第15話 魔王と聖騎士

「誰だッ!?」

 混沌とした王都を逃げ隠れながら歩くアーズ達の前に、大きな影が立ちふさがった。

「グルル……」

 大柄な男性二人分ほどの体躯に銀色の毛皮。理性を感じさせる翠色の瞳。つい先程自分達の退路を守ってくれたシーボだった狼の姿がそこにあった。

 だがその毛並みに初めて見た時ほどの艶やかさはなく、全身のいたる所に痛々しい傷が刻まれている。

「シーボ!? シーボなのか!? そんなボロボロになって……アイツらにこっぴどくやられたみてぇだな……」

「ガウ……」

「でも……ここまで逃げてこれたんだね。無事でよかった」

「そうだなニフル。ウチら三人が揃えば、きっと孤児院のチビ達もどうにかできるで! 早くベルとかいう性悪サキュバス追っかけようぜ!」

 気を取り直したアーズが二人にはにかみ、王城の辺りを鉤爪で指差す。

「ちょっと待って、アーズ……アレ……」

「ワフ……」

 彼女の指先を目で追ったニフルとシーボが、驚きに目を見開く。そして出発を提案したアーズ自身も、すぐさま自分の発言を撤回しようか迷った。

「なんだよアレ…………」

 しばらくの間、二人と一匹の視線は、上空に突如現れた影に釘付けになっていた。

「っと、こうしてる場合じゃない! 今の内にチビ達のトコに行くぞ!」

「……そうだった!」


 ▼


「ハベル……? 合成竜キメラドラゴン? 違う……違うよ! あなたはヒナコ! 私と同じ、日本の学園に通う、ただの学生……」

「やだっ! そんな非力で凡庸で日常的な存在に成り下がるの、ハベルちゃんつまんない! オレ様は、一生このままでいるぜ。千五百年くらいは美少女のままでいられるかなぁ!」

「ふっ、ふざけないで! 返して……ヒナちゃんを返してよ! この化物っ!!」

「化物ねぇ……そっかぁ。そう取っちゃうかぁ…………ん?」

「えっ……?」

 覚醒したヒナコ改めハベルが名乗りを上げた後、王都上空には黒い影が一つ、大きな翼を広げて飛び上がっていた。

 突如現れた、ただならぬ存在に、戦場にいる誰もが一度手を止め、空を見上げていた。


 王城内にいたリエンデもそれに気付いて、窓から闇色に染まった空の中心を見据える。その瞬間、傍らにいたミーシュと共に目を丸くした。

「何なんですの……あれ……」

「ひ、姫様……一応僕の後ろへ、お下がり下さい……」

 その姿が徐々に降り立ち、やがて全体像が見えてくる。

 翼の中心にある美しい女性の姿に、ログダとルーダイが安堵の息を吐き、インヴェインとリンドブルムが恐れ戦いてその場を離脱する。

「おぉ……ありゃあ、おいでなすったなぁ。以前より随分と力を増しちょるのう」

「フハハハハハハハハ! 終わりだリンドブルム! あのお方が来れば……もう魔族は勝ったも同然! あぁ……相変わらずお美しい……」

「あわわわわわわ……な、何なんですかあれは……それに、こ、この力は……に、逃げなきゃ……!」

「クッ……体勢を、立て直す……!」

 バサッ……!

 はためかせる背中の翼は左右で五対、計十枚。地上十メートルほど降りた辺りで、その顔がはっきりと見える。

「フッ……」

 腰まで伸びた流れるような銀髪が靡き、その下にある切れ長の瞳は真紅に輝く。引き締まった筋肉と柔らかな女性らしさ、そして豊満に実った乳房を併せ持つ肢体は見る者を魅了し、或いは畏怖をもたらす。

