第607話 偉い人を説得するには

偉い人を説得するには、何を、どう話すべきか。


教会の掲げる大義名分を中心に話す、という手法は対立者の文句を封じる手段にはなりえても、中立者の賛同を得るためには弱い。

もうひとつ、彼らの背中を押すための何かが必要になる。


そこで、中立の立場の聖職者の説得には、ニコロ司祭向けに準備してきたモノが役に立つ。


「こちらを、ごらん下さい」


小さな布切れに包まれた、黒灰色の金属の欠片を聖職者達に見えるよう示す。


「なんだ、その小汚いモノは」


案の定、黒ヒゲ司祭などは眉をしかめて、不満げに鼻を鳴らした。


実際、遠目に見れば小汚い金属の欠片に過ぎない。

他の聖職者たちも、小さく頷いて先を続けるよう促してくる。


「これは、賤貨でございます。半分に割られていますので、半賤貨とでもいいましょうか」


「賤貨か。勿体ぶるから何かと思えば。待て、割れているではなく、割られている、と言ったか」


「さようでございます。申し上げるまでもありませんが、賤貨というのは銀貨の下の大銅貨、その下の銅貨、の次に来る最小の単位の貨幣でございます。3等街区の市民でも、とりわけ貧しい地区で使われておりますので、尊い聖職者の方々には直接に目を触れる機会は少ないかと思われます」


大聖堂で働く聖職者ともなれば、普段の仕事や行動範囲で実際の貨幣を目にすることは少ないに違いない。

彼らの扱う金額は単位が金貨であり、やり取りする相手も貴族や大商人が中心であるから、金というのは抽象的な数字として帳簿の上を右から左へと移動していくものであろう。


「ちと、見せてくれんかな」


黒ヒゲ以外の眉の白い聖職者が手をのばしてきたので、小さな布ごと賤貨の欠片を渡すと、物珍しげに隣の聖職者と小声で何か話しながら、ためつすがめつ眺めだした。


ここまでの流れは、狙い通りである。


意表をつく言葉を選び、こちらに意識を集中させる。

珍しいモノを手にとらせることで、こちらへの敵意を逸らす。


人間、一度に2つのことに集中することは難しいので、気を逸らすことには、一定の効果がある。


それに、偉い人というのは、目に見えるモノに弱い傾向がある。


自分達の頭が良いので、説明者の頭の良さや論理の見事さには感心しない。

そんなものは、あって当たり前のものだからだ。


同じ理由で、書面の文章や調査なども、あまり信用しない。

自分達なら、それらを装飾することが如何に容易かを、知っているからだ。


ところが、自分達の知らない事実やモノには子供のように高い関心を示す傾向がある。

論理や知識に優れた人間が、一周回って目の前のことしか信じなくなる、というのは人間の判断能力の興味深いところだ。


緊迫感の中で始まった説明(プレゼン)の空気は、明らかにこちらに優位なように流れ出している。


「それで、この小汚い賤貨がなんだというのだ!」


そんな弛緩し始めた空気を断ち切るように、黒ヒゲ司祭が大声をあげた。


「その小汚い賤貨は、小汚い市井の民の1食の価格でございます。司祭様」


微笑んで答えてやると、黒ヒゲ司祭は一瞬、言葉を詰まらせた。


「貧民街では、賤貨1枚でおよそ一杯の麦粥を食することができます。彼らは街中の怪しげな屋台などで売られているそれを食しているわけですが、さらに貧しいものは薄めた粥を求めるわけです。賤貨よりも小さな単位はございませんから、それを2つに割って使用いたします。それが今、お手にされている2つに割られた賤貨でございます」


聖職者達を見回すように説明をすると、ニヤニヤと笑みを浮かべたニコロ司祭とは対称的に、黒ヒゲ司祭は今にも舌打ちしそうな、苦々しい顔つきでこちらを見ていた。

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