第560話 パスタ料理
なんか、いろいろ有耶無耶になったな」
あの後も印刷業の展開とニコロ司祭へのプレゼンをどのようにするべきか、アイディアを議論しようと思ったのだが、サラはパスタで目が座っているし、シオン以外の独身連中には投げやりな雰囲気が漂っているしで、ろくに仕事にならなかったのだ。
結局、そのまま解散し、今は事務所に俺とサラの二人きりだ。
「そうね。まあでも、仕方ないじゃない?それにシオンがもてるのは当たり前なのに、どうしてあの人達はショックを受けてたの?別に今すぐ結婚したいわけじゃないでしょ?」
「そうだなあ。説明は難しいが、シオンに負けた、と思ったんじゃないかな」
「結婚は勝ち負けじゃないでしょう?」
サラの言うことは正しい。だが、男の心情は正しさだけで回らない繊細な部分もある。
この場にいない彼らのために、少しだけ弁明を試みる。
「それはそうなんだが・・・シオンは、どちらかと言えば新人管理の中じゃ目立たなかったじゃないか。聖職者の連中のように元から高度な教育を受けていたわけじゃないし、剣牙の兵団の連中のように押し出しが強いわけでもない。口だって立つ方じゃないから、少し下に見ているところもあったんだろう。だから、実はシオンの方がずっと大人だった、ということにショックを受けたんじゃないかな」
「あきれた!そんなこと言ってるからモテないし、結婚できないのよ!」
バッサリと否定するサラ。
「そう言ってやるな・・・」
男が集まれば、どうしてもそのあたりの力の比べ合いというか、鶏のつつき合いのような行動が起きる。
それは中ば本能のようなものだ。
女性は、そのあたりの男のアホな行動に対し評価が辛辣な傾向がある。
情勢の悪い時は、話題を変えるに限る。
「とりあえず、パスタの練習をするか」
「ほんと!」
案の定、サラが食いついてくる。
「ああ、だが素人料理だ。あまり期待しないでくれよ」
小麦粉はサンプルがある。卵も1つだけだが、ある。塩もある。
どうやら麺は作れそうだが、問題はソースか。
肉屋はとっくに店じまいをしている時間だから・・・と、事務所内を見回していると、サラが植えているハーブ類が目についた。
「あのハーブもらっていいか?あとサラのナッツも少し」
「えー・・・ううん、仕方ないか・・・ぜっったい美味しく作ってよ!」
「無茶言うなよ」
この世界にレシピ本はない。
だから、俺の数年前に遡る自炊経験と、友人宅でのパーティーの手伝いの記憶だけが再現の手がかりなのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
そうして事務所の小さなストーブで塩を加えて湯を沸かしつつ、小さなキッチンでド素人の生パスタ再現が始まった。
「まずは麺だな」
小麦粉、卵、水、塩を軽量スプーンなどないので、目分量と乏しい経験で混ぜていく。
薄力粉や強力粉などの区別はわからないから、本当に適当だ。
ただ小麦粉という材料は偉いもので、素人でも手で捏ねた感触を思い出しながら苦闘していると、それっぽい生地ができあがった。
横から俺の手際を覗き込んでいたサラが言う。
「なんかパンを作ってるみたいね」
「同じ小麦粉料理だからな。そんなに変わらんだろう」
俺の答えもいい加減だ。
小麦粉を捏ねるなど数年ぶりなので、そのあたりは勘弁して貰いたい。
「これを一旦休ませる、というのは憶えてるんだよな」
捏ねて丸めた生地を清潔な布で包んで置いておく。
本当なら冷蔵庫に入れていたような記憶もあるが、当然、そんなものはない。
「あとはソースか」
バジルっぽいハーブとナッツとを鉢ですりつぶして、あとは高級品の植物油と塩を加えるだけだ。
ゴリゴリとハーブを磨り潰すと、爽やかな香りが鼻孔を刺激する。
「すごいね、いい香り。なんか、お茶のソースって感じ」
お茶のソース、という表現に思わずズッコケそうになったが、確かにバジルソースは、日本人の感覚的には抹茶ソースのようなものかもしれない。
そこに高級品の植物油を壺から適量を垂らして加えていく。安物の獣脂ではない。
獣脂は食用にできない怪物から取れる数少ない資源だ。
怪物の皮加工の過程で皮の裏にみっしりとついた脂をこそげ落とす過程があるので、革通りでは結構安価に照明用の獣脂が手に入る。
暖炉の点火剤として使われることもあるぐらい、油としては安価なものである。
だが、植物油は違う。香りのいい植物油は貴族向けの化粧品などに使われているぐらいで、食用の植物油は3等街区の住人にはなかなか回ってこない。
とはいえ、会社(うち)は香油を靴の整備用に大量に購入しているし、ゴルゴゴの下で見習いをしているエラン少年が奉公していたのは2等街区の油商家だ。
そういう理由で、新鮮な植物油が手に入るのだ。
「なんか、美味しくできそうね!このソース、パンにつけて食べてみたい!」
サラのテンションがあがっているのを感じる。
確かに、そういう食べ方もあり得る。
パン食が普通になれば、この種のソースも増えてくるだろう。
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