 より白く透き通るような肌の上には到るところに黒紫色の紋様が刻まれ、今は妖しく明滅している。

 彼女はその体に、刺々しく禍々しい、黒い鎧を纏っていた。

「待たせたな」

 その背中には十の翼。その頭には二対の角。その右には身の丈を超える黒の長剣。

 ちらりと牙を覗かせながら、超越者は静まり返った街中央の広場で、名乗りを上げた。

「我が名は魔王アリア! これよりこの王都アルナマグスを我が物とする!!」

 次の瞬間、魔物達の間から一斉に歓声が湧いた。

『オオオオオォォォ――――――――――ッ! 万歳ッ! アリア様万歳ッ!!』



「そ、そんな…………」

「姫様っ!?」

 辺り一面に響いた魔王アリアの声を聞いて、リエンデが絶望の表情を浮かべ、へなへなと床に崩れ落ちる。彼女は今、レスクから聞いた話を思い出しているのであった。

「あれが……あれが、アドネだと、言うのですか……?」

「姫様、落ち着いて下さい! まだそうと決まったわけではありませんっ!」

「わ、私は十分落ち着いています…………ふぅ」

 言いながら、リエンデは額の汗を拭い、胸に手を当てて細長い呼吸をする。

「今の段階ではまだ、レスクが言ったことをもとにした、憶測でしかありませしね?」

 ミーシュとて傍から時々姫の様子は見ていた。リエンデがどれだけレスクを愛し、アドネと親しかったかはわかる。この程度の動揺に留まっているのが不思議なくらいだ。

「ですがもし……もしあれがアドネなら、私は話をしなくてはなりません! そして、目を覚まさせるのです!」

「ま、待って下さい! やっぱり落ち着いてないじゃないですか!」

「離して! 離して下さいミーシュ! 死刑にしますよ!」

「死刑でも何でも良いですから! 今はじっとしていてください! 戦場には、エルス様もいますから!」

 じたばたと暴れて駆け出そうとするリエンデを、ミーシュが取り押さえる。やはり彼女は冷静じゃなかった。

(うぅ……こんな時に勇者様がいてくれたらなぁ……)



 魔王がいる場所から遥か離れた路地裏……魔法陣が描かれた地から離れて、ファダリとダジも全力で走っていた。飛び立った魔王の姿を追って。

「やったッスよダジさん! 俺達成功したんスよ、魔王様の召喚に! さっそく加勢に行くッス!」

「お手柄ゲラねぇ! これで美人な部下の一人や二人、侍らすのも夢じゃな…………ん?」

 しばらく走った辺りで、二人の目に見たことのない姿が飛び込んできた。

「げっ……」

「ガウッ……」

「あれは……魔族に、ゴブリン!」

 魔族や魔物の殆どが城に集中したのを好機と見て、ベル達を追っていたアーズとニフルとシーボの姿だ。

「ありゃ怪魔族と魔狼と……なんかすごそうッスね。美人揃いだわぁ……」

 目の前で軽薄で軽装な魔族の男が言った言葉に、アーズが首を傾げてニフルの方を見る。

「なぁニフル……怪魔族ってなんだ?」

「その名の通り、怪物みたいな魔族のことさ。ニフルは肌も青くて目も黒いし、人間離れした部位も多いからね……魔に属する者として、より純度が高いからそう言われる」

「なんだそりゃ……割と落ち込むぜ」

 項垂れるアーズが、しげしげと自分の体を見る。徐々に慣れてはきたものの、内側から込み上げてくる力と衝動には、まだ馴染みきれていない。

「魔狼ってのは、文字通り魔の狼さ」

「ワフ」

 シーボもただ頷くだった。恐らく納得しているだろう。

「へぇ……アンタらもアレでそんな姿になったんスねぇ! すっごいなぁ……本当にすごい体ッスねぇ……キヒヒ」

「お前ら! ウチらは……みみ、見ての通りの怪魔族だ! 怪しいモンじゃねぇ!」

 感嘆の息を吐き顎に手を当てるファダリの姿に、反射的に大きな胸を両手で隠すアーズ。今の自分の姿は確かに化物だが、同族から見ればそれはそれは魅力的な体に思えることだろう。

「そこのおみゃーは、人間……にしてはちょっと雰囲気が違うゲラねぇ」

「ひっ……来ないで! 滞空刃フェザー展開!」

 ニフルも、本以外で初めて見るゴブリンの姿に少々驚いている。思っていたよりも醜悪に見えたそれが、成長した自分の体に品定めするような下卑た視線を向けるものだったから、翼のような菱形の刃……滞空刃フェザーを反射的に前方に射出できるよう構えた。

「そ、そんなに身構えることないゲラよ!? ただお話がぁ……したいぃ……だけ、ゲラァ……」

(何で今更緊張してるッスかこのゴブリン……童貞ッスかね……)

