ハッピーエンドにならない僕と黒猫の彼女

珠彬

第1話 遠いハッピーエンド


 窓の外には白い冬がきらめいていた。勢いよく燃えるストーブでも、窓を曇らせることができないような静かな夜。少女はその手に小さな雪の花をもって微笑んでいた。氷の輝きを持つ六枚の花びらを持つ小さな白い花は、少女の手の中で静かにたたずんでいる。

「これが雪の花なのね。」

 無邪気に笑う少女が可愛くて、今までの労苦が忘れられた。この雪の花を手に入れるために、彼は長い旅をしてきたのだ。

 雪の花にまつわる伝承を紐解き、異形のものが闊歩する地を踏破し、時には剣をふるって魔物を打ち倒し、そして、険しい雪山に挑み、奇跡のような巡り会わせで、この雪の花を手に入れることができた。

 それも、すべて、この微笑のため。

「ありがとう。」

 浅い息とともにかすれた声で少女が言った。少女の顔色は紙のように白い。

「君が笑ってさえくれればいいんだ。」

 彼はそう言って少女の金色の髪を撫でた。少女は嬉しそうに目を細めると、言った。

「お願いごとをしなくっちゃ。」

 雪の花には、手にした者の願いをかなえるという伝説があった。あくまで伝説、そんなことは奇跡でしかない。しかし、彼はその奇跡にでもすがりたい気持ちではあった。

「何でも願いが叶うから、お願いごとをいってごらん。」

「うん、じゃあ……」

 少女は、彼を待っている間に、ずっと考えていた願いを口にした。

「私がいなくなっても、あなたが必ず無事でここに帰ってこられますように。」

 彼は思わず息をのんだ。

「なんで…そんな、願いを。」

「私の病気は、願い事じゃなおらないもの。」

「じゃあ、何故、雪の花を欲しがった……」

「私がいなくなっても、ずっとあなたが元気でいられるように。」

「どうして……」

「嬉しいよ。約束を守ってくれたから。」

 そう言う、少女の息は細かった。目の光が急速に遠のいていくのが、彼にもわかった。もう手に力を込めることもできないらしい。その手から、力がぬけてゆき、雪の花はベッドの上にぽとりと落ちた。

「まて、しっかりしろ!」

 少女の手を取り、握り締める。彼の手の中から、急速に命が零れ落ちていく。彼自身、それを理解したくなくても、否応なしにそれを目前に突きつけられて叫ぶ。

「いくな、しっかりしろ!」

「何処に行っても、かならず無事に帰ってきてね。」

「必ず、お前の元に帰ってくる。だからっ……」

「ありがとう、うれしい……」

 吐く息とともに零れた言葉を最後に、ロウソクが消えるようにふっと少女は息をひきとった。力を失った手を握り、急速に冷えていく体温に、彼は死というものは、こういうものだと受け入れるしかなかった。雪の花だけが、ベッドの上で枯れることなく、冷たい氷の輝きを放ち続けていた。


「だめだよ、ダメ、ダメ。なんでこうなった?」

「え、ダメ?」

「ダメだね、ぜんぜんダメ。なんで、ここまでじっくりおいしく育ててきたヒロインがここで死ぬのか意味わかんない。」

「だって、不治の病って設定をつけたときは、それでいいって言ったじゃないか。」

 目の前で、ダメだしをする弘介に、とりあえずの不平を述べる。ダメだしをした弘介はというと、渡したA4の紙束をうちわがわりにパタパタとすると言った。

「せっかく願いの叶うアイテム手にいれたんだから、願いかなって元気になればいいじゃん。素直にハッピーエンドにすればいいだろ、なんでお前はいつもハッピーエンドを回避するかな。最後は彼女と結ばれてハッピーラブラブ、きゃっきゃうふふでいいんだよ。」

「きゃっきゃうふふとか、僕、無理だよ。そういうのがいいなら、自分でシナリオ書けばいいだろ。」

 弘介の言葉に、げんなりしながら恭一は言った。

「おい、恭一。」

「なんだよ。」

「俺に文章が書けると思ってるのか?」

「……いや、ぜんぜん。」

 そら見たことかと弘介はひゃっひゃっひゃと笑うと。ダブルクリップで留めた紙束を鞄にしまいこんだ。

 悪友の弘介がスマホで遊べるノベル恋愛ゲームを作ると言い出して半年になる。ただの妄言と思っていたが、弘介がプログラムを、恭一はいつのまにか、ゲームシナリオを書くことになっていた。

