第318話 禁止すればいいのではないですか

技術を売ることに、特に拒否感はない。

ただ、今後の信頼関係のために、これだけは言っておかなければならない。


「技術を買い取っていただくのは構いませんが、今少しお待ちになられた方が良い買い物になると思いますよ」


すると、半分腰を浮かせかけていたミケリーノ助祭は怪訝な顔をして、こちらを見つめてきた。


「どういうことですか?」


ミケリーノ助祭の肩書は、教会の印を管理する部署の長である。

いわば知財管理のはしりである部門であるから、知的資産でもある技術の価値と重要性に対する感覚が芽生え始めているのだろう。

技術の目利きは、知財管理者の重要な資質である。

だから、ここできちんと技術の特性について理解してもらわなければならない。


「今回の技術には、まだ競争優位な点がない、ということです。有り体に言えば、模倣が簡単なのです」


ところが、ミケリーノ助祭は法律を学んだ権力機構の一員らしいことを自然に言った。


「しかし、それは教会で禁止してしまえばいいのではないですか?教会の印をつける靴を制限したように」


その事例を、ここで持ってくるか、と思わないでもなかったが発想としては理解できる。

だが、ブランドと技術では扱いが異なる。

ブランドは禁止して守れば良いが、技術は競争を奨励し発展を促すという観点が必要なのだ。


「そうですね。事実をお話しますと、この怪物が描かれた版画は平らな銅板に鋼鉄製の器具で傷をつけ、そこにインクを塗りつけて、圧力をかけて押し出したものです」


「銅板に!なるほど・・・。しかし、そのような技術の秘密を話してしまって良いのですか?」


「もう少し秘密を明かしてしまいますと、銅の板の傷のインクを羊皮紙に押し付けるのは、とても力が要ります。人間の力では無理なほどです。そこで私は、葡萄を押しつぶすための道具を用いて押し付けたのです」


「ほう!葡萄酒!確かに教会でも南部では葡萄酒を生産しているところがあると聞きます。私は見たことがありませんが、そういった器械があるのですね。なるほど、教会でもできそうです」


ミケリーノ助祭は興奮に目を輝かせて、今にも報告書を書いて契約金を払ってしまいそうだ。


「ですが、この技術にはまだまだ、発展の余地があります。つまり、まだ欠点が多いということです」


欠点、という否定的な言葉を聞いてミケリーノ助祭の眉が曇る。


「どういうことですか?欠点とは?」


俺は頷いて説明する。


「まず、これは版画全体に言えることですが原画と印刷では左右が反転します。文字を書いても左右が逆になるのです。絵では問題になることは少ないようですが」


「まあ、それはそういうものでしょう。他には?」


左右反転に対する説明は流されてしまった。

まあ、それは仕方ない。


「この水準の絵を描けるのは、今のところ男爵様お一人だけだ、ということです。塗りを基調とせず、細かい線を意識して絵を描くという技法の絵が描ける職人を養成せねばなりません。失礼ながら、教会の宗教画の工房では、そういった技法に重きをおいておられない、と聞いております」


「たしかに、そうかもしれません。絵の技法となると私はよく知りませんが、教会に飾られている絵とは違う技法で描かれていることは理解できます」


絵の書き手不足。これは一朝一夕に解決する問題ではない。

これには少し躊躇を覚えたようだ。


「まだあります。男爵様は、この絵を描くにあたり非常な費用とご苦労をされております。銅板に鋼鉄のペンで書く、というのは非常に労力と技術が必要な作業です。そして鋼鉄のペンはすぐに先が丸まってしまうので、男爵様は腕利きの鍛冶師と研師に依頼して、何十本と用意させたそれを使い潰し、研ぎ直して描かれたのです」


「なるほど、費用と手間ですな。そういったことができる絵師の育成には時間が必要そうですね」


技術だけではない。費用(カネ)がかかる。

そうすると、それを誰が負担するのか、という問題がある。


「最後に、羊皮紙に押し付ける器具の問題です。今回は葡萄酒の圧搾のための道具を使いましたが、圧力が均等にかけにくい、という問題があります。ですから、今の段階では、絵をこれ以上には大きくできないのです。圧力をかけるためのネジの数を増やしたり、配置を工夫するか、または金属製に変える、他の圧力をかける方式を考案する、などが必要かもしれません。まだまだ、発展途上の道具なのです」


そう結ぶと、さすがのミケリーノ助祭も、少し考える表情になった。

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