 ぷるぷると震えたゴブリンの姿を、ファダリが冷めた目で見下ろす。ダジが何を考えているか、彼にはすぐにわかった。

 だが目の前の女子達にはわからず、聞いてもきっと拒絶されるのがオチだ。そんな結果がわかっているから、ファダリは冷めずにはいられなかった。

「フゥ……フヒィ……オラは、今さっそく決めたゲラ……」

「何をッスか」

「ハァ……ハァ……アイツら……まとめてオラの部下にするゲラァァ――――ッッ!!」

 グサグサグサッ。

 次の瞬間、ダジの腹には既に八枚全ての滞空刃が刺さっていた。

「ギャアアア――――ッッッ!!?」

「ダジさぁ――――――んっ!!!!」

 隙のない謎の攻撃に対処が遅れたのだ。ダジは避けるどころか盾で受けることもできず、ただサクッとやられてしまった。

「ごめんなさいっ! ボク達、急いでいるんです! 多分一週間程度で完治しますから!」

 緑の紋様を纏った奇妙な姿をした青髪の女性が、滞空刃を回収してホバー移動しながら謝罪の言葉を述べて去る。

「じゃーなオッサン共! オレ達はとっととベルのヤツをぶっ叩かなきゃいけねぇんだ! 構ってる暇なんかねーよっ!!」

 赤髪の怪魔族は、悪態を吐きながら背中に生やした翼で飛び去っていく。

「アオォ――――――――――ンッ!!」

 魔狼は、吠えるだけ吠えて走り去った。

「………何だったんスかねぇ……一体」

 ファダリは、呆然とその姿を見送り、ダジの刺された傷に包帯を巻き始めた。溜め息を吐きながらも手を抜かず、しっかりと巻いていく。

「さぁ、とっとと行くッスよダジさん!」

「ま、待って……勘弁し、てゲラ……コヒュー……」

「あぁもう……致命傷じゃないんで我慢して下さいッスよ! おぶるッスから!」

「クソォォ――……オラの、オラ専用オッパイがぁ……」

「いいから黙っとけやエロゴブリンが! とっとと行くッスよ!」



 街の中央に降り立った黒き魔王。その眼前に、大きく突き出た肩鎧が目立つ蒼い甲冑を纏う騎士が悠然と立ち塞がる。

「お前が魔王アリアか……話には聞いていたが、やはり、彼女の面影がある」

「何者だ……私を知っているのか人間」

「いいや知らぬさ。少なくとも初めてだ。今のお前はな」

 訝しげなアリアに、 エルスが一瞬切なげに目を伏せる。しかしそれはすぐに鋭い眼差しに切り替わった。彼女は腰に差した剣の柄に手をやり、抜剣の構えを取る。

「待っていろアドネ……魔王としてのお前を、今終わらせてやる! アーセルムナイツ、蒼の騎士! エルスロット、参る!」

 ガシャリと甲冑が擦り合う音と共に、彼女が一歩前に踏み込んで剣を抜く。両手で握った大振りの剣は、氷原のような蒼銀に輝いていた。

「ほう。私と戦おうと言うのか……良いだろう。これまで培った力を試すいい機会だ……」

 アリアの方も、虚空にかざした手から生み出した球体を右手で握り、漆黒の長剣をずるりと抜き出し構えた。

「我が名はアリア。常世総てに闇の安寧をもたらす魔王……ゆくぞ、エルスロット! ……ぐっ!?」

 相対した敵の名を叫んだ瞬間感じた痛みから、左手で頭を抑えるアリア。

「……どうした?」

「気にするな……細事だ。かかってくるがいい」

「そうか。ではゆくぞ!」

「ッ!?」

 次の瞬間、一瞬でエルスがアリアの目の前に移動して横薙ぎに剣を振るった。ずしりとした剣を枝のように軽やかに扱う姿に面食らい、。咄嗟にそれを受け止めるアリア。

「どうした。次は――」

「くっ……」

「――ここだっ!」

 いつの間にか背後にいたエルスが、下段から鋭い袈裟斬りを放った。

「っ……!」

 反転してなんとか受け止めたアリアだが、まともに受け止めるのが精一杯だった。

「まだまだッ!」

 そこからエルスは更に多方向からの斬撃を繰り返す。アリアが防戦一方の状態が続いた。