「というわけで、もう1本、シナリオよろしく。」

「ダメだしはしても、結局キープはするのかよ。」

「頼りにしてるぜ、相棒。」

 弘介は悪戯っぽく言うと、机の中に入っていた教科書やら、くしゃくしゃになったプリントやらを引っ張り出して、紙束と同じように雑多に鞄に詰め込んでいく。気に入らなくてもとりあえず原稿は受け取る。こんなやり取りをここ3ヶ月くらいずっと続けていた。弘介に渡したシナリオは、一〇本はあるはずだ。そのうち、弘介が気に入ってくれたのは3本ぐらいだったと思う。

弘介の肩越しに、クラスメートたちが、終業式の引き上げ作業を行っているのが見える。明日から夏休み。暑い教室からおさらばして、高2の夏を満喫するべく、みな準備に余念がない。計画的な連中は、荷物をわけて持ち帰っているから鞄が薄く、無計画に最終日まで物を持ち帰らなかった連中は、鞄がぱんぱんに膨れ上がっている。そう目の前の弘介のように。

 成績表だけが入った薄い鞄を手にとると、恭一は立ち上がる。

「あれ、恭一、帰るの?」

「うん、さっさと引越し終わらせたいしね。」

「あ、いよいよ今日か。念願の一人暮らし。」

「そんないいもんじゃないけどな。」

 にっと笑うと、右手の拳を突き出した。弘介が同じように拳を作って、コツンと打ち合わせる。

「シナリオの詳細も打ち合わせたいから、落ち着いたら言ってくれよ。」

「ああ、たいして作業もないから、すぐに連絡するよ。」

 まだ、荷物を鞄に詰め込んでいる弘介を尻目に、恭一はさっさと教室を後にした。どうせ校門を出たら、家は反対方向だ。いつもなら校門まで一緒に帰るために、まってやるところだが、今日はそんな気分ではなかった。夏休みへの解放感と、何より、引越しへの高揚感で朝からうずうずしていたのだ。一刻も早く、家に帰りたかった。


 アスファルトの照り返しの中、歩くこと二〇分。汗だくになって恭一は家に戻って来た。いまどき珍しい木造平屋建ての瓦屋根の家。玄関に植えられた松竹梅は古めかしい家の佇まいをよりいっそう際立てている。昭和の香りを感じさせるような家であり、植木の剪定をサボれば即オバケ屋敷化決定の家である。

 ただいまと声をかけて、自室に戻ると、大学生の姉の幸枝が部屋にいた。幸枝は試験期間中らしいが、勉強をしているそぶりはまったく見えない。今もホームウェアでごろごろしながら、雑誌をぱらぱらとめくっている。どうも、大学生というのは気楽なポジションに思える。何の為に必死に受験を潜り抜けてこうやってダラダラするのか、時々疑問に思えて仕方がない。

「あ、おかえり。」

 雑誌から目をあげることもしないで言うと、傍らのダンボールを指し示す。

「あんたの荷物、まとめておいたから。」

「あ、うん、サンキュー。」

 ダンボールに鞄がふたつ。それが恭一の荷物のすべてだった。この昭和テイストの家で、6畳の部屋に姉と2人。長かった姉との共同生活が今日でやっと終わる。

年頃の男子高校生としては、いまどき自分の部屋がないことや、しかも姉と一緒の部屋であることはとても恥ずかしいことだった。弘介あたりには、うらやましがられたりもしたものだが、それは女姉妹のいない一人っ子のヤローの妄想にすぎない。実際は……口にすると、姉に怖ろしい目に合わされるので、言うことはできないが、とにかく、窮屈な生活であることは間違いなかった。

ダンボールを持ち上げ、部屋を出る。庭に面した縁側を通り、離れのような部屋の前に立つ。そのままでは扉をあけられないので、いったんダンボールをおろすと恭一は静かにドアをあけた。

