第122話 ウルバノの景色

最近の冒険者ギルドは、少し変だ。

そんな噂が、街の冒険者達の間で広がりつつある。


大きく何が変わったわけではない。

ただ、窓口の対応が少し丁寧になったり、窓口の開設時間が少し延びたり、といったことである。

冒険者達にとって、ギルドとの接点は窓口だけであるから、何が起きているのかはわからない。


いいことなんだが何か調子が狂うなあ、というのが彼らの抱いた印象である。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


冒険者ギルドの中で、一体何が起きているのか。何が変わったのか。


それは、ある文官が画期的な報告書を作成し、王都の貴族へ上奏したことから始まった一連の動きである。


それまで、収支のみについて報告されていた簡素な冒険者事業報告書に代わり、冒険者の現状を、様々な角度から分析し、指標を設定し、一体なにが起きているのかを、数字で判断できるようになる、画期的な報告書が提出されたのだ。


従来は、貴族的な挨拶と私信を織り交ぜ、事業を運営している自分が如何に有能であるかを自慢し、損失が出た場合は神の気まぐれと不幸な偶然を言い訳がましく並べ、最後に収支だけが書かれる報告書が普通であった。


文官達も貴族であるから、報告書のような有力者とやり取りする文書も政治の機会と捉えている。

そうである以上、自分の弱みは隠し、手柄を大袈裟に売り込み、より良い地位を望んで様々な駆け引きをするのが、この世界での普通である。


結果として事業の実態が正確にはわからない弊害はあるが、事業の利益を上げるのは平民の仕事である。

できない奴は取り換えて、できる奴を据えればいい。代わりの平民などいくらでもいる。

まして、農民あがりの冒険者など、不作になれば、地面から湧いてくるではないか。


ところが、冒険者ギルドの切れ者であるという文官の上げてきた報告書は、従来の常識を打ち砕いた。


従来の報告書では、儲かったのか、儲からなかったのか。結果しかわからなかった事業を、新しい報告書では冒険者の数、冒険者の引退率、依頼1件あたりの収益率、といった事業の流れに沿った様々な中間指標を取り入れることで、事業のどこに課題があるのか、改善するためには何をすればいいのかを概観できるようになっているのだ。

現代で言う、管理会計の概念である。


それだけでも、文書と取り扱う王都の文官にとっては非常に画期的な内容だったのだが、その表現もまた、内容に劣らず画期的であったことが彼らを瞠目させた。


数字を文章で記述するのでなく、商人の帳簿のように事業に関係する表示を一覧表にすることで、全体像が一目でわかるようになっている。

それだけでなく、数字を棒や円の図形にすることで、掛け算割り算といった数学上の素養のない貴族や武官にも、数字の大きさの比較や割合、事業に関係する指標の推移などが、視覚的、直感的に理解できるように表現されていたのだ。


いったい、この報告書は何か。この報告書を書いたものは何者か。

王都の冒険者ギルドを所管する文官たちの間で報告書と、それを書いたという切れ者の文官ウルバノのことが評判となり、その報告書は事業トップの貴族の前で説明される騒ぎにまで発展した。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


ギルドの文官、ウルバノは得意の絶頂である。


彼は今、人生で一番と言っていいほどの充実感と自信を感じていた。

これまで、自分を蔑んだ人間たちが、自分のことを尊敬の目で見る。

会議で無視されていた意見が通る。

自分は、仕事ができる人間として、尊重されているのだ。


それは、これまでの人生で無能、怠惰とレッテルを張り続けられてきたウルバノにとって憧れ続け、実現することはないと諦めていた願いが、現実に形となった光景であった。


奇妙なもので、人間は期待されると、その役割を果たしたくなる生き物である。

ウルバノは、有能で熱心な文官として尊敬され、期待されることで、最近は実際に熱心な文官として精力的に働いている。


周囲からの尊重と、尊敬。期待の眼差し。

それを、一度知ってしまったウルバノは、それを失うのが怖い。だから一生懸命に働く。その姿を見て、周囲はまた彼を尊敬の目で見る。そういった、幸せなプラスのスパイラルが、今のウルバノを動かしている。


彼の人生を変える切欠となり、彼の現在の権威を下支えしている報告書を、得体の知れない冒険者が作成した、という事実は、ウルバノにとって気にならない。

貴族は、平民の成果をうまく使うものだ、と都合よく合理化されているからだ。


ただ、あの何とかいう男は、なかなかに見どころのある冒険者だとは思っている。

何か相談されるようなことがあれば、話を聞いてやろうと思う程度には。


近々、自分が街の副ギルド長に昇進する、との噂もある。


ギルドの文官、ウルバノは幸福だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る