第596話 増える仕事

まず、印刷業を通じて、どんな状態を実現したいのか。

なるべく具体的に想像してみる。


この手の作業は黒板を前にして、議論しながら進めるのがいい。


「具体的にって、どういう風に想像するの?」


サラが、どうやってゴールを明確にするのか、そのイメージについて聞いてくる。


「そうだな。今回は駆け出し冒険者の2人組になったつもりで考えてみたい。どうやったら、あの若い連中が、街へ出てきて、まともに冒険者稼業を始められるか。どんな知識やコネがあれば、橋の下で暮らさずに済むか。それを考えるんだ」


「あの子達で考えるのね。でも、それなら聞いてみた方が早くない?」


「参考にはなるが、本当はどうして欲しかったか、なんて本人達にもわからないだろうな」


本当のニーズを顧客に聞くのが誤っているように、本当はどうして欲しかったか、など彼らに聞いても無駄だろう。


そもそも、そんな答えを考えられるのであれば飢えと寒さに震えて橋の下暮らしで搾取されながらスライム狩りをするような羽目にならなかったであろうし。


「冒険者ギルドに、あの2人組が冒険者ギルドに訪れたとき、どんな状態であればスムーズに冒険者稼業を始められたんだろうか?という答えを一つ一つあげていけば、印刷業が何をできるのか、具体的にイメージができると思う。まずは例を上げて、検証していく感じかな」


ゴールを具体化するために、条件を一つ一つ分解して、具体化する。

あまり頭の良いアプローチとは言えないが、取っ掛かりとしては悪くないはずだ。

本当に頭が良ければ回り道なく直感でゴールを見極められるはずだが、凡人の自分としては一歩一歩、論理を固めていくしかない。


「よくわからないけど、あの子達が困らないために何があれば良かったの?ってことならわかるような気もするわね。そう・・・まずは、お兄さんが、その亡くなっていたことを知りたいわよね。もし知っていたら、そもそも村から街に来ていなかったかもしれないもの」


趣旨を理解してくれたサラが、議論の取っ掛かりとして最初の例をあげる。


「そうだな。今は死んだことが明らかなら教会の共同墓地に葬ってもらえるが、そこまでだものな」


"冒険者が死んだ場合、遺族に連絡してもらえる仕組み”と黒板に白墨で書きつける。


「手紙を出す程度の資金を預けておけば死亡連絡をしてくれる事業、なら出来るかもな」


「でも、冒険者は字が書けない人も多いじゃない?」


「それは代書屋なりに任せるさ。教会に資金と手紙を預けておいて、冒険者ギルドから死亡者の連絡をする。教会は死亡者のリストと手紙のリストを照らし合わせて、該当する冒険者がいれば教会便に載せて遺書と死亡通知を発送する。それだけで、街に来たのに頼る先がない、なんていう情報の行き違いがなくなるだろう」


「・・・ケンジって、やっぱり変」


「いや、別に当たり前の仕組みだろう?」


教会と冒険者ギルドで情報の遣り取りができるようになった今なら実現できる仕組みだ。

冒険者ギルドに登録する動機(インセンティブ)も高まるし、教会は既存の連絡網を活用することで冒険者からの資金を預かることができる。


「教会の人は、そんな面倒なことをやりたがるかしら?」


「冒険者全員が貧乏なわけじゃない。例えば剣牙の兵団の連中を見ろ。ああいう銀貨を稼ぐような連中が死んだら、その遺産は結構な額になる。その財産を遺族に送り届ける仕事に食い込めれば、手数料は相当なものになるはずだ。そう説得すれば、きっと引き受けてくれるさ」


冒険者は、基本的には故郷を捨てた連中の集まりだ。冒険の途中で死んだ場合、大抵は冒険者仲間や街で配偶者を得た場合は、その関係者で遺産が配分される。

だが、中にはやむを得ない事情で捨てた故郷に財産を遺したい冒険者もいるはずだ。

死亡通知の請け負いは、そうした財産管理の需要に食い込むきっかけとなるだろう。


「ケンジ、なんだか仕事が増えたような気がするんだけど」


「・・・奇遇だな。俺もそう思った」


俺が悪いわけじゃない。

冒険者のための仕組みがいろいろと未整備な、この世界が悪いんだ。

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