第14話 虹の七騎士と合成竜

「外は一体どうなっているのですか!?」

 王姫リエンデ・アルナマグスが、切迫した表情で叫ぶ。

「解りませぬ! 突然……本当に突然魔物で溢れ返ったのです! 結界は発動したままなのに……」

「なんですって? それでは、始めから王都に魔物が潜伏していたと!?」

 周囲を魔物に囲まれた城内は騒然としていた。慌てて駆け回る臣下や、地下修練場の更に下の牢獄まで逃げる者もいた。

「そこまではわかりません。しかり……」

 玉座の間では、近衛隊長エルスロットがリエンデから話を聞いているが、まるで情報が足りない。

 なぜこのような状況になったのか。その原因が判明せず、未だ増え続ける魔物を抑制できないのだ。その上、もう一つ懸念があった。

「他の避難民はどうなっているのです!? 兵も帰ってこないですし……何が、何が起こっているのですか……」

 姫がそう言うと同時に、何者かが玉座の間の扉を叩く。

「ハァ……ハァ……ハァ……申し上げます! 陛下、それに、姫殿下!」

「お主はミーシュ! なんだその怪我は!? 何があったのだ!」

 突然騎士隊長ミーシュが、雪崩れ込む勢いで駆け込んできた。その顔は焦燥に満ちており、額からは血が流れている。

「ミーシュ! よかった……どうしたのよその怪我!?」

「落ち着いてください! 今わたくしが手当いたします!」

 その場にいたナギサが血相を変えて駆け寄り、ゆっくりと座らせた。その額に、リエンデが手をかざし治癒魔法をかける。

「そのままでいい。何があったか、話してくれないか」

 彼女を身を案じるような表情で、エルスロットが屈んでミーシュと視線を合わせた。

「私も聞きたいですね。このままでは王都は、ただでは済まない……いえ、既に甚大な被害が出ているのですが」

 その傍らで、赤い鎧を纏い眼鏡をかけた女騎士が腕を組みながら表情を陰らせる。

「ウィンドレッド! アンタねぇ、もう少し言い方を考えらんないのかい!?」

 王の傍らにいた紫の鎧の女騎士ケイラックが、ウィンドレッドと呼ばれた赤騎士を糾弾した。

「……申し訳ありませんケイラック。自分はこういう性格ですから。ではミーシュ、話して頂けますか?」

 ケイラックに平坦な口調で謝罪したウィンドレッドが、応急手当を受けているミーシュに話の続きを促し、彼女は震えながらそれに従った。


「……なんだとォ!? そ、それは全て……事実なのだな……?」

 ミーシュが全てを話し終えると、アルナマグス王は玉座から跳ねんばかりの勢いで驚愕し、目を丸くした。

「全て事実です……民の殆どが魔族、魔物と化したことも……それらが一斉にここに襲いかかろうとしていることも……」

 言いながら、彼女はボロボロと涙を流し始める。

「自分はその光景を見て……怖くなって……みんなが襲われてる時に、何もできず……逃げ帰ってきたのです……」

「ミーシュ……?」

「いかなる処罰も受けます! 僕は……僕は、ずるい人間だ……! 犠牲が出続けているのに、動けなかった!!」

「そんな、違うよ! もしそんな状況になったら、私だってきっと……!」

 彼女の友人であったナギサが、ミーシュの自責の言葉を否定する。そこに割って入ったのは、群青色の重甲冑を纏ったエルスロットであった。

「その話は終わりだ。今は誰が良い悪いなんて話をしている場合ではないし、これからもするべきではない……さて」

 言いながらエルスは、ミーシュとナギサを傍らに立ち上がらせ、頭上に剣を掲げた。

 それを合図として、ウィンドレッドとケイラックを含めた五人の騎士が、同じようにそれぞれの武器を頭上に掲げる。

「これより、私は王姫の近衛部隊隊長ではなくなった! 今の私は……アーセルムナイツが一の騎士、エルスロット!」

「……まさか再び、その名を名乗ることになるとはね」

「先の魔王軍との大戦以来だな」

  言いながら、騎士達がそれぞれ名乗りを上げる。

「まさか……行く気なの、エルス!?」

「えぇ。逃げ場はありませんし、最早他に手段はないかと。城門も長くは持ちません……大丈夫、必ず帰ってきますから」

