第149話 事実と真理
さらに1時間ほどが経過し、サラの苛立ちが表面に表れそうでヒヤヒヤしながら見守っていたところ、ミケリーノという助祭が手をあげた。
「一つ、疑問があるのだが」
「どうぞ」
「こちらの麦の在庫を表した書類に書かれている麦の量と、税収記録から計算される麦の量では辻褄が合わないのだが。資料が間違っていないか?」
「なるほど。資料が間違っていることはあり得ますね」
そう答えると、ミケリーノは鼻を鳴らした。
「ふん!大層な資料を用意しているかと思えば!こんなミスがあるとはな!」
と、鬼の首を取ったように言う。俺が仕掛けた罠を、単純なミスだと勘違いしているようだ。
問題の解決よりも、他人のミスをあげつらう習慣というのは、なかなか改まらないものだ。
このままでは、他の助祭達にも、その態度が影響しそうな雰囲気だったので、敢えて問いかけることにした。
「さすがです。ミケリーノ様。その数字違いに気付く方は、なかなかいらっしゃいません。ところで、その数字が違っている理由は何であるとお考えですか?」
「お前・・「あなたと言い直してください」・・・あなたのミスではないのか」
「違います」そう言いおいてから、他の2人を見回す。
「あげられてくる書類や報告の情報に齟齬があることは、よくあることではないですか?その背景や理由について、どう推察されますか?どのように事実を確認されますか?」
そう問われた助祭達はしばらく黙りこくっていたが
「神事は神の奇跡なり、人事は人の軌跡なり、か」
と、クレメンテが呟いた。すると、残りの2名も「然り、然り」と頷いている。
俺はよく知らないが、何か神書の聖句の一節であったのだろうか。
これまで彼らを覆っていた険のある気配が、急に薄らいだように見えた。
「神事でないのならば、人たる我らも、少しは協力してもよかろう、アデルモ」
「そうだな、ミケリーノはどうか」
「否やはない。別に構わんのだろう、ケンジ?」
俺は満面の笑みをたたえて言った。
「そのお言葉を待っていましたよ。ぜひ、お互いに協力なさって下さい」
すると、やや躊躇ったようにアデルモが聞いてきた。
「この麦の価格とやらを、商人から聞いてきて良いものだろうか」
「大変、結構です。ぜひ、そうなさって下さい」
クレメンテも、聞いてきた。
「この税収の記録を、図書館にある資料と照合したいのだが」
「大変、結構です。ぜひ、そうなさって下さい」
ミケリーノが、戸惑ったように聞いてきた。
「・・・何か、してはならない、という制約はないのか」
「ありません。良いと思うことに、全ての手段を取ってください」
俺がそう答えると、3人の助祭は、明らかに当惑したようだった。
「なんというか・・・。市井の者達は、真理を尊重せぬのだな」
そうアデルモが言ったので、俺は端的に答える。
「真理で麦は増えませんから」
サラが、俺の隣で、うんうん、と大きく頷く。
「なるほど、それは真理だ」
と、助祭達は苦笑した。
その後、助祭達はお互いの疑問点について議論や、調査結果を共有することや作業の分担をするよう話し合いを始めた。
この停滞した教会の空気が風穴を得て、ようやくに流れ出したように思えた。
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