第249話 枢機卿の御用達
その日は、教会からの連絡が来たのでサラと護衛を連れて1等街区の聖堂まで出かけた。
ニコロ司祭からの呼び出しとあれば断る方法がない。
枢機卿のお披露目の日が迫り、その最終打ち合わせのために呼ばれたのだ。
正直なところ、当日立ち会うこともできない教会の儀式に、部外者の俺がなぜ呼ばれるのだろう、と思わないでもないが、お披露目の際に瑕疵(かし)があると俺は、物理的な意味で死んでしまうので、仕方ない。
大聖堂の敷地に入ってしまえば、さすがに襲撃はないなずだ。
ミケリーノ助祭が手を打つ、と請け合ってくれて以来、たしかに魔術師の襲撃はなくなったことだし、どこかの街の大貴族も、教会そのものを敵にするのは避けたいのだろう。
案内の聖職者に奥まった一室に通されると、ニコロ司祭とミケリーノ助祭、あとは納品の儀式の際に並んでいた聖職者達が大勢いて、話し合っていた。
遅れて入って来た俺達は、部屋の隅で議論の邪魔にならないよう、小さくなって待っていた。
しばらくして淹れてもらった茶が冷たくなる頃、ニコロ司祭が始めてこちらに気付いたように顔をあげて、手招きした。
「枢機卿様の靴を献上させていただきましたケンジと申します。お呼びにより参上いたしました」
と、ニコロ司祭以外の聖職者達にも挨拶をしたのだが
「挨拶はいい。意見を聞きたい」
とニコロ司祭に遮られた。
「さようでございますか。私は教会内の序列については無知ですが・・・」
その言葉は、俺の本音である。ここにいる聖職者達は、ニコロ司祭傘下の俊英達であろう。身分などでなく、その実務能力を買われて側近にいる者達のハズだ。それに聖職者というのは、儀式の企画と実行の専門家だ。俺のような素人に何か口出しができるようなことがあるとは思えない。
「別に、お前にそんなことは期待しておらん」
案の定、ニコロ司祭からの答えは素っ気なかった。
「献上品の靴については、すでに枢機卿様の手元にある」
「光栄なことでございます。会社(うち)の職人達も、その誉れに身を震わせることでしょう」
ニコロ司祭の言葉に、深く礼を述べた。
教会内で妨害に遭って靴が行方不明になることも想定していたので、これで本当に肩の荷が下りた。
ニコロ司祭は、そんな俺の様子に構うことなく言葉をつづけた。
「毒や魔法の検査も済み、今は自ら履いておられる、という話だ」
「はい・・・えっ?」
なぜ枢機卿が俺の靴を履いているのか?確か、非常に厳格な順番が決まっているので、聖職者達に説明する会合の間だけ履く予定ではなかったのか?
俺の戸惑った顔を見て、ニコロ司祭は面倒くさそうに説明した。
「公式な場で履く靴は厳密に決まっておる。だが私的な場面での履物まで決まっているわけではない。まあ、お前のところの靴が献上品の中では一番の安物だから、気軽に履けるという事情もあったようだがな。今では、随分とお気に入りの靴になっておるらしい」
「はあ・・・」
なんだろう。あれだけ脅されて、命まで狙われて、ようやく勝ち取った枢機卿御用達の看板の、このなんとも言えない軽さは。
決して悪い情報ではない。むしろ、良い知らせと言えるだろう。
儀式のために公式な席で履かれるのと、実は私的な席でも愛用されている、という評判では後者の方が遥かに枢機卿の御用達であると言えるだろう。
それに、儀式のためであれば1回だけ履かれてお終いであるが、私的な席で履かれているということであれば、繰り返し献上することが可能になる。
つまり、それだけ会社(うち)の評判が高くなり、その裏で人を牽いているニコロ司祭の権力も強くなる、ということだ。
だが、お偉い人の気分一つで、事業も生命も左右される己の存在の軽さはなんなんだ。
それが封建社会における身分と権力というものなのであろうけれど、この納得のいかない感情は長く胸の内で燻り続けそうだった。
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