第135話 聖職者ニコロ
数日が経ち、アンヌの手配で枢機卿に訪問する手続きが整った。
訪問する顔ぶれは、俺、サラ、アンヌ、護衛のキリクの四名だ。
各自、精一杯、上品に見える格好をしている。
俺は、以前買った商人の格好だ。うさん臭いかもしれないが、他にはない。
サラにも、今回の訪問のために服を買った。これからも似たような場面は何度もあるだろうし、本人は遠慮していたが無理やり送った。
一同の中では、何といってもアンヌが張り切っていた。金の髪を細かく編みこんで高くげ、ドレスは赤と黒を基調にタップリと布を使い、イヤリングやネックレス、指輪などの装飾品を全身につけている。
オマケに胸元をギリギリまで広く開けてあり、意図が丸見えである。痴女か、お前は。
「バカね、このままいくわけないでしょ?」と言って彼女は肩からケープを羽織った。
そうすると、さらされていた胸元が隠れ、一見、淑女に見えるようになった。
おそらく、聖職者や貴族にケープを脱がせてもらう振りをして視線を誘導しようという意図だろう。
なんというか、逞しいことだ。
ロロの事件以来、久しぶりとなる1等街区への門をくぐる。
枢機卿が滞在されている、ということで一目お姿を見よう、という敬虔な者たちが押し寄せているらしい。
もっとも、大聖堂には開放日というものが年に数日定められており、普段は庶民は行くことはできない。
それでも、と押し寄せた民衆が衛兵に押しのけられている。
俺達は枢機卿への紹介状を持っていたことと、アンヌの方で何か手配をしたらしく、すんなりと通ることができた。もっとも、相変わらず、俺達の信用度は低いらしい。武器は全て取り上げられた。
まあ、一度は嫌われ者とはいえ、貴族に脅しをかけているわけだから仕方ない。
それに、例え素手でもキリクに勝てる人間が1等街区にそうそういるとも思えない。
衛兵の先導で大聖堂への道を進む。
サラが初めて見る1等街区の世界を、目を丸くしてキョロキョロと見回しているのが微笑ましい。
綺麗に掃き清められた石畳。広く綺麗に刈り込まれた芝生の庭園。清浄な水を惜しみなく噴き出す噴水。
鼻をつく下水の匂いはなく、街中でありながら花の香りや鳥の囀りさえ聞こえてくる場所。
これが、貴族と大商人の世界だ。この世界に潜む人間と、俺はやり合っていかなければならない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そのまま大聖堂の正面入口へ向かうと思ったのだが、聖堂の別館とも言うべき聖職者達が泊まる宿舎へと向かっていく。アンヌに確認すると、時間までここで待つのだという。
要するに、ロロのときと一緒だ。俺の交渉相手は、ここで待ち構えているのだろう。
あの時は不意を打たれたが、今回は俺にも精神的な備えはある。
宿舎内の案内は僧職の人間に引き継がれ、俺達は、そのまま控室へと誘われる。
控室に入ると、意外に殺風景な石造りの室内と、広めのテーブルとソファーが置いてある。
そして、ソファーには細身で顔色の悪い灰色の髪をした若い男が、冊子となった書類を積み上げ、しきりに羊皮紙に書き物をしている。
男は、書き物をする手を全く止めず、視線をあげないまま「入りたまえ」と言った。
意外に若い声だ。
「いいから、適当に座りたまえ。少し待っているように」
そう一方的に言うと、男はひたすらに書き物をつづけた。さすがのアンヌも胸元をアピールするタイミングを失い、俺達は何か話をするわけにも行かず所在なげに座っていた。案内の僧に淹れてもらった茶も冷めるころに、ようやく一区切りついたのか、男は羽ペンを持ったまま視線をあげ、声をかけた。
「私はニコロ。司祭だ。マティアス枢機卿のところで事務官をしている。ケンジというのは、お前か?」
そう問われたので、俺は一歩進みでて挨拶をする。
「はい、私でこざいます」
「元冒険者であるとか」
「さようでございます」
「珍奇な靴を作っているそうだな」
「はい、さようでございます」
型通りの返答を返していると苛立ったのか、傍らに積んであった冊子を取り上げて、ドスン、と俺の前に放り出した。
「この報告書を書いたのは、お前か?」
豪華で分厚い報告書の表題には「冒険者事業の定期報告書 第4報」と書いてあった。
装丁が革張りで金の縁取りがしてあったので気がつかなかったが、ウルバノの報告書だ。
なぜ、こいつが持っている。
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