 風切り音と、剣が剣を受け止める音だけが、繰り返し広場に響いた。

「なんという、速さ……だが! はあぁっ!!」

 六十回程それが続いた辺りで、アリアが胸の奥に力を込め十枚の翼を広げた。

「なにっ!」

 同時に紫色の魔力光が、球状の壁が如くエルスの攻撃を阻んで吹き飛ばす。

「我の本懐は剣よりもこちらだ……受けよっ! 魔王の威光を!」

 壁が消えたかと思えば、暴風のような魔力の竜巻が生まれ、エルスに襲いかかる。

「これしきの魔術、受け切ってみせよう!」

 エルスは剣を横に構え、嵐を防ぐ体勢をとった。

「ぬうううううう!!」

「ほう。人の身で我が力を留めるか。ならばこれでどうだ!」

 アリアが両手から魔力の塊を放ち、竜巻が三つに増え、それぞれが別の方向からエルスを襲い始める。

「その程度……フッ!」

 だが彼女は、一切揺らがずその場に立って竜巻を受けきっていた。それどころか、三方から来た竜巻を全て、回転斬りによって同時に打ち消してしまった。

「……ふむ。本当に人間なのか貴様は」

「そうだ。これが人の力だアリア。お前も本当は、知っているはずだ」

「知っている……? 私の、過去の記憶の話か?」

「あぁ、そうともアリア……いやアドネ! 思い出せ……!」

 また切なげな表情を見せて、エルスがアリアに訴えかける。瞬時に近付いて、アリアに剣を受け止めさせながら。

「ガッ……アッ……!?」

「忘れたのか、この私の剣を! 人智を超えた勇者と肩を並べた唯一無二の剣士の力をッ!!」

「エ、ルス……」

 速さではなく力を優先した重い一撃を、一秒程の感覚で放ち続けるエルス。それを受け続けるアリアの表情には苦々しさが見え、額には汗が伝っていた。

「そうだアドネ! 思い出すんだ! かつてはお前も……魔に追われし人の世を守る為の勇士だったではないか!」

「や、やめろ…………私は、人に侵されし大地を、取り戻さなければならないんだ……」

「お前は……笑いながら侵略行為をするような者ではなかっただろ! どうしてしまったんだ、一体!」

「うるさいぃ! 貴様の言葉を聞いていると、どうにかなってしまいそうだ! 消えてしまえぇぇぇ!!」

 エルスの攻撃を弾いて、アリアが左手から魔弾を発射する。咄嗟に受け止めたエルスだったが、故に気付けなかった。

「……!?」

「踏んだな……その魔法陣を」

「――竜巻を出している間に、まさかこんな術式を……!?」

「ルーダイの秘薬が役に立ったな……彼方へ消え去れ勇士よ。顔も見たくない……!」

 魔法陣の中に、エルスの脚が沈んでいく。底なし沼よりも強い、強制力を伴って。どれだけもがこうとも、最早出ることは不可能だ。

「ま、待てっ! まだ私は……クソッ! 出れん! 姫様! 姫様ぁぁぁ!!」


「ハハハハハハハッ! さらばだエルス……ロット……! 二度と、会うことも……ないだろうな……!」

「アドネ! 頼む! 目を覚ましてくれ……君は……レスクに…………!」

 ごぼん。

 不可解な言葉を言い残して、エルスは魔法陣に飲み込まれどこかへ強制転移させられてしまった。

 周りの兵士達もそれを見たせいか、驚愕と絶望に顔を歪ませている。

「ハァ……ハァ……なんだ、この頭の痛みは……まさか、私は……本当に……」

 言いながら、アリアは民家の窓に映った己の姿を見る。刺々しい甲冑に包まれたその体は、背中に広がった十枚の翼は、頭に生えた角は、自分が人ならざる存在の証明に他ならない。

「フッ……そんな事、どうでもよいか……」

 一笑に付すアリアの心中は、あまり穏やかではなかった。

 ベルやロア達の協力があってこそ、自分はここまで魔王に相応しい力と姿を得ることができた。軍を得て人の屈服させ、魔族に安住の地を与えることができるようになった。それを否定するようなことは、あってはならない。もしそうであれば、彼女達に合わせる顔がない。

