第317話 買って欲しいものは
「ケンジさん、あなたは本当に次から次へと・・・」
と、呆れた声半分でミケリーノ助祭が言った。
「枢機卿様の靴の件が落ち着いたと思ったら、冊子を作ると言い出して、農村の現場を知るためというから司祭を紹介すれば、今度は男爵様と怪物退治ですって?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
久しぶりに1等街区で働いているミケリーノ助祭の元へ赴き、現状を報告したら呆れられた。
冊子配布に協力をお願いした手前、俺としては最大限に報告の義務を果たしているはずなのだが。
少しだけ事情が込み入っているので、報告書で済まさず直接足を運んだというのに、酷い言われようだ。
ところが、今日は一緒についてきているサラも、隣で腕を組んで、うんうん、と頷いている。
護衛についているキリクの顔を見ると、視線をさっと逸らされた。
どうやら味方はいないらしい。
反射的に手の平を向けて勢いを制する形になり、呼びかける。
「まあ、待ってください。私としては、いい話を持ってきたつもりなのですが」
「いい話ですって?」
と、ミケリーノ助祭の声が一段、苛立ち混じりに高くなる。
いかん、あまり機嫌が直っていない。
きっと、仕事が忙しすぎるのが原因だ。
ニコロ司祭の下で部下をやる、というのも、なかなか大変なのだろう、と微かに同情を禁じ得ない。
少し雑談でもして気分を和らげてから本題に入ろうと思っていたが、時間がなくて苛立っている人間には逆効果だ。
さっさと話を切り出したほうが良い。
「こちらを御覧ください」
と懐から小さな羊皮紙を取り出してミケリーノ助祭に見せる。
ちらっと目をやったミケリーノ助祭の目が、もう一度羊皮紙に戻り、釘付けになる。
ミケリーノ助祭の雰囲気が、明らかに変わった。
「これは・・・見事な絵です。この怪物は、まるで生きているようではありませんか」
声までが、真剣味を増している。
「ええ、男爵様の絵です。署名(サイン)もありますでしょう?」
俺は生きた魔狼が描かれた絵の下に記された署名を指差した。
ミケリーノ助祭は、さすがの俊英としての知識を見せつけるかのように
「ベルトルド男爵様ですね。自著であるように見えます」
と呟き、視線をあげてこちらを見た。
「この絵を冊子に入れて配布するというのですか。まるで美術品ではありませんか。教会に配るべき冊子は相当の部数になるはずです。それで良いのですか?」
「はい。元の絵は男爵様に描いて頂きましたが、これはある種の版画を用いて写し取られたものですから、100冊でも1000冊でもできます」
「版画!いや、たしかに筆の跡が見えませんし、版画と言われればそうでしょうが。私は、これだけ繊細な線で表現された版画は、初めて見ました。正直なところ驚きました」
狙い通り、ミケリーノ助祭が驚いてくれたので、冊子配布の話を進めるべく
「そうですか。ところでお話としては・・・」
と切り出そうとすると、ミケリーノ助祭は、わかっています、と強く頷いた。
「この版画の技術を売りたいのですね。確かに、神書にこの水準の挿絵がつくのならば、ニコロ司祭を含め上層部も納得するでしょう。まったく、ケンジさん、あなたはやはりどうかしています」
と、何を早とちりしたのか、ミケリーノ助祭は銅版画の技術を買い取る方向へと話を持って行ってしまった。
そんなつもりは、なかったのだが。
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