第561話 元の世界の味

ド素人のパスタ料理の試行錯誤は続く。


寝かせておいた生地を麺棒で平らに伸ばしていき、打ち粉を塗って折りたたんで、また伸ばす。


まともな料理をするのは、本当に久しぶりだ。

こちらの世界に来てからは、ほとんど初めてかもしれない。

意識的に避けていたのかもしれない。

手を動かしていると、元の世界のことを思い出してしまうから。


「どうしたの?ケンジ?」


俺が手を止めたので、サラが訝しんで顔を覗き込む。


「いや、ちょっと手順を思い出してただけだ」


今の暮らしも、慣れてしまえば別に悪くはない。

自分のためだけに働いていた前の暮らしも気に入っていたが、世の中のために知恵を絞るこの暮らしも、それはそれでやり甲斐はある。

ただ、もう少しだけ簡単(イージー)な道行きであれば良かったのだが。


薄く伸ばされた小麦粉のシートを、調理ナイフで慎重に細く切っていく。

昔からカットは苦手だ。

それでも丁寧に切ればなんとかなるもので、多少は時間がかかったが、何とかそれなりの量の生麺を作ることができた。


◇ ◇ ◇ ◇


塩をタップリ入れた湯で生麺を茹で上げている間に、浅い鍋を火にかけてニンニクの欠片で植物油に香りをつける。


「すっごくいい匂い!」


「そうだな、まあどっちも高級品だしな」


麺は適当なところで引き上げて、湯を切ってから浅い鍋に入れて植物油とニンニクの香りをつける。

ある程度、麺が乳化したところでバジルソースを投入し、二股にわかれた木のフォークで麺に絡ませる。


「すごい!はやく!はやく!」


もう殆どおあずけを食らった犬のように、飛び跳ねんばかりのサラに食器を用意してもらい、麺をクルッとフォークで渦をまくように載せて、最後に余ったオイルを上から回して完成、である。


「さあ、どうぞ」


俺が試食してから、などと言ったら暴動が起きそうだったので、サラに先に食べさせる。


「ほんと?ありがとう!」


フォークで麺を巻きつけるのに苦労しながら、口にはむっとバジルのソースが絡んだ麺を咥えると、サラが満面の笑顔で目を瞬いた。


「すっごい!美味しいよ、これ!」


今日、何度目のすごいになるのか。料理のこととなると、すっかり語彙が減ったサラが、すごい、美味しいと繰り返す。

そこまで言われると、俺も満更でもない。

小分けにしておいた皿から、バジルのパスタを食べてみる。


懐かしい。


決して美味いわけじゃない。

所詮は素人の俺がありものの材料で試行錯誤して作った素人料理だ。

だが、紛れもなく元の世界の味だ。


小麦粉と、植物油をタップリと使った元の世界の味がする。

不覚にも目蓋が少しだけ熱くなるのを自覚した。


「これ、絶対にお店に出せるわよ!ケンジ、お店やりましょうよ!」


サラがはしゃぐ声に、救われた気分になる。

今の俺には、守るべき人も帰るべき場所もある。


「なんだ、村に帰って家畜と農地を買うんじゃなかったのか?」


「あ、そうね!だけど、このぱすたっていうのも美味しいし、絶対に評判になると思うのよね?ケンジ、農村だとお仕事ないでしょう?」


「そうだな。製粉事業も無事に立ち上げて、靴の事業も軌道に乗ったら、それもいいかもな」


何しろ、主要な原材料の小麦粉を安価に仕入れることができるのだ。

肉屋がやる焼き肉屋のようなもので、最初から競争が優位に運べる。

製粉所の近くに店舗があれば、近隣の村々にも料理を広めることができるだろう。


サラと一緒に製粉所のある農村でパスタ屋をやる。

それもまた、将来の幸せな暮らしの一つかもしれない。

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