 その身を憂いたリエンデの言葉に、エルスが微笑みながらそう返す。

「我々も……無様に死ぬことはありません」

 言いながら六人の騎士が並ぶ。六色の甲冑が整然と並ぶ様は、空にかかる虹を思わせる輝きを放っていた。

「でも……虹を名乗るには、一色、足りない……です……ナ、ナギサちゃん!」

 おかっぱの短髪と小柄な体を緑色の重鎧で覆った大人しげな少女騎士、インヴェインが、おずおずと異邦の剣士の名を叫ぶ。

「はっ! な、何でありましょうか!?」

「この魔装……あなたが、付けてください」

「えっ……し、しかし私は」

「大丈夫、方法は以前教えた通り……ナギサちゃんだったら、すぐに契約を結んで、その力で魔族を……倒せると思う……」

「…………わかりました! 魔装展開ッ!」

 ナギサは一瞬で迷いを斬り捨て、今を守ることに気持ちを切り替えて、黄金色の宝石が埋め込まれたペンダントを受け取った。

 眩い光とともに彼女の兵士用の鎧が砕け、均整の取れた美しい肢体が顕になった。

 神話の戦乙女を思わせる羽飾りをあしらった兜は、目元をバイザーで隠しその素顔を守る。その下からは、艷やかな長い黒髪がなびく。

 ほどよい大きさの胸の上半分や四肢も薄い甲冑に覆われる。この鎧にはあらゆる加護が備わっている。女性らしく細く露出の多い外見とは裏腹に、その防御力は人智を超えたもの。まさに戦乙女そのものなのである。

 分厚い腰鎧の下からは白い腰布が垂れ下がり、脇には精緻な装飾が刻まれた剣が携えられる。

 そして今ここに、七人目のアーセルムナイツが誕生した。

「なんと……」

「バカな……!」

 ケイラックとウィンドレッドが、驚愕に目を見開く。リエンデとエルスは逆に、確信に満ちた笑みをたたえていた。

「フッ。これで七人揃ったな……並べ!」

 エルスの言葉に続き騎士全てが整列し、それぞれの甲冑の輝きが城内に虹色を作る。

 現実の空は暗雲に包まれ、その下は邪悪な魔物達で溢れかえっている。そんな地獄のような戦場へ、騎士達は一歩を踏み出して城外へ赴く。暗雲に差し込んだ虹の光に、半分にまで減った兵達の士気も上がっていく。

「エルス様だ!」

「ケイラックお姉様まで!」

「ウィンドレッドの姐さん!? 出撃するのか……」

「誰だあの黄金の騎士は……お美しい……」

「まさか……七騎士全てが揃う様を見れるとは……」

 開いた城門の中心で、エルスが掲げた剣を前に向けて、叫ぶ。

「邪悪なる魔の者達よ――――降伏せよ!!」 



「その調子だ! 城門を守る敵を蹂躙し、侵食するのだ、魔物達よ!」

 前線に立ったルーダイが魔物達を指揮し、ログダと共に兵士達の守る城門を攻める。いかに王の膝下の精強な兵士といえど、これほどの凶悪な魔物の大群を前にしては、多勢に無勢。

 だがそんな苦境の前に、七色の鎧の騎士が現れる。

「なにっ……!? お前達、一度下がって迎撃体勢に移れ! 強敵との会敵に備えるのだ!」

 すぐさま敵の力量を悟ったダークエルフは、突撃しようとする魔物達を止める。

「なぜだぁ~? 人間なんぞに大した力もないだろぉ~?」

「そうよぉ! 今すぐ殺っちゃうべきよぉ!」

「グボボボボ! グボ! ボォォォ!!」

 大小様々な魔物がそれに不満を漏らす。ある者は角をちらつかせ、またある者は不定形な体をブルブルと震わせて。

「黙れ! 死にたいのかクズ共!」

 だがしかし、ルーダイの一括で魔物達が一斉に押し黙る。自分より強い彼に逆らう者は、誰一人としていなかったのだ。

「しかし、こいつぁまずいのぅ……アーセルムナイツじゃ。しかも総出とは……こりゃ生きては帰れんかもしれんな」

 隣にいたログダが、冷や汗をかきながらぼやく。ルーダイもそれに同意しかけたが、ここで折れてしまっては同胞達に向ける顔がない。

「王城に攻め入る以上、最終的に奴らを相手にしているのは想定していたであろう! ここはあのお方が来るまで我らで耐えるしかあるまい! 幸い、戦力は敵兵の魔物化で増える一方だしな!」