 自分の心が少なからず揺らいだのを自覚したアリアは、ゆっくりと呼吸してそれを落ち着かせる。

 今自分が成すべきことは何か、思考を巡らせる。

「……ベルは、どこだ」

 確か第三亜人混合部隊には、ベルが同行していたはずだ。

 馴染み深いサキュバスの反応は小さく、契約で繋がった僅かな気配を辿るしかない。

「ベル……」

 飛び上がって目を閉じ、街の上空から魔力の気配を探ると、ようやく位置を特定することができた。

「そこか!」

 最大の加速を以て、アリアはベルの居場所へと向かい、その現状を目にしてしまった。

「――ッ!」

 真っ赤な水溜りの中心で地に伏している、小さなサキュバスの姿を。

「ベルッ!? どうしたんだベル!」

 激しく動揺し、咄嗟に駆け寄ってその体を抱き起こすアリア。

「…………あれが、魔王? それにしては、あまりにも……うあッ!」

「テメェは寝てろ。余計なことすんな!」

 すぐ側で倒れている金騎士と、それを押さえつけている合成竜には目もくれず、アリアは必死でベルに治癒魔術をかけ続けたが、ベルが目を開ける気配はない。

 傷が普通の斬撃よりも深い。それだけの力を受けたということなのか。

「ベル……すまない。君は、本当はまだ子供なのに……それを鑑みず、作戦への同行を、許してしまった」

 アリアの目から涙が落ち、その下にあるベルの頬を伝う。その様子を、合成竜に踏まれているナギサが複雑そうな表情で眺めていた。

「くっ……一体どういうことなの……魔族は、血も涙も無いって……」

「ギィーッヒッヒ! 誰に吹き込まれたんだよそんな都合のいいハナシ!?」

 アリアの様子に戸惑うナギサの言葉を、ハベルはただただ嗤う。

「だからどういうことなの!? あなたは何を知ったのヒナちゃん!?」

「ハベル様だァ!」

「ぐえっ!?」

 相も変わらず人の名を叫ぶナギサに嫌気が差し、ついに彼女を蹴り飛ばすハベル。瓦礫の壁にぶつけられたナギサが腹を押さえて呻く。

「……って、そりゃあそっかぁ。まさか自分が殺す相手が……誰かのために喜んだり泣いたりするなんて知っちゃあ……お前はブルっちゃうよなぁ~!?」

 じりじりと歩み寄りながら、ハベルはナギサに笑みを浮かべながらそう言う。

「くっ……」

「まあ、オレはお前のそういうトコ嫌いじゃないけど、しかしまあ……はやく……早くベルさんをなんとかしなきゃっ!」

「え……?」

 唐突に笑みを消して、憔悴した表情でベルを抱くアリアのもとへ飛んだハベル。あまりにも唐突な情緒の変わりように、ナギサはただ呆然と眺めることしかできなかった。

「あなたが魔王アリアさんですか!?」

「お前は……」

「私はヒナコ……だった者です。ベルさんは……ベルさんは、私を彼女から庇って……全部、私のせいです!!」

 先程までの凶相とは打って変わって、ヒナコだった時と同じような声と表情で、彼女は涙を目に溜めて叫び始めた。

「ヒナコ……あぁ、君がか。落ち着け……まだベルは死んだわけではない」

 アリアはベルを降ろし、空いた両手の鎧を煙のように消した。黒く刺々しかったそれの中から、白く細い女性らしい腕が顕になる。

「できればやりたくはなかったが、命には代えられない……」

 シュルルルッ。

 アリアがかざした手から、紫の包帯状の影が飛び出てくる。それらは血塗れのベルの体にまとわりつき、やがてその全てを覆って楕円を形作る。

