第609話 商売人の誇り

聖職者達がパン屋の情報を一渡り眺めて満足したところを見計らって、声をかける。


「そろそろ、ご満足いただけましたでしょうか」


「う、うむ」


少しばかり居心地が悪そうに、聖職者達がパン屋情報の冊子を戻してくる。

それらを回収しつつ、続けて別の声についても説明をたたみかける。


今、流れはこちらに来ている。


「もう1人、私の工房の元で働いている人間の声を紹介したいと思います。その者は、この街の商家の出でありまして、傭兵団で金銭の管理などをしていた者を、今の仕事に引き抜きました」


「ふむ。まあ、お主のところは手広く事業を手がけておるようだからの。そういうこともあるか」


相槌をうってくれたのは、白い眉の聖職者である。


「はい。その者も、先程の農民のように、自分達もぜひ、伝えたいことがある、と冊子を作り始めたのでございます」


「帳簿の付け方か。まあ、商人には必要であろうな」


黒ヒゲ司祭が、唇の端を歪めて小さく頷いた。


教会でも出世する連中は、領地や教会の部門の金勘定は必須の技能である。

聖職者教育は基本的に法学のように議論を中心とした教育内容であるが、金銭や帳簿についても必要最低限の知識は求められる。


「それが、その商家の者の言うには、今すこし違うものについて関心があったようなのです。なんでも、商人には商人の英雄が必要なのだ、とか」


「英雄とな」


「はい」


商人と英雄という言葉の組み合わせに、またも不整合を感じたのか、聖職者たちの視線がこちらに向いた。


飽きやすい聖職者(えらいさん)の関心を引き続けるためには、説明の合間、合間に相手を引きつけるフレーズをはさみ続けなければならない。


商人の英雄、という言葉はその役割を十分に果たしてくれたようだ。


「教会にとりまして、民は導くもの、憐れむものであるかもしれませんが、同時に、すべての民は自分達の生き方に誇りを持ち、また自身の物語を必要とする者たちでもございます。


幼子が就寝の前に両親に物語をせがむように、民は自分達の生き方の指針となる物語を必要とするのでございます。騎士が勲(いさお)しの物語を必要とするように、商いを志す者達にとっても、素晴らしい商いをうちたてた商人の話、という物語を求めているのでございます」


「商いの物語のう・・・」


ここにいる聖職者達は、本当の意味で小銭を数えるような商売をしたことはないのだ。

商いの物語、と聞いても、何を指すのか、理解が及ばないらしい。

そこが、この際はつけめだ。


「さようでございます。大きく安定した商家であっても、その商売の幅というのは案外に狭いものでございます。というのも、各々の商売の種というのは各商家で秘するものでございまして、他の商家には決して教えたりはしないものでございます。ですから、どこどこの商家がうまい商売をしている、などとことを噂で知ることはあっても、商売の畑が異なれば詳細については理解が及ばない、というのも、よくあることでございます」


「まあ、そういうものであろうな」


商家も本当の意味ではわかっていないのだ、という情報をだすと聖職者たちも共感して頷いてくれる。

自分達でさえわからないものを、商人がわかっているはずがない、という思い込みもある。


「商家というのは、常に新しい商売の種を探し求めております。他者の成功は、商売の種、そのものなのです。言い換えますと、他者の成功の物語を、商家の者達は求めているのです」


「それが商家の英雄ということか。しかし、商いは商いでしかなかろう。そこに上下の差はあるのか」


商売の成功、というところまで噛み砕いて説明すると、彼らなりに疑問も出てくるらしい。

いわく、所詮は商売ではないか、と。

そこに商売を下のもの、と見る視点を感じずにはいられない。


「商売を生業とするものには、彼らなりの倫理というものがあるそうです。私の聞いたところによりますと、若い商売人の憧れとなる商売人には、幾つかの特徴があるそうですね」


「倫理とな」


倫理という単語には、聖職者として反応せずにはいられないのだろう。

思わず、という感じで黒ヒゲ司祭が言葉を挟んでくる。


「ええ。倫理というと大袈裟に聞こえますが、格好良さ、と言い換えても良いかもしれません。儲けさえすればいい、というのは商人のあり方としてはみっともない、と若い商人は申しておりました。


その格好のいい商人の物語を、彼は広めたいそうです。なかなか愉快なこだわりを持っていたので、できればここで紹介させて頂きたいのですが、よろしいでしょうか」


聖職者たちの顔を見ながら確認すると「許可する」という声に、全員が静かに頷いた。


「ありがとうございます。それでは」


咳払いをしてから、羊皮紙の中身を読み上げる。


「尊敬される商売人としての倫理には、大きく4つ要素が求められるそうです。


1つ目は、商売を独力で立ち上げること。親類縁者の力でなく、己の力で商売を立ち上げることが重要だそうです。


2つ目は、その商売を危険を乗り越えて大きくすること。危険(リスク)のない商売では、大金を掴むことはできない、というのが彼らの信条だそうです。


3つ目は、商売を一つでなく複数の異なる商売を立ち上げることも、尊重される事項だそうです。一つの商売だけだと、それは運かもしれない。複数の商売を成功させることで、その才覚を証明できる、というのが理由だそうです。


最後に、その商売が世の中のためになること。商売をすることで、自分も相手も得をする。そういった商売が本当の商売だとのこと。相手を騙して利益を得る商売は長続きをしない。だから、双方が得をする商売を目指すのだ、ということだそうです」


説明を終えると、その場に苦笑するような、生温かい空気が流れたように感じた。


「何とも、若いな」


それは権謀術数を勝ち抜いた聖職者たちの自嘲の笑みであったかもしれない。

だからこそ、まっすぐに目を合わせて意見を述べる必要性を感じるのだ。


「ええ。ですが、私はこの種の物語が広まることは、良いことだと思っています。商家にとっても、商売の倫理を確立させることは長期的には利益をもたらします。若い商売人達が冒険的な商売に乗り出すことで、街の経済は活性化します。何より、若い商売人達は、自分達の商売について自尊と自信を持つようになります。どんな階層、どんな職業の人間にも誇りは必要です。私は、商家の人間たちにも正しく誇りを持ってほしいのです」


「誇り。誇りか」


こちらを見返す聖職者たちの目からは、先程までの馬鹿にする空気は消え、静かな沈黙が返ってきた。

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