「そう上手くいくかのう……」

「怖気づいたか老兵? なら杖でもついて故郷に帰るんだな」

「フッ……まさか。晩年を飾るには丁度いい相手じゃわい!」

 ルーダイに発破をかけられ、ログダが奮起する。

「私も頑張らなければならないようですね……どうやら敵もすぐそこまで来たようだから……なっ!!」

 ギンッ!!

 咄嗟にルーダイが構えた槍が、二本の槍と斬り結ぶ。

「避けたか……やりますね……!」

「黄緑色の鎧に二本の槍……貴様か、リンドブルム!」

 フルフェイスの兜に黄緑色の甲冑。そして両手に構えた槍。双竜と謳われた槍捌きは、他に追随する者なし。経歴不明の謎に包まれた竜騎士、リンドブルム。

 ルーダイが頭の中でその呼び名を反芻する。敵は思った以上に手強いようだ、と覚悟を決めて、彼は額に伝った汗を拭う。

「そう、私こそは風の双竜リンドブルム! 来るがいいダークエルフ!」

「言われなくとも……第三亜人混合部隊隊長、ルーダイ……参る!」


 一方ログダの目の前には、緑の重騎士が大鎚を手に立ち塞がった。

「わしの相手はお前か……相変わらず、控えめだな」

「ほ、ほっといて下さい……私も、気にしてるんです……」

 呆れ顔のオーガを前に、緑の騎士インヴェインは歯を食いしばって大槌を構えた。

「力の差は歴然です……あ、諦めてくださいっ!」

「そうはいかん。わしにも面子というものがある」

 そして、歴戦の戦士同士の戦いが始まった。周囲の兵士の士気も上がり、人間側の劣勢が覆されつつある。エルスロットとウィンドレッドは、大きな魔物達を屠り、破竹の勢いで前線を押し広げていた。

