第310話 気づいてしまったのだから
お前は何のために協力するのか。
冊子を作るため、というのは手段への目的に過ぎない。
本当の目的は何か、ということだ。
金銭のため、ということはない。
靴の事業は相変わらず前途多難だが、それに超えられるだけの縁故(コネ)と実績も上げてきたし、サラと2人で富裕な農民として引退するだけの財産ぐらいは、既にある。
なんだったら、サラの村で家族ごと養うことも可能だろう。
事業に対する責任があるので、いきなり投げ出すことはできないが、なぜ冊子にまで手を出すのか?
靴の事業だけで、もう十分で無いか?と問われれば頷くしかない。
それでも、俺は見てしまったのだ。
冒険者の死亡引退理由が、足を滑らせる怪我が主要な理由だ、と報告書を読んで気がついてしまったように、
冒険者ギルドの窓口で無知な村人が奇跡的な確率で依頼を届けた光景を見て、その裏にある膨大な犠牲と非効率の構造が見えてしまったのだから、仕方ない。
だから、
「仕方ないだろう?気が付いてしまったんだから」
そう答えるしかない。
5年前なら、気がついても何も出来なかった。
だけど、今ならできる。
靴の事業を通じて教会とも貴族とも縁故(コネ)を作り、一流クランから平民としては有数の武力集団の保護を受け、ある程度の財産を築いた今なら、目の前の非効率という人命と労力の犠牲を劇的に減らすことができる。
それだけの能力があって、しかも意欲があるのは自分しかいないのだから、仕方ない。
「他に誰かが代わってくれるなら、いつでも譲るよ」
それが俺の本音だ。
「変わり者であるというのは難儀なことだな、ケンジ」
と、荒くれ者の冒険者の頂点に立つ男らしからぬ変わり者は、俺をそう評した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「しかし、冒険者全体に利得があることも、ケンジの心が満足することもわかったが、会社の利益は何だ?一応、靴事業に投資している身としては、無謀な投資であれば止めざるを得ないが」
ジルボアの指摘は株主として当然の心配である。
それに対し、俺は事前の見積もりを説明した。
費用については銀貨400枚程度と、コストダウンの見込みも立っていること。
それよりも問題は筆写にかかる時間が膨大になりそうだ、ということ。
「なるほど・・・だが、それについても解決の見込みはあるんだろう?」
「まあな。ただ、口で言っても説得力がない。男爵様の絵が出来上がってきたら、モノを見せるさ。それが一番早いだろ?」
ジルボアは、それには直接答えず腰に下げた剣の柄に左手を置いて話しだした。
「私がお前を気に入っているのはな。そのモノにお前が命をかけているのがわかるからだ。お前が作るモノには、命がかかった重さを感じる」
そう言って、足に履いた特別製の守護の靴を右手で叩く。
「この靴がいい例だ。戦いの中で滑りやすい泥の中や岩場の上で強く踏ん張れるかどうかには、命がかかっている。それでも団員達はお前の靴が地面をしっかりと捉えることを疑わない。盾で巨大な棍棒を受け止めるとき、硬い皮膚に斧槍を叩きこむとき、深い藪の中で弩を構えるとき、どんなときも、だ」
それはジルボアだけでなく剣牙の兵団からの最大級の賛辞だった。
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