第3話 交戦

 獲物が真下に到達し、通り過ぎようとしたその瞬間。初めて遭遇する相手に、何度も繰り返してきた動作を仕掛ける。


 初動を気取られぬため、岩への擬態もそのままに、星の重力に身を任せた、天井からの自由落下。そして、獲物の後背を占位せんいした瞬間、一番頑丈な触手を繰り出し、無防備な首筋に強烈な一撃を見舞う。


 瞬間、爆ぜる様に飛び散る血飛沫!!――ではなく、文字通り火花が洞窟に舞う。必殺の一撃をさえぎったのは、獲物が左腕に装着した、鈍い銀色に輝く扁平へんぺいな鉄板。――これは、もしや、


「やはり、化け物の幼生が巣喰っていたか……。しかし、随分と大きい」


 続いて脇腹から伝わる、鈍い痛み。どうやらは、こちらの攻撃を受け止めると同時に、右手に持った剣で斬り付けてきたらしい。


 驚くべき技量だ。けれども、それより一層驚くべきは、こんな辺鄙へんぴな土地の果てまで乗り込んできた闖入者ちんにゅうしゃが、動物ではなく人間、それも声からすれば、男ではなく女らしいという点だろう。


 仮面の下の表情は、良く見えない。入口からかすかに差し込む薄明りに、鈍く輝く鱗とじの鎧スケイルアーマー。右手には、実用的ながらも美しい装飾の施された幅広長剣ブロードソード。左腕に装着されているのは、逆三角形の小木手楯カイトシールドひづめの様な足音は、足甲と一体となった脛当フルグリーブが原因か。――かなりの重武装だ。


 化け物・・・と呼ばれたことに対する、怒りは沸いてこない。反対に、数多あまたの侵入者をほふってきた、完璧な不意打ち――少なくとも、僕にはそう思えた――を、それ以上の完璧さで流麗りゅうれいしのいで見せた彼女に、感嘆の讃辞を送りたいくらいだ。


 もっとも、そんな感傷に浸っている余裕は無さそうだ。先方は、盾を前面に押し出し、重心を低く腰溜めに構え、斬り込む機会を窺っている。――さて、どうしたものだろう?


 脇腹の傷は浅い。いや、実際のところかなり深くえぐられた様だが、この体は、人間程度の斬撃ではビクともしない。逆に、斬り付けたことでモロに体液を浴びた剣が、刃毀はこぼれをして悲惨なことになっている。


 それは、僕の初撃を受け止めた盾も同じだ。元は、美しい文様でも彫られていたのかも知れない。けれども、触手を止めた木製の部分は、まるで焼け焦げたかの様にただれ、留め金にあたる周辺の金属は、あるいは溶け、あるいは弾け飛んでいる。――もって、あと一撃。いや、恐らくは、もし二撃目を受け止めようとすれば、彼女は盾ごと左腕を犠牲にする破目になるだろう。


 初撃を受け止め、反撃に転じたところまでは見事だった。けれども、僕と彼女との間には、工夫や努力、駆け引きあるいはひらめきといった小手先の細工でくつがえる事のない、厳然たる力の差が横たわっている。――未だ人間の範疇はんちゅうにある彼女には、万に一つも勝機は無い。


 じっと様子を窺っていると、やがて、仮面で素顔を隠した甲冑かっちゅうの女性が、徐々に口元を苦痛に歪める。見れば、彼女の身体の至る所から、煙の様なものが立ち昇っていた。――ああ、そうか。きっと、彼女は返り血・・・を浴びたんだ。


 この不定形の体に、斬撃で傷を負わせることは出来ない。そんな事をしても、猛毒の体液・・・・・を飛散させるだけだ。撒き散らされた体液が鎧や篭手こてに付着し、恐らく一部は防具を抜けて浸透し、生身を焦がしているのだろう。――つまり彼女は、生きながら身を焼かれている訳だ。


 何のことはない、既に勝負は付いていた。あとは、僕はただ立っていれば良い。それだけで、目の前の獲物は勝手に弱り、やがて動かなくなる。――いつもと、何も変わらない。羊や山羊を相手にした時と、まったく同じ。


 彼女がたおれた後で、哀れな犠牲者とその遺留品を体内に取り込んで、根こそぎ消化してしまおう。彼女がここへ来たという証拠を、この地上から一片も残さず喰らってしまおう。そうすれば、きっと後腐れも無くなるだろう。


 ――けれども、しかし。


 かつての同族を喰らうと言うのは、なかなか複雑な心境だ。一度試してみた時は、何とも言えぬ後味の悪い思いを味わった。たとい先に生存圏テリトリーを侵したのが彼女の側であったとしても、相手がき出しの敵意を抱いていると知っても、それでもなお、同族殺し、同族喰いというのは気乗りしない。


 だから、これは、ほんの気まぐれ。こんな言葉を掛けたのは、本当に、何の特別な理由も考えも無い、咄嗟とっさの運命の悪戯だった。


「……君は、毒を浴びた。……だから、もうすぐ死ぬ。……しかし、僕には君を助けられる。……まだ、生きたいかい?」

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