 特にエルスロットが槍から放つ竜のブレスにも似た光線は、殲滅力が高い。

 その光景を遠巻きに見たベルが、いち早くベルディアのもとまで飛んでいく。状況を見るに、ヒナコは今他の戦士や魔物達から離れ単独行動しているようだった。

「た、大変ですベルディアさん! 魔物達が、騎士さん達に一斉にやっつけられてます!」

「わかってます……でも、どうすれば……どうすればいいんですか!?」

 あれは全て自分と同じ人間なのだろうか。ヒナコの脳裏にはそんな疑問が過った。

 そして騎士達の中でも特に異彩を放っている存在が一人、こちらへ近付いてくる。

「黄金の……騎士!?」

「いたわね……そこの魔族の女! まずは貴方からよ!」

 有無を言わさずに剣を抜く騎士。ヒナコはそれを慌ててハルバードで受け止めた。

「うあっ!?」

 ビリビリと手に振動が伝わり、今にも倒れそうだった。

「はあああああああああああ!!」

「ううっ!」

「フンッ! ぜいっ!」

 人間とは思えない力と速さで、何度も何度も斬撃を放ってくる。

「すごい……これが魔装の力……」

「魔装……?」

 その一言で、相手が自分と同じように魔装を纏った人間だと気付く。同じ状態でこれ程の力の差があることを認識し、彼女の心に暗雲が立ち込める。

「そう、魔装よ! かつての七騎士の一人が持っていたものを、私が受け継いだ……まだまだァ!」

「きゃあっ!?」

 強烈な一撃によりハルバードを弾き飛ばされ、同時に自身を吹き飛んで倒れ伏すヒナコ。衝撃で兜や鎧の一部にヒビが入り、所々で血が漏れている。

「はぁ……はぁ……」

「終わりよ! 悪の根は――――ここで断つッ!!」

 痛みで動けないヒナコが、凄まじい速度て近付いてくる剣士の姿に死を意識しだした時、目の前に立ち塞がる影があった。

「ダメえええええええええええええええっ!!!」

「そこだぁぁぁぁぁぁぁあ!!」

 小柄な女性が叫んで、自分の前に立って斬撃を体に受ける。その姿に、ヒナコは動揺し、倒れたその女性をすぐさま抱き起こす。

「ベルさんッ!?」

 黄金の騎士の攻撃から自分を庇ったのがベルだとわかり、ヒナコはかつてない程に動揺した。

「うっ……ゴホッ! ハァ……ハァ……だいじょうぶ、れすか……?」

「そんな……どうして……」

 大量の血を流しながら、光を失った目でベルがこちらを見る。しかしその目は次第に歪み、涙をこぼし始めた。血を流す口はガクガクと震え、うわ言のように何かをつぶやき始めた。

「あれ……痛い……痛いよぅ…………たす、けて……たす…………ヒナ、コ……さん……」

「ヒナコ……? まさか……いや、そんなはずは……」

 止めを刺そうとした金色の騎士の動きは、そこで止まった。

「やだ……痛い…………しにたく、ないよ……ヒナコ、さん……」

「ベルさん……逃げよう! 一緒に逃げようよ……! 早く……!」

「ハァ……ハァ……いまいくから…………お、にい、ちゃん……ゲホッ!」

 虚空に伸ばされた彼女の手を、ヒナコが掴んで返す。だが既に彼女の呼吸は荒く、声は今にも消え入りそうで、それを見たヒナコはとても冷静ではいられなかった。

「ううっ……! どうして……どうして、こんな……!」

「……うるさい! 街をめちゃくちゃにしておいて……被害者面するなッ!!」

 言いながら、敵はヒナコの腹を蹴って、抱きかかえていたベルの体から引き剥がす。

「ガハッ……!」

「あんな風に……人から奪って奪って、奪い尽くしておいて! いざ自分がやられたら怖いって? そんなの許せない……私がこの手で滅ぼすッ!」

「そんな……そんなのって……」

 私はまた、屈してしまうのか。今までと同じように……

 ヒナコの脳裏に、かつての世界にいた時の記憶が蘇った。



『えぇ~! 期末テスト学年二位!? すごいじゃんヒナコ!』

『あはは……それほどでも……』

 あぁ、そうだ……あの時も……

『見てみてヒナコ! 私、また一位取っちゃった!』

『ナギサさん、また一位だってよ……すげぇよなホント……』

 私が二位なのを知らず、悪意もなく、ただ純粋に自分の努力と才能を誇ったんだ。私がどれだけの時間を勉学に費やしたかも知らずに……

『金賞はナギサか。まったく優秀だね君は……』

『ありがとっ! でも、私は……ヒナコの絵も、好きだよ』

 嫌味じゃないのはわかっている。でも、でも私の絵は……銀賞だったんだ。

『私、またヒナコと一緒に何かしたいな…………どうしたの、ヒナコ?』

『なんでもないよ、ナギサ……あはは……』



 この世界に来る前も、来てからも……私は……同じ環境で、遥かに先を行かれる……

 体が弱い上にベルさんに突然魔装を着けられただけの私と、騎士として正式に訓練を積んでいたであろう騎士とでは、差がつくのも仕方がない。

 わかっている……誰かに非があるわけじゃない。わかっている……でも…………

「でも、でも…………すっごく、すっごく…………」

 胸に黒い靄が集まっていくような感覚がある。それが感情なのか魔力なのかはもう、わからない。ベルさんが目の前で斬られて、助けを求められて、でも何もできずただやられて……無力感に苛まれた。そしてその原因である人間の騎士に、怒りと憎しみを感じた。

