第248話 蟻の一穴
その後、アンヌからは定期的に連絡と費用支払いの要請が来るようになった。
最近は直接会っていないから詳しくはわからないが、アンヌはどうやら1等街区の貴族の家に転がり込み、そこを拠点に貴族のサロンやパーティーに参加して昔のコネを復活させ、広げているらしい。
その際にかかる費用についても請求してきたので、一応、なんのためか問い質してみたのだが、そうやってサロンの中で話題を振りまき、枢機卿の靴については自分のところに来れば話がつけられる、と仄めかして回るのがアンヌの宣伝戦略のようだ。
確かに、3等街区の外れにある革通りの工房まで直接来てもらうよりは、彼らにとっての日常であるサロンや社交の席で、胸の大きい美人に注文する方が、貴族達にとっては安心できるだろう。
護衛が欲しい、と言ってきたので剣牙の兵団から貴族の作法に詳しく腕が立つ男を手配するよう依頼することにした。
その日は、警備の打ち合わせで珍しくジルボア本人が工房までやって来ていた。
だが、一通りの打ち合わせが終わった後に、ジルボアが口にした話題で、俺は茶を噴きそうになった。
「先日のパーティーでな、お前のところのアンヌに迫られた」
俺は辛うじて茶を飲み込むと、おそるおそる続きを聞いた。
「・・・それで?どうしたんだ?」
ジルボアが面白そうに笑みをたたえて言う。
「後援者(スポンサー)になって欲しいんだそうだ。まあ、あの顔に胸だから脂(やに)下がった顔をした中年貴族は山ほどいたが」
「株主(スポンサー)に何やってんだ、あいつは・・・」
とりあえず、俺はその場で護衛の手配が完了した旨と、契約書の追加条項として、後援者を募る活動の自粛を記した羊皮紙をアンヌに送った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アンヌが社交の活動を始めて半月もしないうちに、効果は劇的に表れた。
あれだけ頑なだった工房や商家の幾つかが、交渉に応じてもいい、という旨の連絡をしてきたのだ。
すぐさま返信すると足元を見られるので、現在は多忙につき日程の調整をお願いしたい、という返事だけしてある。
日程の調整とは、具体的には枢機卿のお披露目が終わった後、ということだ。
「なんか、納得いかないわね。急に態度を変えたりして」
サラは、急に掌を返したように見える返事に不満をあらわした。
「そうか?俺としては合理的に反応してくれてあり難いと思うけどな」
工房の団結が崩れたのは、俺が独自ルートで高級品を売る腹を固めた、と見られたからだろう。
彼らは掛け金のレートをあげすぎて、交渉に失敗したのだ。
もう少し表面上だけでも友好的に接してもらえていれば、俺も交渉妥結の可能性を信じて、じっと待ち続けていたかもしれない。
だが、複数の工房や商家から送られてくる文面が殆ど似通った内容であれば、俺でなくとも不文律(カルテル)の存在を確信しようというものだ。
このあたりは想像になるが、おそらく工房仲間(カルテル)以外からの申し出については、こういった文面で断る、というような手順(ルーチン)が長年の習慣として出来上がっていたのではなかろうか。
そして、これまでの申し出については、ひょっとすると経営層まで情報があがらず、担当者のレベルで跳ねつけていたのかも知れない。
重要な情報であっても、その重要性を判断できない担当者で情報がせき止められて経営者まで上がってこない、結果として経営者が判断を誤る、ということは元の世界の企業経営でも、よく起きていたことだ。
そう疑って手紙を見比べてみると、断りの手紙と、交渉受諾の手紙では明らかに筆跡が違って見える。
具体的には、交渉を受諾する旨の手紙の方が文面が乱れており、字が汚い。
工房の主が怒りに震えてか、焦ってのことか、とにかく感情の乱れが伝わってくるようだ。
あるいは、代筆をする担当者が怒られながら書いたのかもしれない。
俺一人の判断だと、錯覚の可能性もあるのでサラを含め、会社の数人に筆跡の違いについて確認したところ
「たしかに違う」
という感触が得られた。
いずれにせよ、不文律(カルテル)という強固な堤防に穴が開いたのは確かなようだ。
あとは、この穴を広げて堤防を崩すだけだ。
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