第13話 覚醒と開戦
高く迸る紫の光の中心で、ニフルが頬を紅潮させながら、何かに耐えるように苦しみ悶えていた。
「うあっ……くっ……!」
風と共に吹き飛びそうな思考の中で、彼女は自分の身に流れ込む力の奔流に身をよじる。
「はぁ……はぁ……ふうっ……!」
ニフル自身の意志を無視して、得体の知れない力によって身体が勝手に作り変えられていく。
(ボク、どうなるの……? まさか、みんなみたいに……『飴』を食べたわけじゃ、ないのに……っ!)
「や、やめっ……うぐっ! ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!?」
メキ、メキメキ……
磔のように空中で固定された腕が、脚が、胴が見えざる手によって無理矢理引き伸ばされる。
「いっ、ぐうっ! あぎぁぁあああああああああ!!?」
目尻に涙を溜めながら、痛みを叫ぶニフル。その顔も徐々に形を変え、幼さが薄れて色香が滲み出る。
全身に程よく鍛えられた筋肉がつき、それに合わせて胸の内側からも徐々に脂肪が供給されていく。
「あっ、あんっ、あっ、あっ、あフっ!」
グン、グン、ググン、ググッ!
ぶるんぶるんと弾みながら成長する胸の動きに合わせて、ニフルの口から嬌声が漏れ出す。
敏感な部分が成長する過程で、秘部に触れられるような快感やくすぐったさが同時に訪れているようだ。
ベルやアーズのように圧倒的に大きくなったわけではないが、それでも十分な大きさ成長したその胸に、何かが貼り付く。
「ンはぁっ!?」
今のアーズと同じ程の年齢まで成長し、美しい女性となったニフル。その肢体に、黒い影が纏わりついた。
シュルシュルとナマズのようにうねったそれは、彼女の首から下全身を薄布のようになってピッタリと覆うインナースーツとなる。
「ふぅ……ふぅ……はぁ……」
キュッ、と全身を指先まで隈なく黒いスーツに締め付けられたことで、呼吸が激しくなった。
そこから手足に群青色のブーツとグローブが嵌められ、肩に装着された長いマントがひらりと暴風に靡く。
短かった空色の髪も背中まで伸び、首の辺りで銀製の髪留めで結われ、額にも同質のサークレットが装着された。
「うっ……」
服装の変化がそこで終わり、落ち着いてきたと思った辺りで、ニフルの目が強烈な熱に襲われる。
「くィィがぁアアぁぁぁぁ――――――――――っっ!!!?」
カッ、と見開いた瞳は銀色に染まり、妖しい光を放つ。耐え難い熱からか、ニフルは今までにない悲痛な叫び声を上げる。
空中で縛られた手足が開放され、力なく地に倒れるニフルだった存在。ふらつきながら立ち上がる彼女は、苦しげに頭を押さえていた。
「あ、ああっ……頭にっ……入って、くるぅ……!?」
大量に読んだ本でも文献でも見たことないような情報が、次々と頭に流れ込んでくる。
「イグッ……ガッ、あギ……! ワタ、し……マオうニ…………!」
「ニフル!?」
人とも魔物ともつかない濁った声で、呪文じみた呟きを漏らすニフルの名を、見兼ねたアーズが叫んだ。
瓦礫だらけの地面を、獣のそれに似た強靭な脚が踏み砕きながら走っていく。
「クソッ! どうなってんだ……しっかりしやがれニフル!」
「ハッ……ハッ……フゥ……」
「待ってろ今…………あっ……」
呼吸が乱れ、肩で息をしているニフルを抱きかかえようとしたアーズが、自らの腕の異形を視認する。
竜や獣のように太く、魔物の邪悪さを凝縮したかのように黒く、鉄のように硬く冷たい。こんな腕で彼女を抱いてもいいのだろうか。
「ウチは……」
「そこですっ!」
いつの間にかすぐ傍にいたベルが、ニフルに向かって紫の魔力の球体、魔力弾を飛ばす。
「なっ……テメェ、何しやがる!?」
アーズが異形の腕で魔力弾を受ける。鉄盾のように硬い腕には、傷一つない。
「ハン! そんなしょぼい力! ウチが跳ね除けて、ぶっ殺してやるよ!」
ニフルを寝かせ、立ち上がったアーズが邪悪な笑みをベルに見せた。吊り上がった口の両端から、ギラリと牙が覗く。
「みなさん、ニフルちゃんを捕まえて下さい! なんとしても!」
「わかったの~!」
「御意! 主の命、承った!」
「……殺る」
ベルの声に、その背後にいたアルクルスの元子供達が反応し、それぞれ全く違う武器を構える。
「ううっ……!」
かつて世話した子供達が姿を変え心を変え、自分に牙を剥く日がくるとは思わなかった。だがアーズはそれに対抗できない。
もし自分が、今心の中にある衝動のままに暴れて力を振るったら、あの子達はどうなるのだろうか。
(いくら姿が変わったって……チビ達を傷つけたくは、ないっ……!)