「すごく……イライラするんだよ……」

「…………ッ! その、顔……ヒナちゃん……!?」

 視界が広くなった。きっと兜が砕けたのだろう。

 相手の騎士は、私の“人間としての”名を知っている。それに聞き覚えのある声に、見覚えのある体つきだ。羽のような兜で顔を隠していても、長年の付き合いがあればわかる。

「やっぱり……ナギサか……」

「ウソ……何でヒナちゃんが、魔族と一緒にいるの……」

 驚きと悲哀に満ちた声で、ナギサが呟いた。だがもう、そんなことはどうでもいい。

 勝てないとわかっていても、立ち上がるしかない。ベルさんを、助けなきゃいけないから……

 足元がふらつくし、武器も持っていない。でも……助けなきゃ……命の、恩人なんだから……

「ハァ……フッ……うぅ……あっ」

 ドサリ。

 ダメだ……立てない……何か、方法は……

 その時、私はようやく思い至った。腰に手をやって取り出したのは、残り三つとなった黒い飴玉のような球体。

 それを見た瞬間、以前アスモデの街を発つ前にベルさんとした会話を思い出した。



「ヒナコさんって、どこから来たんですか?」

「それは……えっと、遠いところですよ」

「遠いところ……ですか。おともだちのおはなしとか、きかせてください!」

「友達……ですか。うーん、それじゃあ、親友の話でも……」

 そこで私は、この世界に来て初めてナギサについてのことを他人に話したんだ。勉強も芸術も全て上を行かれることも。体が弱くて運動じゃ絶対に追いつけないことも。

 途中、ベルさんはなんだか苦い顔をしていた。もしかして、自分にも覚えがある……のかな。そんなわけないよね。ベルさんは私と違って小柄で可愛くて、それでいて胸はすっごく大きいし、自分のこと大好きみたいだし。

「ヒナコさんは……いつも比べられてきたんですね……」

「べ、別に私は……気にしてないんですけどね……」

「ウソです」

「え?」

「だってヒナコさん、今酷い顔してましたよ?」

「あはは……普段から顔隠してると、表情作るの忘れちゃいますね……」

「じゃあヒナコさんも、食べてみませんか? 闇玉やみだま

「やみだま……?」

「またの名を『アリアシード』! 魔王のお姉様が、自分と魔物さんの力をかけ合わせて凝縮した玉です。食べた人はみーんな魔族や魔物になって、おともだちになれちゃうんですよ!」

「もしかして、それが計画にあった……?」

「はい。元は人間のこどもたちをさらっちゃうだけの計画だったのが、これが完成したおかげで早めることができたって、ルーダイさんからききました」

「そっか……すごいね、ルーダイさん」

「ヒナコさん、あなたもこれをつかえば、魔族になれますよ! …………そうしたらもう顔をかくさなくてもいいですし、それに寿命もとても長くなりますし、わたし達、ずっと一緒に……」

「…………ごめんなさい」

 その言葉を聞いた時は、正直怖かった。相手はサキュバスなんだから当然なんだけど、人間をやめろ、って当たり前のように勧めてくる相手が、なんだか異質に見えたんだ。

 でも断った時にベルさんは一瞬、すごい悲しそうな顔をしていた。きっとすごく、勇気を振り絞ったのだろう。私は勇気がないから、その提案と闇玉を飲み込めなかった。

「いえ、いいんですよ! にんげんをやめるのって……ふつうは……とっても勇気がいりますから……」

「ううん。私に勇気がないだけ……でも、あの子だったらこんな時……どうするのかな……」

「……ヒナコさん?」

「ううん、何でもない! ありがとう……ベルさん」

「いいんです。ヒナコさんはおともだち……ベルディアさんは、私の大事な騎士ですから! でもこの闇玉は、少しだけ預けておきますね、それでは……おやすみなさい……」

 相変わらず、ベルさんの笑顔はすごく綺麗だ。まるで純粋無垢な子供みたい……魔族然とした振る舞いもたまにするし、最初は怖かったけど、そのうち私はそんなベルさんのことを、本気で友達だと思ってたんだ。



「勝った子の意見が正しくて、負けた子の意見は、全部言い訳……それが、世界の在り方……私は、ずっと、それに従ってきた…………!」

 グツグツと煮えたぎる感情が、胸の内から次々とこぼれだす。ふらつく体を気合いで支えながら、なんとか立って、言葉を紡いでいる。

「二番でも三番でも良かった! ナギサ、あなたは、憧れの人で、親友……だったから!」

 今まで出したことのないような声で、目で、黄金の騎士を睨みつけながら、私は思いの丈を吐き出していく。それが伝わることのない自己満足だと、わかっていても。

「――――だけどッ!!」

「……ヒナちゃん」

「だけど、許せない……あなたが……お前が、私の…………大事な人を傷つけてまて……自分の正しさを主張すると言うのなら……!」

「落ち着いてよヒナちゃん! あなたは……きっと悪い人に騙されているだけ」

「黙れェッッ!!!」

「えぇ……」

「騙されているかどうかは……私が決める……! 正義なんて狭い視野の思い込みに、私の……大切な仲間を……巻き込まないでっ!!」

 ガリ、ボリボリッ! グンッ!

