第372話 旅立ちの少年
その日、稽古のために森のいつもの場所に来ると様子が違っていた。
日ごろ、突きの練習に使っていた立木が、途中から折り砕かれている。
熊か、あるいは猪か。
大型の動物であれば、自分の縄張りを主張するために目障りな何かを力任せに倒すことがある。
それぐらい、目の前の木は力まかせに折られているように見えた。
「獣であれば、食卓が豪華になるんだがな」
数年の間に、熊や猪は何度も相手にし、倒していた。
獣の巨体と力は怖ろしいが、獣は間合いの駆け引きができないので敵としては物足りなかった。
スイベリーが木剣を構えて、突く。それだけで、獣は何が起きたのかわからずに死んでいった。
動物の表情はスイベリーにはわからなかったが、一撃で脳や頭蓋骨を粉砕するため声も出させないのだから仕方ない。
ただ、今回のことは獣の仕業にしては、地面が掘り返されていないのが気になった。
折砕かれた枝も、爪や牙というよりは、何か原始的な道具で砕かれたように見える。
ふと、スイベリーは森の奥から強い殺気を感じた。
視線を凝らすと、人型の巨体が藪を掻き分け、ゆっくりと姿を現して歩いてくる。
大きい。ゴブリンに似ているが、自分よりも背が頭ひとつ分高い。
それに、右腕には棘の生えた太い棍棒を持っている。
あれで、木を砕いたのか。
「手下がやられて、頭にきたか」
答えは、長い腕と棍棒で繰り出される猛烈な攻撃だった。
速い。それにリーチが長い。
怪物を相手に、スイベリーは初めて下がった。
突きの稽古を始めてから、絶えてなかったことだった。
それを怖れととったのだろう。
ホブゴブリンは、醜い顔で吠え声を上げた。
自分を上回る巨躯。
当たれば一撃で命を奪われる凶器。
長い腕から繰り出される暴風のような攻撃。
本来であれば、命の危機に恐怖を感じるべきなのだろう。
だが、スイベリーは自分の頭が奇妙に静まり返っているのを感じていた。
敵が何であろうと、やることはいつもと同じだ。
怪物の目を見つつ、全身の動きに意識を広げる。
的(まと)が息を吸った。吐いた。
その刹那、木剣を軽く持った姿勢から、踏み込んで、穿つ。
何千回、何万回と繰り返した型だ。
地面を蹴って踏み込んだ両足の力を膝から腰の回転に伝え、背中から腕に捻るように腕をしならせて剣先に力を一点に集める。
真っ直ぐに進んだ木剣は、怪物が咄嗟に顔の前に掲げた棍棒を砕き、上顎を砕き、突き抜けた。
頭蓋骨のかけらと、脳漿混じりの血潮が飛び散る。致命傷だ。
しかし、怪物は死の間際に悪あがきを見せた。突きを放ったばかりのスイベリーに、鋭い爪で掴みかかろうとする。
咄嗟に、突いたばかりの木剣を素早く手元に戻し、逆に一歩踏み込んで怪物に密着し、剣を返した柄(つか)の先で短剣のように、相手の腹を突き上げる。
柄(つか)とはいえ、スイベリーが全身を使って生み出した力を至近距離で一点に受けた怪物は、半ば頭を失った巨体をかちあげられて、吹き飛び、土煙を上げて倒れこんだ。
「剣を槍のように、短剣のように、か」
ようやく自分の剣が、少しは形になった。
スイベリーは怪物の巨体を見下ろしつつ、満足気に呟いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
村に戻り、怪物のことを伝えると大騒ぎになった。
ホブゴブリンの襲撃は、普通の農村にとっては村の存亡にかかわる大事である。
それをまだ少年のスイベリーが、木の棒で倒してきたというのだ。
スイベリーが村に戻った時は日が暮れかけていたのだが、すっかり日が暮れた今では村中が篝火を焚き、松明を持って村の若い自警団が駆け回っている。
「重いから置いてきた。誰か一緒に来てくれるのなら取りに行ってもいいが」
スイベリーの答えに、村人はお互いの顔を見やり、勇気ある役目を譲りあった。
夜の森に入るなど、村人からすれば正気の沙汰ではない。
しかし、ホブゴブリンの襲撃が事実であれば、確かめないわけにもいかない。
結局、数人の村人がおっかなびっくり松明を持ってついて来ることになった。
夜の森の恐怖を紛らわすためか、村人たちは饒舌にスイベリーに話しかけてきた。
もっとも、スイベリーは無愛想に「ああ」だの「そうだな」などと答えるばかりだったので会話は一向に盛り上がらず、やがて話題も尽きる頃、戦いの跡に辿り着いた。
「おどろいた・・・。本当に倒れてやがるぜ」
倒した、と言わないあたり、まだスイベリーがやったとは信じられないのだろう。
「どうした?運ばないのか?」
言われて、慌てて村人たちは縄をかけ始める。
そうして手際よく手近な枝を組み合わせると、即席の橇(そり)を作り怪物の巨体を載せた。
「あんたも橇を引いてくれないか?」
村人に聞かれたスイベリーは答える。
「襲ってきた怪物をあんたが倒してくれるならな」
夜の森は、いつ別の怪物が襲ってくるかわからない魔境だ。
怖気を震った村人は、転がるように勢い良く橇を引きに戻り、スイベリーは周囲を警戒しつつ橇と並んで歩いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それじゃあ、どうしても行くのかい」
「ああ」
「領主様も兵士に取り立てて下さる、って話じゃないか。残るわけにはいかないのかい?」
母親が止める言葉に返事をしつつも、スイベリーの意思は固い。
ホブゴブリンを木の棒で、しかも一対一で打ち倒した少年の話は近隣で大評判になった。
土地を治める領主は、自分のところで兵士に取り立てる、とも言ってきた。
農民の子供にしてみれば、大出世である。
「いや、もう少し剣を磨きたいんだ。だから、もっと強いやつと戦いたい」
「今さら止めないが、あのちびベリーがなあ・・・」
父親が苦笑いをする。
父が子供時分のスイベリーに言った「槍のように短剣のように剣を使う」という言葉は、誤って伝わっていたのだ。
スイベリーの父としては、槍が得手なので、剣だけしかなければ棒の先に括りつけて、槍として剣を使ったほうがマシだ、短剣がなかったら剣の刀身を短く持って短剣のように使う、という意味で言ったのである。
実際、西洋の剣は刀身を掴めるように手元に刃がない剣もある。
ところが、何を勘違いしたのかスイベリーは、父親の言葉のままの剣技を独自に編み出してしまった。
しかも、その腕は少年にも関わらず自分など及びもつかない高みに届いている。
父親としては、苦笑いして送り出すしかなかった。
スイベリーがジルボアに会い、その旗の下で剣牙の兵団副団長として並び立つのは、その数年後のことである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それじゃあ、行ってくる」
あの日、村を旅立ったときと同じ言葉をかけて、家を出る。
あれから随分とたつが、スイベリーは変わらない。
周囲の人々は変わり、剣も変わり、環境も変わった。
それでも、あの少年のときのように、変わらず剣を振るう。
より、強くなるために。
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