第623話 手の長さは

一通り、最悪の事態の例を説明したところで、サラには対応策を説明する。

理解を求める意味もあるし、自分の思考の穴を補足してもらうためでもある。


「それで、具体的な対策として、どうするかだが」


説明しながら、黒板に書いていると、思考が整理されてくる。


「まずは、靴工房に物資を備蓄する。倉庫を拡張して建ててもいい。そこに食料と燃料、一部の工具のための金属製品と木材を貯める。それさえあれば、工房は稼働できるだろうしな」


「倉庫って、そんな場所ないわよ?」


サラが手狭になりつつある工房を見渡しながら言う。


「隣の工房を買う。もともと、工房を拡張するのに買う予定だったんだ。前倒しても問題ない」


「うーん。まあ、おじさん達も関係はいいから、譲ってくれるとは思うけど・・・どうして倉庫が必要なの?」


工房の購入となれば、安い出費ではない。サラの疑問は当然だろう。


「工房を、どんな状況でも稼働させるためだ。工房さえ稼働できれば、籠城中でも俺達に発言権ができる。工房が動いていれば、冒険者や私兵に冒険者のための靴を、軍靴として提供できるからな」


「軍靴ってなに?軍隊の靴?」


「そう。軍隊の兵士のための靴だ。いわゆる軍事物資だ。工房で軍事物資を供給していれば、そこで働く職人や子供たちも戦闘に連れて行かれることはない。工房が稼働している限りは、みんな飢えることもない」


仕事をすることで、工房に関わる全員を守る。これが、俺なりに考えた危険(リスク)状況の中で、職人達を守る方法だ。


それに対し、サラが平民らしい疑問をあげる。


「で、でも軍隊って貴族様の兵士でしょ?そんな時って、お金払ってくれないんじゃないの?」


貴族というのは、農民から奪っていく存在だ。まして、それが籠城のような極限状況であれば取引関係が成り立つはずがない。それが、この世界の平民のごく普通の感覚だろう。


だが、俺は違う。


「金を払わないなら、物資を渡さない」


断言すると、サラはしばらく絶句した後に、言葉を絞り出した。


「だけど・・・どうやって?」


サラの疑問に答えるために、白墨で革通りの地図を簡単に黒板に描いてみせる。


「ここは、革通りだ。奥まった場所にあるから、出入口さえ抑えてしまえば誰も通れなくなる。籠城中に治安が悪くなれば、兵士たちは乱暴になるし、暴漢や泥棒も増える。だから、出入口を封鎖する仕掛けも作る」


「そんなの、お貴族様の許可が出ないでしょ?」


街の構造事態を弄ることは、貴族の統治権力に触れる。当然ながら「貴族の横暴に対抗するための門を設置したい」などという事業に、許可がでるはずがない。


「そこで、荷車を使う。出入口付近に、壊れたようにみせかけた荷車を置いておく」


「荷車?それをどうするの?」


「片方の壁に鉄や革で裏打ちした荷車を4台、出入口の左右に2台ずつ置いておく。治安が怪しくなれば、それを左右から移動させてきて、封鎖する。強化した荷車による封鎖だ。街間商人の連中が街の外で怪物を防ぐためにやっているのと、基本的には同じだ」


現代風に言うならば、装甲車を利用した道路封鎖だ。もっとも、装甲車だと目をつけられるので、装甲を強化した大型トラックで封鎖する、とい言っているわけだ。


都市における、ある種の野戦築城と言ってもいい。荷車を移動させるだけで、革通りは城壁の中の城塞になるのだ。


サラは、俺の説明を目を見開いて聞いていた。


「そこまで、やるの」


「やる。そうしなければ、皆を守れない」


少し間をおいてから、サラの目を見て言う。


「最初は、サラだけを守れればいいと思っていた」


「き、きゅうに何いってんのよ、ケンジ」


とたんに、サラの挙動が不審になる。

それには構わず、言葉を続ける。


「いざとなれば、俺とサラだけで逃げればいい。事業ならどこでもやり直せる。そう思ってた。実際、伯爵様に脅された、と思った時はそうするつもりだったしな」


あの時は、工具だけを持って他の街へ逃げるつもりだった。

何しろ、何も持っていなかったから。


「だけど、今は違う。俺を頼ってくれる大勢の人がいる。この工房で一生懸命に働いて、結婚して、子供と一緒にご飯を食べている人達がいる。見捨ててはいけないよ。だから、準備をする」


そう言い切ると、サラが満面の笑顔でこちらを見つめていた。


「なんだよ?」


「ううん。なんだか、すごくケンジっぽい、と思って」


ケンジっぽいってのはなんだ。

それに、満面の笑顔で見つめられていると、何だか背中が痒くなってくる。


「それで、ケンジは本当に何かが起こると思ってるの?」


「正直なところ、わからない」


ジルボアが言っていたから、準備をしている。それだけだ。

俺が何かを感じているか、と言ったらノーだ。

だが、俺は街中で暮らしている自分の勘よりも、最前線で怪物相手に剣を振るい続けているジルボアを信じる。


「それだけ準備したら、どんなことが起きても大丈夫よね?」


「いや、大丈夫じゃない。製粉所のための領地と、印刷業については今のところ守りようがない。何かあれば、捨てることになると思う」


「あんなに頑張って準備したのに!」


サラが抗議の大声をあげるが、俺は首を振る。


「そうだ。だけど、全部を守ろうとすると、何もかも失うことになる。絶対に守るものと守れないもの、は混同したらいけないと思う。今の自分の手の長さだと、この工房までが精一杯だ。この工房さえあれば、幾らでも取り返せる」


何ができて、何ができないのか。自分の手の届く長さを見誤ってはならない。

以前は、自分ともう1人が精一杯だった。

今は、街の1画を何とか守り抜く算段ができる。


そう思えば、俺の手は少しは伸びたのだろうか。

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