 手に持っていた黒い玉を、三つまとめて口の中で噛み砕いた。

「はぁ……はぁ……うっ!?」

「ヒナちゃんッ!? 何なのそれは……」

「き、きた……ぐっ……うぐああああああ! アァ! ガウッ!」

 体の奥にある何かが疼き、叫び声を上げている。胃に溶岩が流入したような錯覚に陥り、吐き気に襲われる。

「うぷっ……おっ……ぐぇ……」

 ダメだ。吐き出しちゃ、ダメ……飲み込まなきゃ……

 重度の風邪の時のような吐き気と熱に耐えて、手で口を抑え喉に思い切り力を入れる。

「ヒ、ヒナちゃん…………」

「ゴクンッ……あ、あああああ」

 全てを飲み込んだ瞬間、なんとか立っていた体が、ついにまた倒れてしまった。

「アがあぁぁぁアア! グるッ……うガああああッ!!」

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いィィィィイイイイ!!

 なんなのこれっ……魔族になるだけで、こんなに体中痛いの……!?

 アーズが二個食べて異形になって、発狂寸前だったけど……私は三個。それ以上になるのは覚悟していたけど……まサ、カ……こンな……!! 

「ヒナちゃん! 今助け……きゃっ!?」

 滲む視界の端で、ナギサが近付こうとして、何かに阻まれるように吹き飛ばされた。ククッ……いい気味だ……

 あれ、何で私……こんなこと考えて……

「グゲッ…………うアっ!?」

 起き上がろうとして握った地面を掴む手が、メキメキと鉤爪状に変形していく。痛いかと思ったが、全身に異様な感覚が行き渡っていて、それすらも認識できない。まるで全身麻酔だが、不快感はその比ではない。

 けれど私は、訓練もしていない弱い体になんとか力を注ぎ込もうとしているのだ……これぐらいの代償は、耐えなきゃ……

 やだやだやだ! 痛い! 気持ち悪い! あたし帰る! こんなのもう、全部吐き出したい!

 やめてくれ……オレはもう、こんなの沢山だ! なぜ我がこのような罰を受けなければならんのだ……

「ひっ……グウ…………! 私は……オレ、は……」

 意識がぐちゃぐちゃになる。人格が乖離しそうになる。でもこの痛みを他所に押し付けるつもりはない。

 強くなるのは、私だけでいい! 誰にも、渡さない……この力は、何者でもない、この私だけの、もの……!

「いやああああああああ! やだぁ! やだあああああああ!!」

 まるで拒絶反応のように、喉が勝手に否定の声を叫び、頭がいやいやと左右に振られる。無駄だ。そうしている間にも、頭からは角が四本も生えているし、耳は尖ってきてるじゃないか。

「あああああ……やめてぇ……」

 自分から闇玉を食っておいてそんなことを口走るな。ナギサはどんな表情でそんな私を見ているんだ?

「たすケて……タすけテ……」

 勝手に動くこの口を塞ごうと思ったが、その必要はなかった。

「おごほぉぉぉぉお!?」

 口の中に、何かが入っていくのがわかる。よく見れば、纏っていた魔装がドロドロに溶けて、裸になっているじゃないか。羞恥心など感じる暇もなく、露出した肌から何かが隆起している。

「もごごぁ……おぁ、ほごぉ!」

 みっともなく叫んでしまうのが、やめられない。人間に備わった防衛本能がそうさせるのだ。反射的に目を瞑ったり、熱い鉄から手を離す時のように。

 でも本心は違う。この体に入ってくる力を……全て、オレのものにしたい……

「ぎぃぃいアァ!?」

 肩甲骨の辺りと、後ろ腰上の皮膚が突き破られる感触があった。左右を見れば、五メートルくらいの蝙蝠みたいな黒い翼が一対。その下に、一回り小さくカラスみたいな羽毛の翼が一対生えていた。

