第610話 お互い人間なのだから

「誇りか・・・」


聖職者たちの反応が、いまいち鈍い。


偉い聖職者様達には、下々の貧しい人間達が、己の職分に誇りを持ち、前を向いて生きているということが、どうもピンと来ていないように感じる。


偉い人達だから生活感が不足している、あるいは生活習慣の違い、と言ってしまえばそれまでだが、この世界では1等街区の住人と3等街区の住人の暮らしは物理的に壁で隔てられている以上に、社会的に断絶があり過ぎるのだろう。


暮らしが違いすぎ、情報の行き来がなさすぎる。

だからこその印刷業の意義なのだが、自覚のないところに必要性は認識されない。


先程のパン、という切り口は良かった。

パンは、貧乏人でも偉い人でも、共通して食べるからだ。


だが、誇り、という切り口は良くないようだ。


本来は、続いて剣牙の兵団のジルボアの英雄譚を続けることで、庶民の娯楽の話につなげたかったのだが。

どうも、うまくいきそうにない。


なので、説明(プレゼン)の作戦を変えることにした。


相手の興味や関心、理解度を確認しながら方向を変えられるのは、対面型の説明の良いところだ。

方向転換前の、次に話そうとしていた内容は思い切って捨ててしまう。


戦略変更だ。


「先程のパン屋の地図の印刷ですが」


つかみの良かった、パンの話に戻す。


「当然、宮廷料理や宴席の肉料理についても調理法を広く知らしめることができます。詳細な図がついたものを印刷することができますから、遠い異国の地の料理も再現することができるでしょう」


宮廷料理、と聞いて司祭たちの目の色が変わる。

やはり、自分達に関係のある事柄だと、食いつき方が違う。


「だが、印刷だけを見て、果たして再現できるものかな?」


白い眉の聖職者が、もっともな疑問を呈するが、当然、こちらも答えは用意してある。


「パン屋の地図を作る時に苦心したことですが、字が読めなくとも料理できるよう工夫してあります。例えば、調味料の量や種類は、絵の文字でわかるようにしております」


元の世界の洗練されたマニュアル作成文化、というやつだ。

図、絵文字、レイアウト、全てが元の世界基準のスッキリと整理された情報配置となっている。


「パンを作る際の小麦粉の量を計測するのには、税を集める際の升を基準に定めております。塩やバターの量については、小さな匙を基準にしております。この匙は、パン屋の地図を印刷する際に、同時に配布する予定であります」


おまけに、レシピには計量の基準まで記してある。

本当は時間についても記したかったが、時計が普及していないので断念したのだ。


「同様のことが、宮廷料理や宴席料理についてもできるのではないでしょうか。料理人たちには嫌がられるかもしれません。ですが、優れた料理人にとっては、名を売る機会(チャンス)でもあるのでは、と考えております」


「ほう」


黒ヒゲ司祭が、なぜか話題に食いついている。

少し意外に感じつつも、言葉を続ける。


「なぜなら、新しい料理を考案し、それが印刷を通じて広まることになれば、それは料理人にとって歴史に名を残すことと同じ意味があるからです」


「つまり、良い料理は、考案した料理人も歴史に名を残すだけの価値があると?」


黒ヒゲ司祭が、唇の端を歪めながら皮肉げに問う。

それには、胸を張って答える。


「それは民が決めることです。良い料理かどうかは、食べた者が決めることです。良い料理であれば、料理法は知りたいという声は高まるでしょうし、その声に印刷業として応えます。民の声とは、そういうものです」


民の声、というところを強調する。


「ふうむ。それが民の声だと」


「民の声に応え続けることで、皆様が食される晩餐も彩り豊かに、種類も増えるものと確信しております」


「それは、まあ・・・」


「悪くはないな」


聖職者達が、お互いに顔を合わせて小さく頷き合う。


どれだけ階級が離れ、社会的に断絶していたとしても、結局のところ、お互いに人間なのだ。

美味いものを食べたいし、他人が良いというものは気になるし、知りたいのだ。

そうした下世話なところを出発点として、共感を得ることはできる。


まだ説明(プレゼン)は中盤に差し掛かったところだが、小さな手応えを感じた。

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