第546話 最善の場合

「最後に、最善の場合。この場合、銅貨を弾いて4回連続で表が出るような場合だが」


場がすっかり沈んでしまったので、少し大きく声を張り上げてシナリオの説明を続ける。


「教会に資金(かね)を出してもらって、印刷事業を立ち上げる。そうして教会の持っているノウハウや冒険者に配布するための冊子を印刷して、販売する。他に印刷して欲しいものを持ち込まれたら、料理の方法から娯楽冊子まで、何でも印刷するようにする」


ある種のジョイント・ベンチャーであり共同事業の発想である。

教会には資本と販売網がある。こちらには技術と経営と企画のノウハウがある。

それが最善の形で組み合わされば、大きなことができる。


「何でも?冊子って、そんなに何でもあるの?」


冊子と言えば、つい最近まで村の教会の神書と俺が作った帳簿類しか知らなかったサラからすると、印刷物が爆発的に広まると何が起きるか、ということについて想像が及ばないようだ。

それは、他の新人官吏達も同じである。


特に教会出身の2人は、神書をどうするか、ということについて懸念しているように見える。

本当に冊子の種類が多くなれば、そんなことは些細な問題になるというのに。


だから、冊子によって庶民が幸せになる世界を語る。


「そう。神書の印刷から始めることになるかもしれないが、貴族様の礼儀作法や、怪物の生態のような真面目な冊子から、貴族様が食べている美味しいパンの作り方や、流行りの刺繍や手芸なんかの趣味の冊子まで、何でも印刷を請けるんだ。新しい文化が、教会の主導で始められるんだ」


「美味しいパンの作り方・・・」


「そうさ。せっかく小麦粉を作っても、村の祭りの伝統のパンだけじゃつまらないだろう?教会の偉い人や貴族様の料理人は、白いパンだけじゃない、バターを加えたり、ねじったり、果実を加えたり、いろんな種類のパンを焼いてるんだ。その焼き方を書いた冊子があったら、小麦粉を欲しいと思う人が増えると思わないか?」


「あたし買う!」


サラが大きな声をあげる。

まあ、サラも今では小金を持っているから自分で使うのでなく、冊子を買った後で街のパン職人か、工房の職人の奥さんに作ってもらうのかもしれないが、具体的な冊子の用途を語ると、印刷機の使い方について、それまでの得体の知れない新技術が、急に身近に感じられるものになってきたようだ。


「確かに、製粉所で小麦粉を作るのであれば、その有効な使い方を知りたくなりますよね。小麦粉を用いた料理を街の平民にも広めるとは・・・」


これまでは、小麦粉の価格や小麦を粉にするための労働コストが高く、忙しい庶民は小麦粉があれば、パンを焼くか、練って捻るぐらいの比較的シンプルな調理法が多かった。

そこに安価な小麦粉が流入し、合わせて貴族の料理人が手がけているような調理が広まれば、小麦粉の需要は爆発的に高まるだろう。


「そうだ。そして、その安価な小麦を生み出す最新の大規模な製粉所に資金を出しているのも教会なら、製粉所を所有しているのも教会ということになる。その意味がわかるだろう?」


「・・・ものすごいことになりそうなのは、わかります」


俺やサラは、今では街の中産階級ということになっている。

2等街区に住む、少し成功した小金持ちの平民といったところだ。


これまで冊子を購入する層といえば、教義を語る聖職者や、礼儀作法などを伝える貴族階級などの社会の知識階級や上層部に限られていたと言っても良い。


それが、サラの反応を見ても明らかなように、中産階級まで冊子を購入するようになるわけだ。


「教会の利益になり、ニコロ司祭の利益になり、平民も豊かになる。おまけにサラは美味いパンが食べられて、ゴルゴゴも心置きなく働ける。これが、最善の場合だ」

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