「はグッ……はぁ……はぁ……ダメェ……あガァ!?」

 口がムズムズする。牙が新しく生えているんだ……それに舌は長く伸び、先端が爬虫類の如く二股に分かれている。

 こめかみには二対の角が上に突き上がってきて、額からは新たに五本目の角が生えているのが視認できた。

 肘から先は更に変形し、ボコボコと盛り上がって先太りしていく。その周りは強靭な鱗に包まれ、かつてオレが身に着けていた魔装を彷彿とさせる。

 膝から下も同様だ。こっちもドラゴンみたいに太く、強靭に作り変えられて、つま先から生えた三本の爪が大地を噛んでいる。太く鋭く尖ったそれの先端は、青白くて禍々しい。

 かと思えば、手足の鱗の周りがびっしりと赤い毛皮で覆われ、獣のような四肢へと変わる。

 だが、それもまたいい。いいぞ……もっとだ……もっとオレを、醜いニンゲンから遠ざけてくれ……

「はぁ……はぁ……んぅ! 好きぃ! これ好きぃ!」

 とはいえ、今のオレの姿も十分醜いがな……

「あばぁ!?」

 今度は、お尻のやや上辺りが、熱い……ムズムズする……翼と同様に、細胞が増えて、新しい部位が付け加えられる感覚だ。それも一つじゃない。三つ……闇玉の数と同じか。

 そしてズルズルと音を立てて、長いモノが体から引きずり出される感覚があった。

「グルアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァッッッ!!?」

 その衝撃で喉から出たのは、誰の声だったか。既にか弱い少女のそれではない。元のヒナコの声に、同時に何匹もの獣の咆哮が重なり、形容し難い不気味さを奏でている。

 中央から生えた一本目は予想通り、鱗に包まれた竜の尻尾だ。太く強靭で、これ一本だけで何人もの敵を薙ぎ倒せそうだ。

 左の二本目は毛皮に包まれている。獣のそれにしては長いが、これも多数の魔物と混ざりあった結果だろう。その先端には、狼の頭のようなものがくっついていて、ガウガウと吠えている。

 右にある三本目は蛇腹状の……いや、これは蛇そのものだ。細かい鱗で構成された外皮の先端に、チロチロと舌を出す蛇の頭があった。

「ヒナ、ちゃん…………?」

 怖いか……わたしが、我が、ニンゲンじゃなくなっていくのが……だがもう、止まらない……そこで、見ていろ……!

「やだっ……あぁ……グルル……もっと―……もっとだ……フゥ……フゥ――……!」

 痛い……痛い……でも、なんだか……心地いい……力が、溢れてくる……! この力が、全部……私のものになる……!

「ひぐぅ!?」

 珍しく、女性らしい高い悲鳴が出た。人間の肉体部分も、変化しているのだ。

 身長が引き伸ばされ、強靭な手足を支えるだけの筋肉がつき、乳房は今まで成長が押さえつけられていた鬱憤を晴らすかのように急激に膨らみ、尻尾の根本にある尻まで立派な丸みを帯びてきた。正直この変化は、個人的なコンプレックスが全部解消されて、滅茶苦茶嬉しい。

 下腹部の辺りに黒く刻まれた紋様が、赤く発光する。その瞬間、全身が熱を帯びて、興奮が抑えられなくなる。

「あっ……あぁ……い、ギフゥ……」

 短かった黒髪は足元まで伸びて、色が抜けて真っ白になる。目が熱くなり瞳孔がキュッと縮まった後、縦に伸びるような感触があった。視界はやや赤く、今自分の瞳が真っ赤に染まっているのだろうとなんとなく自覚した。アーズと同じように、白目の部分も真っ黒になっているだろう。肌は更に白くなっているし、これではまるでアルビノの爬虫類だ。

「いヒィ! ひグッ……グアァ!」

 だが対照的に人間でない部分はどす黒く、同じ色の鱗が、胸や股間を前貼りのように隠している。これはなかなか野性的じゃないか。以前の私なら、恥ずかしくて人前に出られなかっただろう。

