第4話 気紛れ

 薄暗い洞窟の中、かつて捕食した人間の記憶を頼りに、たどたどしい言語を操る。五歩の距離を置いて対峙する、仮面の騎士と化け物。こちらが人語を発すると、苦痛にしかめられた彼女の眉が、今度は驚きの様相を浮かべる。


「信じられない。お前には、知性があるの?」

「……君こそ?……武装して、……断りも無く人の住居に押し入って来るなんて……。……それが理知的な生物のする事だと言い張るなら……常識というものを、疑うよ?」


 出来る限り、警戒させない様に丁寧な口調で話しかけると、返って来たのは、上から目線の驚愕きょうがくだった。――まあ、先方にしてみれば、こんな荒れ地の洞窟が誰か・・の住居だなんて、思いもしなかっただろうけれど。


 この場所を住居と呼ぶべきか、それとも巣窟そうくつと称するべきか――いや、そんなことは、どうでも良いか。言葉を交わす間にも、彼女の体は毒にむしばまれている。助けるのなら、早くしないと手遅れになるだろう。


「……君は、毒を浴びた。……治療しなければ、死ぬ。……助かりたいかい?」


 我ながら、悪役としか思えない台詞せりふを繰り返す。誰とも会話しない隠遁生活いんとんせいかつが長引いた結果、こんなしゃべり方しか出来なくなってしまった。


 お蔭でほら、折角救いの触手を差し伸べたというのに、彼女はまるでかたきを見るような険しい目付きで、憎々し気な表情を浮かべている。――ああ、剣を構えないでくれますかね、こちらに敵意は無いので?


 彼女からは、依然として凛とした闘気が伝わってくる。毒に冒されてなお闘志を失わないその姿勢は、立派なものだ。けれども、彼女が戦う積もりなら、僕も応戦しない訳にはいなかい。そうなれば結果として、僕は彼女の命を奪う事になるだろう。


 こちとら、人間もとどうぞくなんて二度と食べる気はしないし、食べる予定のない生き物を、殺して喜ぶ趣味もない。第一、うら若い女性をほふって寝覚めが悪くなるのは御免こうむりたい。要するに、僕は彼女を生かしたい。


 いや、でもしかし。良く考えたら、それも少し違うかも知れない。もし本当に助けたいだけなら、有無を言わさず拘束して、頭から中和薬液どくけしを降り掛けて、遁走とんそうすれば済む話だ。わざわざ面倒な説得・・という手段を選んだのは、多分きっと――僕が、退屈だったのかな?


 きっと、暇を持て余していたのだと思う。乾季の間中、いや、食糧事情・・・・が豊かになる雨季も含めて、ずっと洞窟の天井に張り付いて、地面ばかりを眺める日々。たまの外出も、精々洞窟の入り口付近を巡回する程度。これで、退屈しない方がどうかしている。


 物言わぬ動植物ではなく、言葉を操る人間との触れ合い。会話とも言えない単調な遣り取りにすら、不思議と心が躍る。勿論もちろん、これは仮初かりそめの歓喜。人の世の営みなど、所詮しょせんはかないもの。そんなものに関わるのは、いとわしいばかりだ。


 でも、ほんの少しだけなら、悪くはないかも知れない。たまに触れ合う分には、人間というのも、存外捨てたものではないのかも知れない。


 ――ならば、結構。この僕に、再びそんな気持ちを抱かせた功績に免じて、君の命は助けてあげよう。君が助かりたいかどうかなんて、この際どうでも良い。僕が助けると決めたから、君は助からなくてはならない。剣と盾で武装して、無断で人の家に上がり込むという狼藉ろうぜきを働いたことも、水に流してあげよう。


「――断る。人外の誘惑には、屈さない。トルキアの守り人として、人に仇為あだなす存在を、看過かんかすることは出来ない。――お前を調伏ちょうぶくして、何としても、私は街を救う……ッ!」


 彼女からの返答は、半ば予想通り。まあ、ここですんなり首を縦に振られても、それはそれで何を考えているのか分からないから困る。だから、この位の反応・・・・・・が丁度良い。


 剣戟けんげきではなく言葉で応じたということは、相手に交渉の余地があると言うことだ。たとい返事が否であっても、彼女が交渉のテーブルに着いたという事実だけで上出来だ。


「……別に、何も対価を要求したりはしない。……死にたくなければ、手遅れにならない内に、血清を飲むと良い」


 既に、手足の先が痺れてきたのだろう。剣と盾を支える腕が、小刻みに痙攣けいれんしている。やがて限界が来たのか、ガシャリという音を立て、彼女は床に膝を着く。その眼前に、再びそっと、ぬめりとした液がしたた触手を差し伸べる。――触手の毒は体液で、体液の毒は触手のくすりで中和できるはずだ。まあ、試したことは無いんだけれど。


「……いや、飛沫を浴びた程度なら、飲まずに患部に塗るだけで良い……かも知れない。……それ以上すると、今度は血清のせいで苦しい思いをする」


 剣を支えにして、荒い呼吸を繰り返す女性。こちらの話を聞いているのかいないのか、仮面に隠されたその額からは、大粒の汗が流れている。――良く見れば、唇がもう青紫色だ。これは、急がないと間に合わないかも知れない。


「――どういう積もりだ、化け物?」

「……別に、ただの気紛きまぐれだよ。……治った後、また襲いに来ようと思うなら……勝手に来れば良い」


 じっと相手の出方を待っていると、やがて観念したのか、彼女はてのひらを上に向けて、薬の受け皿を作る。その上に、粘性のある中和液を、ほんの数滴垂らす。薬液の触れた部分が即座にただれ、痛々しい茜色に染まる。周囲に、皮膚の焼ける臭いが立ち込める。


「……その薬は、体内の毒を中和する。……信じるのも、信じないのも勝手だけれど。……もし、運よく助かったら……里に降りて、腕の良い医師にてもらうと良い」

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