第三十六章 印刷業で冒険者を支援します
第595話 再始動の印刷業
「結局のところ、駆け出し連中に情報が行き渡らないことが問題なんだよな」
なぜ、駆け出し冒険者達が搾取されるままになっていたのか。
逆に言えば、なぜマルティンが無理な商売を続けることができたのか。
それは街にくる駆け出し連中が孤独だからだ。
街に伝手がなくやってきた場合、オススメの宿も、最初にやるべき仕事も、何もかもわからない状態に置かれる。
だから、怪しげな仕事に手を出したり、無理な依頼を引き受けては痛い目にあったり、死んだりする。
「あの2人組も、兄がいなくなっていたことが原因だしな」
同郷の者を頼る、という選択肢もある。
ただ、冒険者の場合は入れ替わりが激しく、街に依頼でいないことも多い。
決まった拠点を構えるだけの財力を持った冒険者はさらに少なく、顔を合わせない状態で連絡を取る手段がないことが、さらに駆け出し冒険者を孤独にすることに拍車をかけている。
「それじゃあ、どうしたらいいの?」
「字を憶える、というのが一番の早道ではあるんだが・・・」
字を書ける、というのは強力なツールである。
社会的なコネがなくとも情報に接することができるし、その場所にいない人間ともコンタクトが取れる。
「そんなの、駆け出しの子達ができるわけないでしょ。そもそも、字が書けるぐらい教育を受けた子は冒険者になったりしないもの」
パンがなければケーキを食べればいいじゃない、というやつだ。
サラが言うように、字が書ければ街に出てきても冒険者以外の様々な命の危険が少なく実入りの良い商売につくことができるし、そもそも字が書ければ農村で村長の補佐をしたり教会の事務をしたりで、街へ出てくる必要もない。
「でも、それって教会に字を教える冊子を置く、って司祭様に提案するんでしょ?そういう話じゃなかった?」
冒険者ギルドで駆け出し冒険者の話をヒアリングしている際に明らかになった、駆け出し冒険者の搾取問題の解決に走り回っているうちに、すっかり忘れ去ってしまっていたが、ニコロ司祭に印刷業の将来についてビジョンをプレゼンする日は間近に迫っているのだ。
資料の準備自体はミケリーノ助祭と話すための準備段階で、おおよそ終わっているのだが、どのように話せば説得できるのか、というビジョンの軸が固まらない。
おそらく、このままの状態で話すと説得できずに失敗する。
そういう漠然とした不安がある。
「何ていうか、面白くないんだよな」
うまくいく提案や事業には、創造性があり、面白さがある。
プレゼンのスライドで例えると、最初の一枚から面白くないものは、最後まで面白くないのである。
「うーん・・・あたしにはよくわからないな、それってどんな感じなの?」
サラが尋ねてくる。
「サラは弓兵(アーチャー)だろ?弓から矢を放った瞬間に、この矢は当たる!って感じるときみたいな感じ、って言ったらわかるかな」
「それね。こう、獲物と線がつながって、矢が線に沿って真っ直ぐ飛んでいく感じ?」
要するに、ゴールのイメージがあれば過程をハッキリと説明できる、ということだ。
駆け出し冒険者達の実情を把握したせいか、単に教会に字を学ぶための本を置くだけで、彼らが字を読めるようになったり、街に出てきてすぐにまともな依頼を自力で発見できたりするようになる、という当初に掲げた駆け出し冒険者が救われるゴールを信じられなくなっているのが、この際は問題なのだろう。
自分で信じられるゴールがなければ、他人を説得することはできない。
当たり前のことだが、ニコロ司祭相手となると致命的な問題と言える。
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