「…………ヒナちゃん……なの……?」

「ひどいなぁ……親友の顔を忘れちまったのか?」

 立ち上がり、全身に漲る力を振るいたい衝動に耐えながら、オレは呆然とするナギサにそう応えた。

 耳に入る混じりけのある声は、今の自分が既に人でも魔族でもない化物であることを、否が応でも伝えてくる。

「その姿……まるでバルバスの街を奪った邪龍……」

 ……そうか。そういうことか

 最終的にヒナコだった人間は、バルバスの砦で見たナハトと似たような姿に変化した。アイツに比べれば、こっちは不純物が多く、さながらキメラといった様相だが。

「オレ様が着ていたあの鎧は、その邪龍の友人の古代竜を材料に作られたものだったんだ。今さっき体に取り込んで、こんなことになったがな……」

「そ、そんなのおかしいわよ! どうしてヒナちゃんがそんな……がはっ!?」

「おかしい? 本当にそうか? 目の前で仲間が殺されそうになって、どうにかしようとして、こんな力に頼っちまったオレ様がァ……そんなにおかしいか!?」

 叫びながら、ナギサの腹に二発蹴りを入れる。

「ぃぐっ!?」

 それだけでそいつは、後方まで派手に吹っ飛ぶ。素晴らしい手応えだ…………いや、力に陶酔するにはまだ早い。今はコイツを……いや……ベルを助けて…………ベルって誰だっけ。まあいいや。あいつムカつくから……早く殺さないと。

「死ねッ!」

「ひっ!?」

 右腕を前に突き出すと、カメレオンの舌のようにギュルギュルと素早く伸びた。そのまま吹っ飛んだナギサの体を掴み、地面に叩きつける。

「がはっ……!」

 もっと、もっと暴れたい……強く、醜く、美しく生まれ変わったオレの力を、この女に見せつけてやりたい……

 ダメよ。まずはベルを助けないと……でも、どうやって? 薬も魔術もないこの状況で、私ができることなんてないよ。

 だからこうやって暴れるのも……仕方ないよなぁ!

「やっ……やめて、ヒナちゃん! あなたはそんな子じゃない!」

「じゃあどんな子だよ!? オレ様が知ってるヒナコはなぁ……体が弱くて、運動が苦手でェ!」

「ガッ!?」

 左側の尻尾を伸ばして、狼の頭をナギサに噛みつかせる。そのままひょい、と空中に放り投げた。

「せめて学力や芸術では親友に勝とうと思って、その全てを上回られてェェ!!」

「うあぁぁ!?」

 空中にある彼女の体に向かって、今度は獣じみた脚で踵落としを華麗に決める。

「ズタズタになったプライドを押し殺して笑う…………愚かな女だァァ!!」

「やめっ……あぁぁ――――――ッ! あづっ……熱いィィィィィ!!」

 最後に、急降下して地面に打ち付けられた黄金の騎士に向かって、口から炎のブレスを吐いて締める。

「ヒャハハハハハ! 見ろ、この力を……もうオレ様は、お前の後ろをついていく必要も、誰かに守られる必要もないんだァァァァァ! ヒィャ――ッハッハッハッハッハァァァァァ!!」

 強靭になった両手を広げ、心からの喜びを体で表しながら哄笑する。うじうじ悩んでいた頭の中がスーッと晴れていくのが解る。私は……生まれ変わったのだ。

「ま、待っててねヒナちゃん……今、助けるから……」

「助ける……? ねぇナギサちゃん……もしかしてあなた、私が誰かに乗っ取られてるとか、洗脳されてるとか思ってる……?」

「えっ……」

 低く変化してドスの効いた声音を抑え、かつての口調を意識して話す。それだけでナギサは呆然とした顔になり、オレは顔のニヤニヤが抑えられなくなる。

「残念だけど、これは私の意志よ……貴様も見たであろう? 私が自ら、力を全部受け容れるのを……」

「そんな……ヒナちゃん……」

「やめろ……オレ様は最早ヒナコでもベルディアでもない。ニンゲンでも魔族でも、邪龍ですらない」

「えっ……?」

 そうだ。こんな外見でヒナコなんて名乗ってみろ。ベルにだって鼻で笑われちまう。魔族のベルディアでもない。俺は最早、かつての私と同じように誰かと接することはできねぇ。

「そうだな……オレ様の名はハベル――――合成竜キメラドラゴンのハベルだッ!!」

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