第148話 失敗の不足

事例(ケース)学習というのは、元々は法律の判例を学ぶために開発された方法論だ。

それが今ではビジネス教育の現場に応用され、広く用いられている。


今回は、ある農村の事例を元にして、その収穫をあげるための方法を実地に検討する、というのが学習のテーマだ。

そのための基礎となる資料は、俺が作成して用意してある。

もちろん、学習のための資料であるから実際の資料よりも見やすく必要な部分が抜粋、拡大されて記載されているし、足りない資料も、一見、ないように見える。

だから、資料をきちんと読み合わせ、分析することで現状を把握できるようになっている。


もちろん、そこには落とし穴がある。資料の間で数字の齟齬があったり、村人の証言には矛盾が見えたり、作物の価格が古く実勢価格から乖離していたり、と何気なく読み飛ばしてしまうと引っかかる罠を多く仕込んである。俺の性格が悪いからではない。人は過ちから学ぶのだし、彼らには注意深く数字の裏を取り扱うようになってほしいからだ。


そのように設計して製作した事例(ケース)なので、俺は出来には自信を持っていた。

だが、問題はそれ以前のところにありそうだった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


俺が出題をしてから1時間が経過した。

助祭達は個別に資料を読み込み、何やら口の中でモゴモゴと一人事を言うばかりで、一向に声をあげない。

直接注意しても構わないのだが、少し思うところがあったのでクレメンテという助祭に質問した。


「クレメンテ様、ニコロ司祭様からは、どのように訓示を受けてらしたのですか」


クレメンテは、嫌そうに鼻筋に皺を寄せて答えた。


「ニコロ様からは、今回の試みの重要であること、また成果を最も上げたものを事業の中心に据える、とのお言葉を頂いておる」


やっぱりか・・・と俺は嘆息した。ニコロ司祭の2通目の手紙に、彼らの評価をして欲しい、という文面があった時から嫌な予感はしていたのだ。


ニコロ司祭は、自分の知性が偉大に過ぎるという自覚が足りない。ニコロ司祭ほどの知性がある人間ならば、どんな卑しい冒険者にでも恥じることなく聞いて回って情報を集め、誰とでも議論し、誰よりも優れた成果を出すだろう。本当の核となる知性と自信があるからだ。


だから、凡人である秀才達の気持ちがわからないのだ。最も成果をあげたものを選ぶ、などと言われたら、自分に半端な自信を持つ秀才である助祭達が互いに協力などするはずがないではないか。


表層に見える結果には、必ず原因がある。

優れた知性は、必ずしも優れた教育者にはなれない。その実例を見る想いだった。


それと助祭達の、極端に攻撃的で失敗を恐れる態度から、推し量れることもある。

教会組織内での失敗は、おそらく失脚と同義であろうから、出世頭の彼らには失敗の経験が足りないのだろう。

この姿勢のままでは、事業は必ず失敗する。自然や市場は彼らの思惑通りに動くとは限らないからだ。

そして、実地で失敗された日には、大勢の農民の生活が危険にさらされる。

そういった事態は避けたい。


事例(ケース)学習ならば、失敗しても誰の生活も影響を受けない。そもそも事例(ケース)学習の目的は、失敗の経験を誰にも迷惑をかけることなく積ませることにある。思う存分失敗させてやろうじゃないか。


そう腹を括って、俺は彼らが黙ったまま資料を一人で読んでいる様子を眺めていた。

もっとも、事例(ケース)に仕掛けた落とし穴以前のチームワーク確立段階で、これほど失敗するとは思わなかったが。


わからなければ、声を出せ。人に聞け。相談しろ。手を動かし、足を使え。

そう言いたいが、彼らが気づくのを待つ。失敗するまで待つ。失敗して立ち上がるのを待つ。

教育とは、子育てにも似て、忍耐だ。


だからサラ、そうやって白い眼で見たり口を尖らせたりするんじゃない。

彼らが気になって、こっちをチラチラと見ているじゃないか。

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