 さながら昆虫の作るマユのようになったそれは、やや縮んだ後に硬度を増して固まった。

「それは……?」

「あぁ、これはそうだな……治療の手段の一つくらいに覚えていればよい」

「ベルさんは、助かるのですか……?」

「それは保証しよう。完全に元通りとはいかないがな……」

 ベルが申し訳なさそうな表情でそう言って、次はその影をナギサの方に飛ばした。

 逃げようとする彼女の四肢を絡め取って、磔にされたような体勢に固定する。

「ぐうっ!?」

「私は先に行く。そしてベルはここに置いていく。そいつは好きにしろ」

 磔にしたナギサを放置したまま、ベルが入れられたマユをそっとハベルの足元に置いて、彼女は飛び去っていった。

 残されたハベルの邪悪な目が、無防備なナギサとマユを交互に見る。

「ククク……いい気味だなぁナギサ」

「あのねぇ……こんなことされたって私は……」

「どうすっかなぁー……手持ちの闇玉はもうねぇし、その魔装も厄介だからなァ」

 悔しげな顔で自分を睨めつけるナギサの魔装の胸部分に、ハベルが爪を引っ掛ける。

「ひっ!?」

「……っぱりおかしいよなぁこの露出……魔装を発明したヤツぁ変態なのかねェ」

「バ、バカにしないで! この魔装は王家に代々伝わる……」

「知らねぇよ異世界の伝統なんて。お前も本当はどうでもいいと思ってんだろ?」

「そ、そんなこと……いやぁぁぁぁぁ!!?」

 バリィ! と激しい音を立てながら、左胸の鎧を剥がされ、悲鳴を上げるナギサ。その衝撃で、彼女の形のいい片胸がぷるんと揺れる。

「ッヒャハハハハ! ウヒッ、アヒッ……ヒーッヒッヒッヒ!!」

「ちょっ、やめ……」

 それからもハベルは、次から次へとナギサの魔装を砕き、剥いでいく。無抵抗なまま辱めを受けた騎士は目に涙を溜めて、与える側は狂ったように笑い続ける。

「アハッ! ハッ……ハハーッハッハッハ!!」

「ヒナちゃん! こ、こんなことをして何になるの!? やめてぇぇぇぇぇ!!」

「だって楽しいんだもぉぉぉぉん!! ハハハハハ! オラッ!」

 ハベルが遠慮なく腹に拳を打ち込む。人外の腕は強靭かつしなやかで、より効率的にナギサの体力を削っていく。

「ぐうっ!? ……ハァ……ハァ……こ、こんなの……ぎあぁ!?」

「ヒヒフヒヒ! ギャハハ~ッ!! ハッ……」

 顔を押さえて、堪えきれないといった様子で、合成竜はひたすら笑っていたが、不意にその動きを止める。

「つまんねぇ……帰るか」

 急速にクールダウンした空虚な表情で、彼女はすぐさま踵を返した。

「うっ……ちょっと、待ってヒナちゃん! お願い! これ解いて!」

「あ? 」

 ナギサの懇願に苛立ちを顕にしたハベルが、四翼を羽ばたかせ城の方へ飛び去ってしまった。

「ち、ちょっと……いか、行かないで! 待ってってば! ハァ……こ、これ……なんとかしてよぉぉ!! あっ…………」

 所々魔装の鎧とインナーが破損して磔になった状態で放置されてしまったナギサ。露出した胸を隠すことができず、吹き付ける風から身を隠すこともできない。

「ハァ……ハァ……くしゅっ!」

 周りではまだ戦いが行われている。こんなところで止まるわけにはいかない。だというのに、ここから抜け出す手段も、抜け出した後に戦う力も、彼女にはもう残っていなかった。