そっとあけたつもりだが、きしんだ音がたつのは、築五〇年の家だから仕方がない。クラシカルな吊照明の紐をひっぱり電気を付けると、締め切った部屋のむっとするにおいがした。部屋の中には、親が運んでくれたらしい布団が一組と、ちゃぶ台が一つあるっきり。他に家具はない、4畳半の小さな部屋だ。

「狭いながらも、ここが僕の王国ってわけだ。」

 声に出して言ってみると、とたんに実感がわいてきた。5歳の時に祖父と同居するためにこの家に引っ越してきて以来、2歳年上の姉と一緒の部屋で窮屈に暮らしてきたのだ。半年前に他界した祖父志朗の部屋がやっと片付き、この夏休みから念願の一人部屋を手に入れた。今ここに一国一城の主となった満足感は半端ではない。

 もともと荷物も多くはない。部屋に居る姉を空気のように無視しながらこまごまとしたものも自分の部屋に運び入れる。小一時間もすれば、引越しは完了した。ちゃぶ台の上にノートパソコンをのせて、コンセントを入れる。クーラーがないので、庭に面した大窓も網戸にしておく。外からの自然な風の流れを確認してから、少し黄ばんだ畳の上に大の字になって横になった。

「ついに念願の自分の部屋を手に入れたぞー!」

 とりあえず宣言してみる。なんだか嬉しくなってきた。がばりと起き上がるとスマホを取り出して弘介にメールをする。当たり前のように一人部屋を持っている弘介には理解されないかもしれないだろうが、この感動を誰かに伝えたかった。

 スマホをいじる視界のはしで黒いものが動いた。目をやると網戸ごしに、エメラルドグリーンの瞳に見つめられた。

 ニャーと鳴くと、その黒いもの……黒猫は網戸に手をかけ、何度かちょいちょいと扉を動かして器用に開けると我が物顔で部屋の中に入ってきた。

「おかえり、クロ。」

 恭一の言葉にもう一度、ニャーと鳴いて応えると、クロは部屋の角の一番涼しいであろう場所にちょんと座る。そして、何か不満げにエメラルドグリーンの瞳を瞬かせると、もう一度ニャーと鳴いた。

「え、あ、水? それとも餌?」

 聞いても仕方がないが、それでも声に出して聞いてしまう。もちろん答えはない。恭一は台所にいってクロの水飲み用の皿に水を入れ、ついでにドライフードを少しえさ皿に載せてから部屋に戻った。

 クロは少し期待するように、しなやかに尻尾をふると皿の中を見た。しかし、ドライフードをみると、つまらなさそうに尻尾をふり、水だけぺろぺろと舌を伸ばして飲み始めた。

 そう言えば正確にはこの部屋は一人部屋ではないのである。この部屋、祖父の部屋を譲り受ける条件、それは、祖父が飼っていた黒猫のクロの面倒を見るということ。それくらいならと、一人部屋に憧れていた恭一は二つ返事で了承したが、今までクロのことなど顧みたことがなかったので、お世話といっても何をしていいかがわからない。今も、何故ドライフードが気に入らないのか、よくわからないままなのだが、とりあえず、これからは一緒に暮らす仲になるわけだ。お互い仲良くやっていくのがいいだろう。

