同じだ。


ある事態を想定し、その事態の最善のシナリオ、普通のシナリオ、最悪のシナリオを考えるという方法だ。


今回は、例えば、怪物の大暴走のような現象が起きることを想定する。


危険(リスク)見積もりのシナリオなので、最悪のシナリオから考えてみる。


魔物の大暴走。そもれ、今までにないような規模の大暴走が起きるとする。

街の城壁の外側が魔物で溢れるような事態になる。


すると、どんなことが起きるだろうか。

起こりうる事態を黒板に箇条書きに書いていく


・街と領地の連絡と輸送の途絶

・食料の不足

・靴工房の一部の原料不足

・治安の悪化

・一部の職人の防衛戦力への徴兵

・冒険者の活動活発化

・軍、私兵の活動活発化


書いているうちに、だんだんとイメージが明らかになる。

何を危険(リスク)と見なし、何を守ればいいのか、整理がついてきた。


いいぞ。わかってきた。


こんな時だが、何かを理解できた、と感じる際の知的興奮が身を包む。


「ケンジ、なんだか嬉しそうね」


隣で見守っていたサラが、怪訝な顔をする。


「あー、うん、そうだな」


確かに、不謹慎だった。


街が危機に陥ったとき、自分たちが如何に生き延びるか、という困難な課題を解くことが楽しくて仕方なかったのだから。


少し気分を落ち着けてから、サラに向かって説明する。


「どうすればいいかは、わかった。要するに、籠城だな。籠城する街の中で、さらに籠城すればいいわけだ」


「籠城の中で籠城?」


サラは、わけがわからない、という意思を示すために、眉をしかめながら口を尖らせる、という器用な表情を作ってみせた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


サラのためと、話を自分でも整理するために順を追って説明をする。


「さっきの話だが、ジルボアの予言通りに街の外に怪物が溢れた場合、最悪の場合は街全体が城壁に閉じ籠もることになる。そこまではいいか?」


「そうね。それで、いろいろ困ることになる、っていうのはわかったわ。外から食べ物が入ってこなくなるし、中の人達も、イライラするわよね」


サラが箇条書きの内容を確認しながら同意する。


「だから、ずっと閉じこもっているわけにもいかない。私兵を出したり、冒険者に依頼したりして怪物を追い散らすようにするようになるよな。人手が足りなければ、職人も連れて行かれるかもしれない。城壁の内側から石を投げ落とすぐらいできるだろう、って」


「そうかもしれないわね」


「それに、矢や石を拾うぐらいできるだろう、と職人の子供達も連れて行かれるかもしれない」


「・・・そうね」


「そうなれば、職人達だって怪我をするかもしれない。怪物が石を投げ返してきたりするかもしれないし、矢を射ってきたりするかもしれない。ひょっとして城壁から落ちるかもしれない。子どもたちだって、そうだ。街中が殺気立っていれば、ささいなことで怪我をさせられたりするかもしれない。手伝いのはずが、怪物退治の矢面に立たされて大怪我をするかもしれない」


「・・・なくはないわね」


返事をするサラの声が、どんどんと沈んでいく。

俺だって嫌なことは言いたくはないが、最悪の事態に備えての話をしているのだから仕方ない。

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