第315話 下向きの巨大なネジ

この街で飲まれている酒は、主として麦酒(ビール)である。


もちろん、元の世界のように洗練された味ではないが、素朴な味わいで労働者や冒険者に好まれている。

一方で、貴族や大商人になると、麦酒よりも輸入物の葡萄酒を嗜むことが多いようだ。

この街周辺では気候が合わないらしく、ほとんどの葡萄酒は南部からの輸入品となっており、流通価格が上乗せされるため高価な飲み物として認知されている。


スイベリーの義理の父である大商人は抜け目なく葡萄酒の製法についても研究しており、何かの伝手で葡萄酒の圧搾機を入手していたようだ。

交渉の結果、先方から運良くそれを借り受けることができた。

最後まで、一体何に使うのか、と不審がられていたが。


拡張したばかりの会社工房に運び込まれた圧搾機の外見は、巨大なネジ式の栓抜きのような外見をしていた。

原理は単純である。ロの形をした木枠の上から下に向かって巨大な木ネジがあり、そのネジを回すことで下に向かって圧力がかかるのである。そして圧力がかかる先には樽と葡萄があって潰される仕組みである。


その巨大なネジは今、葡萄ではないものに圧力をかけるべく、キリキリと摩擦音を立てて職人に回されている。


「よし、こんなものでいいだろう。少しだけ、この状態を維持だ。回転の目盛り、数えてあるな」


ゴルゴゴが緊張した声で注意を飛ばす。


「はい、しかしいい匂いがしますね。葡萄酒が飲みたくなります」


「何言ってやがる!お前にはお貴族様の酒なんて縁があるわけねえだろ!!」


圧搾機から微かに香る葡萄酒の香りに思わず軽口を叩いた職人に、別の職人から野次が飛ぶ。

どこの世界でも、酒飲みの言うことは変わらないものだ。


だが、作業に携わる職人たちの両の眼は言葉とは裏腹に、圧搾機で潰された先にあるものに、ジッと注がれていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


3週間ばかり、刻は遡る。



ジルボアと共に尋ねた男爵様のアトリエで、俺は男爵様の予想以上の探究心と、さらに繊細な筆使いに基づく写実的なデッサンにすっかり圧倒されていた。


やはり、怪物の図を冊子に描いてもらうのは、男爵様をおいて他にいない。

幸いジルボアが、人喰巨人捕獲の準備に3ヶ月の時間がかかる、と説いたので男爵様の時間をもらうことができた。


「しかし、まだゴブリンと魔狼しか観察できておらんのだがな」


と男爵様は不満な様子ではあったが、冒険者ギルドへの依頼を見る限り、半数近くの依頼はゴブリンと魔狼に関するものだ。

依頼の発生地で分類し農村からの依頼に限定することができれば、その割合は更に高くなるだろう。


「男爵様。モノは考えようではありませんか。全ての怪物を探求するのには時間がいくらあっても足りません。男爵様の作品の素晴らしさを、早期に世に問う必要があるではありませんか」


男爵様は研究者や芸術家にありがちな完璧主義に近い傾向があるようだ。

己の満足の行く成果が形になるまで、公開を控えたいのかもしれない。

だが、それでは冊子を待つ農民と冒険者が困ることになる。

1日遅れれば、それだけ非効率な仕組みの犠牲者が増え続ける、ということだ。


俺の必死の弁舌が通じたのか、男爵様は不承不承、魔狼の絵姿から描いてくれることになった。

そこで、俺は男爵様に爆弾を落とした。


「男爵様、新しい絵の技法に関心はございませんか?」

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