第512話 麦酒の混じりもの
少し酔いの回った赤い顔でサラが、白いパンを指でちぎって、その綿のような断面を見つめながら言う。
「こんなに白いパンでも、少しは混じりものがあるのよね」
見れば、白いパンの断面に小さな茶色い欠片が見える。
「たぶん、麦の殻ね。あたしが村のお祭りで食べた白いパンには、もっとたくさん入ってた。だけど、凄く美味しかったなあ・・・」
農村で祭りの際に村民総出のパン作り。思い出の味、というわけだ。
素人の手作りであったろうけれど、子供にとっては1年に1度の美味であったろう。
「だけど、ケンジの言うとおりに水車小屋が回ったら、こんなに白いパンも毎日食べられるようになるんでしょ?」
「すぐには無理だ。だけど、そうだな。何年かしたら、必ず」
そこへ割り込む者がいた。
「代官様、もっと麦酒を飲んでくださらないと!」
赤ら顔をしたベンサムだった。
「この麦酒も実に質が高い!さすが教会ですな!場末の酒屋で飲む麦酒ときたら、水で薄めている上に藁屑まで入っていますからな」
「わかる!いえ、わかります!そうですよね!」
麦酒については一家言あるサラが、ベンサムに賛同する。
駆け出し冒険者の連中が行くような居酒屋では、麦酒を薄めたり、麦酒の中でも樽の底の方に余ったものを集めて出すのが当たり前だ。
だから、脱穀した際の麦の殻などが注がれた麦酒の中に入っていることもあるし、そんなものを冒険者たちは気にしたりしない。
「大麦が水車で製粉できるようになれば、麦酒も安くなりますかな?」
「なりますよ」
反射的に答える。
大麦を大量に製粉するのであれば、水車が稼働すれば必ず安くできる。
石臼の劇的な性能向上が見込めないのであれば、その前に入念な準備工程を設けることで全体の効率をあげるのは、
製造業に携わったことのある人間であれば、ごく自然に出てくる発想だろう。
靴作りの時も、職人の数を増やさずに、お手伝いの子供たちを増やすことで靴の製造数を上げたのと同じやり方だ。
もっとも、麦酒は製造が複雑な食品であるから、製粉の工程が麦酒の価格低下にどれだけ貢献できるかはわからない。
「ただ、混じり物がなくなることは、お約束しますよ」
実は、昼間に議論した中で最大の収穫は、小麦の自動篩機の開発に目処がついた点だと思っている。
あれが本格的に稼働し、王国中に広まれば穀物の流通が変わる。
俺が手がけている製粉業などよりも、実は余程に大きな利権になるのではなかろうか。
なぜなら、小麦の等級を決める権利を教会が持つということになるからだ。
「まあ、俺には関係ないか」
関係ないことはないかもしれないが、関係ないことにして麦酒をあおる。
さすがに、そんなところまで手を出しては命が幾つあっても足りない。
クラウディオの報告書が届けば、ニコロ司祭が何とかするだろう。
「それは何か名前がつくの?教会小麦とか?」
赤い顔をしてサラが尋ねてくる。
精選された小麦の名前か。精選する技術が特別なのだから、ブランド名がついてもおかしくない。
すると、教会の印管理の部門にも話を通しておいた方がいいのか。
ニコロ司祭の利権ばかりが増えているな。
まあ、それでこちらの安全が買えるのなら安いものか。
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