第316話 これからの絵描きは
新しい絵の技法とは言っても、特段に新しい技法ではない。
平らな銅板に鋼鉄製のペンで傷をつける形で絵を描き、そこにインクを塗った後で拭き取る。
そうすると、傷をつけた部分にだけインクが残るので、羊皮紙に押し付けて圧力をかけると描いた通りの絵が印刷できる。はず、だ。
中学だか高校の頃に、美術の授業で描いた記憶がある。
なにか銅版画にも色々な技法がある、と習ったような気もするが、あまり記憶はない。
男爵様の絵は塗りを重ねていくのではなく、細い線を基調とした写実的な絵であるから、技法との相性はいいはずだ
「版画のようなものか」
俺の説明を聞いて、男爵様もすぐに理解を示した。
だが、それほど良い印象は受けなかったようだ。
一応、この世界にも版画はある。
ただ、用途は神書の宗教がの挿絵を描くなどに限られているし、技術的にもそれなりの水準にとどまっている。
才能のある絵描きや工房は、聖堂の壮大な宗教画を描くことを好むためだ。
詳細はわからないが、神書の挿絵扱いである版画には、絵描きに十分な報酬が出ない、という事情が関係しているのではないか、と考えている。
「似たようなものですが、遥かに細密な絵を描くことができます」
例によって、この世界に来たばかりの頃、印刷業に手を出そうとして調べ回り、痛い目にあったことがある。
その当時は理不尽に思ったものだが、ニコロ司祭などの教会関係者と親しくするようになり、世の中の仕組みを知った今でなら、当時はどれほどピントハズレなことをしていのか、よくわかる。
「いつかは、聖堂の絵を描き大勢の目に触れる大作を手がけたいと思っていたものだが」
この世界で絵描きとして大成するなら、聖堂の宗教画を手掛けるのが一番の道だと言われている。
権威があり、多くの人の目に触れる機会があり、予算が大きいからだ。
聖堂を建てるのは莫大な建設費がかかる。
教会から資金提供はされるし、地元の貴族や有力者からの寄付もある。
当然、それを権威づけるための壮大な宗教画には大きな予算が割り振られるわけで、著名な絵の工房というのは聖堂建設という公共工事に特化したゼネコンのような体制で仕事をしているわけだ。
「私は、冊子を配り、そこに絵を描くことが、これから絵を描くものにとっての登竜門になると考えております」
一方で神書の挿絵、という仕事には大して予算がつかない構造である、と思う。
そもそも神書は売り物ではないし、利益を出すにしても布教のため最低限の利益がのるだけであろう。
神書は聖職者が教育を受ける際に自分で筆写するらしいので、まともな印刷業が育っていない、という事情もあるだろう。
著作権などもないから、絵を描いた人に部数に応じて収入が入る仕組みもない。
「男爵様の絵は、その流れの先駆けとなるでしょう。教会では今、新しい仕組みを用意しています。男爵様の絵を、その流れにのせたいのです」
「新しい仕組み?また何か喜捨でも要求するのか?」
と男爵様が怪訝な顔をして反問する。
男爵様からしてみれば、教会の仕組みが自分の絵に関係することなど、喜捨と称して金を集りに来るようにしか思えないのだろう。
方向性は違うが、その見識は間違っていない。
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