第5話 洞窟の外へ、そして……

 ぐったりとして動かなくなった女性の面鎧かぶとを脱がせると、その仮面の下からは、予想したより随分若い、少女の横顔が姿を見せた。――もっとも、美しいかと問われれば、返答に窮する。何しろ彼女の表情は、苦痛に歪んだままなのだから。


 意識を取り戻した後のことを考えれば、また七面倒な想像ばかりが頭をよぎる。剣と盾で武装している程度の文明レベルなら、おそらく、少女の肌に刻まれた火傷は、一章残るだろう。長居して、助けた理由を問い詰められる程度ならまだしも、逆恨み――いや、あながち僕を恨むのは間違いではないか?――されると厄介だ。助けたのが気紛れなら、見捨てるのもまた僕の気紛れ。ここは、早々に退散させてもらうとしよう。


 少女が里に戻れば、必ず、洞窟ここで起こった出来事を皆に触れ回るだろう。そうなれば、僕はもうこの洞窟に住めない。仲間にんげんどもを呼び集めて、寝ている間に出入り口を崩し、生き埋めにでもされたら大変だ。――人の姿を捨てた後も、人のしがらみに振り回されるとは、まったく不愉快極まりない。


――まあ、愚痴を言っても始まらないか。ひとまず、当面の食い糧と、それから早いところ、次の棲家すみかを見繕うとしよう。


 洞窟の外に這い出ると、丁度太陽が真上に差し掛かるころだった。久方の光のまぶしさに、六個四対の瞳を細め、大きく伸びをする。――こうして外に出るのは、何カ月ぶりだろうか?


 乾季は、まだあと四十日は続く。乾きと飢えをしのぐには、朝夕の温度差がもたらす少量のつゆと、わずかに残った緑が育む貧弱な生態系に依存するしかない。


 しかし、今回はもう少し楽が出来るかも知れない。以前の旅人然とした軽装の若者ならともかく、鎧を着た少女まで洞窟ここに到達出来たのであれば、かなり近くに人間の街があるはずだ。


 人が住む場所には、当然、水も食べ物もあるだろう。それも、必要以上の分量が、これでもかと潤沢じゅんたくに。――なら、少しくらい僕がそれを頂戴しても、ばちは当たらないのじゃないだろうか?


 残念ながら、僕の目はあまり良くない。いや、というより、前後左右上下、あらゆる方位の視覚情報を一度に処理しなければならない都合上、普段の形態・・・・・ではあまり遠くまで認識出来ない。――ひょっとしたら、狭い洞窟にこもってばかりだったから、近視になったのかも知れないけれど。


 まあ、直接見ることは出来なくても、人間が巣喰う場所くらい、おおよその見当は付く。恐らくは、この急峻きゅうしゅんな荒野を降ったあたり、谷底の乾いた川沿いに歩けば、そう遠くない内に目的のモノを発見できるだろう。


 そうと決まれば、善は急げ。早速、触手を硬化して節足動物モドキの足を作る。動き難い吸盤を収納し、荒野を駆け下る。下半身に力を籠めると、背中にグンという加速を感じ、颯爽さっそうと景色が流れる。


 相変わらず、どこを見渡しても土色しかない殺風景な場所だ。けれども、今日はそんな景色にすら心が躍る。久しぶりに美味いものが食べられるのではないかという期待に、胸を膨らませる。


 別に、塩味や香辛料の風味が好きだという訳では無い。けれども、たといおぼろげな記憶しかなくとも、人間だった頃の僕の好物に、再びめぐり合えるのではないか。そう思うと、不思議と足が速くなる。


 ――もっとも、首尾よく目当ての品くいりょうを見つけたところで、どうやってそれを入手するのかという問題は、未解決のままだけれども。


 街に侵入するのは簡単だ。門から入れなくても、夜に城壁をよじ登れば良い。侵入した後も、まあ、何とかなるだろう。普段は形態変化で誤魔化ごまかして、不都合があれば水路か路地裏にでも隠れたら良い。――人間に化けるのは、久しぶりだ。


 水は、すぐに入手出来るだろう。谷筋にある街なら、乾季の間は地下水に頼り、広場かどこかの井戸を水源としているはずだ。問題は、やはり食料の方だろう。


 金品は持っていない。だから、市場で何かを買うのは難しい。もし、欲しいものがあれば、まっとうな手段んで手に入れることは難しいかも知れない。――有態ありていに言えば、盗むか奪うかだ。


 近くに畑があるのなら、ちょいと収穫物を拝借するのもやぶさかではない。この季節なら、葡萄ぶどう無花果いちじく――もしそんな品種が存在するならば――がたわわに実っていることだろう。


 あふれる果汁と柔らかな果肉の感触を想像して頬を緩めながら、一路人里を目指す。――そして、次第に低地の様子まちのあたりがおかしいことに気付く。


 遠方からでも分かる。街があるだろうと予測した辺りに、濛々もうもうと立ち込める砂塵さじん。いや、あれは、黒煙けむりだろうか。――だとしたら、余計に、何故なぜ


 硬化を解いて人に化けると、もやが掛かった様に視界が狭まり、代わって遠くの様子が良く見えた。あけの城門を持つ、立派な街並み。その街を攻囲する、青い旗並みの軍勢。


 立ち昇るすすは、街と門扉もんぴが焼ける煙だ。火砲は見当たらない。代わりに、縄と木材を複雑に組み合わせた遠投投石機トレビュシェット、それを少し小型にして車輪を付した移動投石機カタパルト、両者に援護された攻城櫓ベルフリー破城槌エアリーズ。――そこには、原始的ではある者の、城壁のある街を攻め滅ぼすための、ありとあらゆる兵器が準備されていた。


 分厚い甲冑を着た騎士、盾ではなく長い槍を持った歩兵、彼らを掩護する長弓兵と、指揮官のための戦車チャリオット。その総数が、三万を下ることはないだろう。


 けれども一際目を引いたのは、攻城陣形のほぼ中央に位置する、きらびやかな服をまとった人々の部隊だ。いや、部隊なのか、それとも物見遊山ものみゆさんに随伴している、貴族ないしは従軍司祭の集団なのか。実際のところ、戦場に似つかわしくない、余りにも場違いな雰囲気に誤魔化されて、その正体が良く分からなかった。――彼らが詠唱・・を開始するまでは。


 一団の中央に立つ老人が、手に持つ杖を指揮棒の様にふるうと、それに呼応して周囲の者たちも杖を高く掲げる。やがてその周囲に複雑な紋様が浮かび、高炉で精練したばかりの白銀のようにまばゆい輝きを放つと、頭上に巨大な溶岩が出現する。


 その燃える石が、ゆっくりと、まるでスローモーションの様に、街へ向けて落下していく。狙いは城壁では無い。角度からして街の中央、市街地を越えた所にある、一際大きな建物のあたりを狙っている。


 迎撃のためだろうか、街からも、投石や弓矢に加えて、幾本かの光の渦が飛ぶ。けれどもそれらは、火球の理不尽な質量に捻じ伏せられて、またたく間に掻き消されてしまう。


 城壁の上で守備に就いていた者たちが、絶望の表情を浮かべる。煙と硫黄を撒き散らしながら、魔術師・・・たちが招来した溶岩は、ゆっくりと兵士たちの頭上を越え、彼らが守るべき市民たち、あるいは主君たちの上に落下していく。そして、再び周囲に眩い光が満ち――。


 この日、一つの街が滅びた。

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