「ダメ……もう、意識が…………」

 女性がこんな扇情的で無防備な状態で気絶したらどんな目に遭うか、わからない彼女ではない。だが、耐えられない。

「グルルルルル…………」

「あぁ!? 魔物がこんなところまで……くっ……」

 気が付けば、目の前には人を遥かに超える体躯の銀の狼が立ちはだかっていた。目を瞑り、傷を負う覚悟を決めたナギサだったが、様子がおかしい。

「キャウーン!?」

 銀狼の顔は真っ赤に染まり、素早くそっぽを向いてしまった。

「どうしたシーボ……ん? なんだオメェ、照れてんのか。デカくなっても中身はエロガキのまんまだな」

「ガウッ! グルル……」

「乳ならウチもデカくなったが……青い肌は好きか?」

「アオッ!? クゥゥン……」

 青白い素肌を惜しげもなく晒し、人外の四肢と尻尾を備えた長い赤髪の怪魔族が、銀狼をニヒヒと笑いながらからかっている。

「やめなよ。下品だよアーズ」

 その後からは、黒のインナースーツの上から青いマントを纏った、中性的な容貌の青髪の女性が現れた。

 一見人間のように見えるが、魔物と怪魔族と絡んでる以上、魔族らしい要素がどこかしらに隠れているのいだろう。

 新たな敵が集まってきたことでナギサの体は強張り、今度こそ死を覚悟しかけた。だがその覚悟が、二人と一匹の朗らかな会話から徐々に薄れていく。

「わーってるって。冗談さ。それよりアンタ、大丈夫か?」

「えっ……」

「拘束されているね……しかもかなり強力な術式で」

 怪魔族が心配そうにこちらを覗き込み、青髪の女性はその後ろからしげしげと自分を磔にする帯を眺めていた。

「力任せに壊していいヤツなのか?」

「……任せたよアーズ」

 青髪の女性の呼びかけに応えたアーズという怪魔族が、表面がつるりとした黒く大きな腕で帯に手をかける。

「ガアアアアア!!」

 ベリベリベリ。彼女の手によってそれらは勢いよく剥がされ、握りつぶされる。

「これが怪魔族の力……案外悪くねぇかもな」

「ありがとうアーズ。お姉さん、大丈夫ですか?」

 開放され、力なく地面に倒れそうになるナギサの体を、アーズの腕が抱き留める。彼女はそれを。禍々しいが力強く、頼もしい腕だと感じた。

 しかし相手は怪魔族達。どう騙して襲ってくるかわからない。ナギサは警戒を解かず、素早くそこから離れて剣を手に召喚し構えた。

「うぐっ! ハァ……ハァ……あなた達は一体なに。なぜ私を助けたの!?」

「え? ……あぁ、そうか。この見た目じゃな……」

「大丈夫アーズ。きっとわかってくれる」

 ナギサの強い語気に、アーズが悲しそうな顔で自分の体を見直した。その青白い肩に、青髪の女性が手をかけて慰める。

「だーっ! いいよなぁニフル、お前はほぼ人間のままで! ウチは見るからに凶悪だぞ! 怖がられるのも当たり前だ!」

 水棲動物のような尻尾をビタンビタンと振り回しながら、アーズが牙を剥き出しにして青髪のニフルという女性に食って掛かった。そこに彼女はただ苦笑いして返す。

「あはは……」

「いや笑うトコじゃねーって。えっと、姉ちゃん……ウチはアーズでこっちがニフル。こっちの狼っぽいのがシーボ。みんな魔族に騙された元人間だ。安心しなとは言えねぇが……今は黙って助けられてくれ」

「バウッ!」

 アーズの言葉に合わせて、シーボという狼が力強く吠える。それと同時に、ナギサの剣呑とした雰囲気がやや弛緩した。

「よーしそんじゃ行くか! 姉ちゃんはどうするんだ?」

 シーボの背中に乗せられたナギサは、困惑しながらも今やるべきことを考えた。

 守るべき大切な友人のミーシュやリエンデ姫の安否を確認したい。変貌した故郷の友人ヒナコともちゃんと話したい。

 けれど今の自分は消耗しきっている。友人どころか自分の身を守ることすらままならない。

「どうしよう……」

 そんな情けない言葉が口を突いて出てしまう。はっと気付いて口を抑えるナギサだったが、遅かった。

「よしわかった。シーボ、彼女を街の外の安全な場所へ」

「え……」

 ニフルが指示すると同時に、ナギサを乗せたシーボはあっという間に城から逆方向に走り出してしまった。

「ちょ、ちょっと待……」

「アオオォォォ――――ンッ!!」

 制止の声は狼の遠吠えに消え、誰にも聴こえることはなかった。

 城は見る見る内に遠くなっていく。冷静になって考えてみれば、これが一番正しい選択だ。けどなんとなく納得いかない。

「降ろして……私は、まだ……」

「バウッ!」

 彼女の呟きを聞き取ったであろうシーボが、脚を止めないまま首を左右に振る。

「で、でも私は、みんなを……姫様を…………うぅ…………」

 悔しさを口にすることもままならないまま、ナギサは意識を失った。


「……行ったかニフル」

「行ったよ、アーズ」

 負った怪我を感じさせない凄まじい速度で走り出したシーボを見送ると、二人は真っ直ぐ王城へ駆け出した。

 城を中心とした戦火は、徐々にだが確実に広まりつつある。

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魔転のアリアドネ イカニモン @ORIN-EX

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