「よろしくな、クロ。」

 名前を呼ばれて一瞬だけクロは顔をあげたが、すぐにまた水飲みに戻ってしまった。


 念願の一人部屋を手に入れて数時間。最初の客人はやはり弘介だった。

「おめでとう。」

「おう。」

 そう言って弘介は部屋を見渡す。

「随分殺風景だな。」

「あんまり自分の物って、ないからね。」

 布団を押入れにしまったら、部屋に残ったのはちゃぶ台と黒猫だけだった。

「エロ本とかどこにしまってんの?」

「そんなの持ってないし。」

「えええ、マジで!」

「当たり前だろ、今までねーちゃんと一緒の部屋にいたんだから。そんなもん読めるか。」

「まーじーかー!」

 心底びっくりしたという顔で、弘介が目を見開く。きょろきょろと部屋を見渡し、声をひそめて疑問を口にしてみる。

「まさか、HなDVDも?」

 バカかといわんばかりの顔で恭一がため息とともに言った。

「うち、茶の間にしかテレビないよ。」

「うそだろ、どんな時代錯誤の家なんだよ、昭和か!」

「うるさいな、親父がそういう主義なんだよ。」

「よく暴走せずに生きてこれたな。」

「お前と僕とは違うからね。」

 ないならないで、なんとかなるものである。一人っ子でなんでもとりあえずそろう弘介にはわからなくていい。

「ところでさ。」

 健全な青少年ならとか、お前は頭がおかしいとか、さんざんわめいてから、弘介が部屋の隅を見て言った。

「あの猫なに?」

「クロ。」

「いや、名前は聞いてないけど。」

「じいちゃんが飼ってた猫だよ。この部屋もらうかわりに面倒みる約束なんだ。」

「へぇ……」

 弘介がじっと見ると、黒は面倒くさそうに視線を外して丸くなった。

「……態度悪いな。」

「あまりお互い気を使わなくてすみそうだとは思ってるんだけどね。クロのことはいいよ、夕方からはバイトだから、さっさと決めることだけ決めたいんだけど。」

「あ、うん。わかった。」

 弘介も鞄からパソコンを取り出し、ちゃぶ台の上に置く。OSの起動音を聞きながら、弘介が困った顔で言った。

「恭一のシナリオさ、ビターエンドが多すぎるんだよ。」

「そうかな。」

「だって、今まであがったシナリオで、ハッピーエンドあったか?年上のお姉さんキャラシナリオは、最終的には年上の恋人にとられちゃう話だったし、幼馴染とはお互い触れることができない呪いにかかってしまうし、クールビューティシナリオは恋愛より、知識を蓄える方を選ばれるし、ドジっ子とは、いいお友達で居てほしいなって言われるし、はては年下の女の子にいたっては死んだぞ。」

「え、あ、うん。」

「俺たちが作ってるゲームジャンルはなんだ。」

「えーと、ファンタジー系ノベル恋愛ゲームだっけ。」

「わかってるんじゃないか、なにがダメかはわかるよな。」

「う……ん。でもさ、長い付き合いだからわかっているとは思うけど、僕って夢見る現実主義者なんだよ。」

「だからなんだよ。」

「確かに、空想的なこととか、好きなんだけど、どこか現実的に冷めているというか…」

「……で?」

「いや、現実的なほうが人生傷つかないとか……」

「……で?」

「恋愛って、そんなうまくいくものじゃ……」

「ゲームの中くらい、うまくいかなかったら、何に救いを求めたらいいんだよ。ゲームくらい都合のいいかわいい女の子ときゃっきゃうふふしたいだろ!」

「そんな激しく同意を求められても、こまるんだけど。」

「彼女居ない歴=年齢の者同士、わからないとはいわせないぞ!」

「それは偏見だ!別に彼女なんていなくても……」

「いなくてもなんだ。いたら、この夏休みばら色だと思わないか、いたら、いたら……こんなところでゲームなんか作っている場合じゃないさ!」

 ゲームを作る熱意を、彼女を作る熱意に変えれば、彼女のひとりくらいできるんじゃないかと思ったりもしなかったが、それを口にするのはやめてやった。なんだかバカらしい。視界の隅で、クロがこちらを見ているのが見えた。なんだか、ひどく冷めた目で見られている気がした。

「聞いてるか?」

「聞いてる、聞いてる。」

「そういうわけだから、ちょっとテコいれだ。」

 結局、バイトの時間が迫るまで、ゲームに登場する女性キャラのイメージを弘介は必死に語り続けた。友人に描いてもらったイメージイラストを指し示し、この娘はこういう考え方をする娘だからとか、この娘の趣味はなになにで好きな食べ物はなんとかで、この娘とこんなデートがしたいだの、願望と妄想にあふれた主張をうんざりするまで聞かされた。そこまで言うのなら、自分で書けばいいのにとは思うのだが、いかんせん弘介が文才のないのは、恭一もよく知っていた。どうすれば国語の期末テストで平均点を十五点も下回れるのか、恭一にはよくわからない。恭一が律儀にメモを取っていると、いつの間にか、そういう都合のよい女の子のシナリオを書くことを約束させられていた。

 恭一はバイトへの行き道も、バイト中もぼんやりと都合のよい女の子シナリオについて考えてみたが、長い年月によって培われた自分の性格は頑固で、そうそう柔軟に考えを改められる気がしなかった。

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