第573話 会談の終わり

とは言え、現実というのは色々と面倒くさいもので。

こちらで段取りを考えたから、あとの面倒くさいところはよろしく、とは行かないものだ。

面倒くさいところの段取りまで整えて、最後のひと押しだけお願いします、というのが官吏の正しい姿勢であり、ミケリーノ助祭は当然のように優秀な官吏だった。


俺はミケリーノ助祭につかまったまま、教会上層部への持っていき方について、引き続き詳細な議論をする羽目に陥っていた。


「ここまでで、印刷業を管理する方法として、印刷機を管理する、印刷物を管理する、印刷の主体を管理するという3つの種類を説明したわけですが、この3つの種類の長所と短所を説明するだけで教会が意思決定できる、とは私も思っていません」


「そうですね。教会の内部でも意見は様々な利害の錯綜がありますし、派閥内でも意見は一つに絞ることはできません。正しい意見が通る、というほどケンジさんもナイーブではないように見えます」


ここまでは、組織に関わる実務者としての共通認識である。

誰もが正しいと思う選択肢であったとしても、それが素直に選択されることがないのが、人間が集まった組織というものである。

それに対し、どのように組織の人員を動機付けて、妥当な意思決定に持っていくことができるか。

官吏の腕の見せどころであり、こちらとしても知恵を絞る点でもある。


「私も、教会の中で政治的に取引できる部分を作っておくことが重要だと思っています。私としては、印刷業がきちんと立ち上がり、教会の利益と印刷業の未来が重なっていれば、それで満足なのです」


「それで、具体的には何を取引材料として考えていますか?」


「印刷業を実質的に管理する資源を誰が出すか、を取引材料にしていこうと考えています。具体的には人材と資金です。有能な人材と多くの資金を出す派閥が印刷業に対し発言権を確保する。そのような仕組みを作りたいですね」


いつの時代も金を出す人間は強い。資金を出すことで事業に対する発言権を確保することが出来る。

有能な人間を出せば、事業の内容自体に発言権を確保できる。

金と人を出せば、印刷業の将来に大きく関与できる、ということだ。


「なるほど。教会の派閥争いのエネルギーを、印刷業の正否でなく、印刷業の利権争いに置き換えるわけですね。派閥争いをすればするほど、印刷業に有能な人材と資金があつまる、と。老獪というか、たくましいと言うか。あなたの発想は本当にユニークです」


俺の思惑に気づいたミケリーノ助祭が苦笑する。


「私は教会が前に進むお手伝いをするだけです。教会内の多くの有能な方々の能力が、有益に活かされることを祈っているのです」


建前ではあるが、本音でもある。教会のように大勢の有能な人員を抱える組織が世の中の進歩を止める側に回っては、人類社会にとって巨大な損失となる。

こちらで提供した幾つかの利権が、少しでも教会という巨大組織を進歩に前向きにする契機となってくれることを思ってやまない。


「そんなこと・・・一介の平民が考えることではありませんよ。それは雲の上の方々が考えることです。ですが、ケンジさんの言うことに理があることも認めましょう。確かにこれは、取引の材料になります。教会は印刷業について、有益な決定を行うことができるでしょう」


「それは良かった。では、後はお任せして・・・」


話が終わり、立ち上がろうとするところを、ミケリーノ助祭の言葉で制された。


「そうそう、ニコロ司祭がケンジさんに会いたがっているそうです。近日中に連絡しますから、そのための準備をしておいて下さい」


「それは・・・ミケリーノ助祭にお任せしたいのですが」


「いえいえ。直接に報告を聞きたい、との強い要望を頂いていますので」


俺の意見を却下するミケリーノ助祭の顔は、最初に印刷業について報告した際の顰め面とは異なり、妙に晴れやかだった。


◇ ◇ ◇ ◇


「人間は他人の不幸を喜ぶ昏い性質があるし、仕事という不幸は誰かに押し付けることで少し幸せになれる」


「いきなり何の話なの?ケンジ」


事務所の椅子に座り、背もたれに寄りかかりながら呟いた独り言を耳にしたのか、サラが心配そうに聞いてくる。


「いや。少しだけ信仰心が薄れた、という話だよ。気にしないでくれ。ん、新作だな」


「これね、少し配合を変えたの。あと薄いカップで飲むと少し感じが違うのよね」


サラが淹れてくれたハーブ茶を飲みながら、ミケリーノ助祭との会談の首尾について思いを巡らす。

果たして、あの会談は成功だったのだろうか。あるいは失敗だったのだろうか。

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