「かかれぇーっ!」
手をかざして突撃の合図をするベルに合わせて、黒い戦士達の全てがアーズに殺到する。
「くっ……」
『アオオオォォォォォォ――――――ンッ!!』
その時、アーズの眼前を白銀が覆う。突然聴こえてきた咆哮の大きさに、戦士達は身じろいだ。
「な、なんですか一体!?」
「グルルルル……」
白銀は彼の体毛で、聴こえたのは彼の咆哮。そして今彼は、アーズを守るように立ち塞がって、威嚇しながら唸っている。
それは大柄の狼であった。魔物と言うにはあまりに神聖で、神獣と言うにはあまりに力強く荒々しかった。
「ウゥ…………」
チラリと背後に目をやる白狼の目は、理性を感じさせる翠色だった。
「…………まさか、シーボなのか?」
「バウッ!」
恐る恐る訊いたアーズに、白狼は勢いよく鳴いて返す。どうやら肯定しているつもりらしい。
「ウソだろ!? お前、いつの間にそんなカッコよく……いや、何でもねぇ!」
途中で照れながら目を背けたアーズに、白狼が口角を上げて牙を覗かせる。
「笑ってんじゃねぇ! お前一人に戦わせるわけには……」
「アオォォォォォォン!!」
ベル達がいる方に進もうとしたアーズの声を遮るように、その間にいたシーボが咆哮を上げる。
ビリビリと地を震わせる咆哮に、ベルは立ち竦み、他の戦士達は地面にへたってしまう。
「ガウッ!」
「逃げろって? でも……」
首を振ったシーボを見たアーズが躊躇い、戸惑いを見せる。
「グワアァ!」
「わ、わかった! ありがとう。でも無理すんなよ!」
そう言ってアーズは、今度こそニフルを抱きかかえてその場から走り去る。
「また会おうぜシーボ……お互い、正気を保っていれたらな」
▼
「……さて、こんなモンッスかねぇ」
時を同じくして王都の路地裏の一角では、ファダリがチョークで地面に魔法陣を書いていた。
「しっかし魔王様も大胆なことを考えるッスねぇ。まさか王都の住民を全員変異させるなんて」
彼が言った通り、現在王都の各所ではかつて人間だった者が次々と魔物や魔族と化して、破壊の限りを尽くしている。
今現在も到るところの建物が倒壊し続け、まだ人間だった者は逃げ惑っている。
「そうゲラね……もしかしたら新たな出会いがあるかもゲラ! グフフフフ……」
「いくら女が増えてもダジさんじゃ無理だと思うッスけどね……」
「ンだとォ!? ヒトの健気な願望にケチつけないで欲しいゲラ!」
「健気どころか下心丸出しで淫らッスよ」
激しいテンションのダジに、ファダリは全体的に気だるげに対応していた。
「てか、さっきからそれ、何やってるゲラ? ただ魔法陣書くだけでいいゲラか?」
「……今の時点じゃこの魔法陣は何の力もない落書きッス。けれど、ルーダイさんが買ってくれたこのサーペントテール社製の秘薬をかけて……」
言いながらファダリが革袋を取り出し、魔法陣の中心に中身を全てあける。
「ゲラァ?」
「更に特定の人物――主の血を垂らすことにより……」
首を傾げるダジを尻目に、今度は小瓶に入った赤い液体……血を垂らす。
それがポタリ、と石の地面を濡らすと、魔法陣は真っ赤な光を放つ。鈍感なダジでも、そこには何らかの力を感じた。
「ま、まさか……」
ズリ……ズリ……
魔法陣の奥から、何かが這いずるような奇妙な音が響く。
「その血でラインが繋がり、主限定の転移陣となるッス……ま、一方通行の使い捨てッスけど」
「この気配……いいい一体、誰を呼んだゲラ!?」
ズズズズズ。
何か、とてつもない気配がせり上がってくるのを、ダジは肌で感じた。訳知り顔で余裕のあるファダリが恨めしい。
腰を抜かして尻餅を突いたゲラの視線の先には、完全に転移を完了させた、“主”の姿があった。目を見開きながら、彼はその名を呼ぶ。
「あ、あなた様は…………っ!」
▼
「ここまで来れば大丈夫か……」
街の隅にうず高く積み上がった瓦礫の陰で、アーズが安堵の息を吐きな
がら地べたに座る。
その膝下では、苦しげな顔で気絶していたニフルが、ようやく目覚めるところだった。
「んぅ……」
「目が覚めたかニフル」
「アーズ!? ボ、ボクは……一体……? からだ、変だ……」
どうやら一連の出来事で記憶があやふやになっているようだ。だがアーズの姿の変化までは覚えていたのが幸いだった。
いきなり化物扱いされてニフルに拒絶されたとしたら、彼女はもう自我を保っていられる自信がない。
そのニフルは今上体を起こした上体で、自らの体を見て不思議がり、ぺたぺた触ったり揉んだりして色々確かめている。
「ンっ!」
「オイオイ、あんま変なトコ触んなよ……」
自分の胸の頂点をスーツ越しに触って嬌声を上げるニフルに、アーズが呆れて肩を竦める。
「アーズのも、確かめたい」
「えっ」
アーズを押し倒すように覆い被さったニフルの手が、青白い肌が半分以上が露出した胸に伸びる。
「ふあぁ!? や、やめろニフル!」
「でっかい。この、鱗……? の、ようなものは、剥がれるのかな」
好奇心旺盛な彼女の手は、今度は胸に貼り付いた黒いそれを剥がそうとする。
「んひぃ! それは……それはダメだ!」
少し指で触っただけで、アーズが顔を赤らめ小さな悲鳴を上げる。だがニフルは平坦な表情で、触るのをやめない。
じっとりと汗に蒸れたスーツの薄布に包まれた指先は、弄ぶかのように鱗を剥がしたり貼り付けたりする。
「うぇへへへへ……」
「おまっ……なに笑ってんだよ! お前まで洗脳されておかしくなってんのか!?」
「違うよ。ボクは正常だよアーズ……だってほら……」
以前は絶対見せなかった笑み、しかも緩みきって惚けた表情で言うニフルに、アーズが言い知れぬ危機感を抱く。
「魔王の刻印が、こんなに疼いてる……! キミを征服しろって……頭の中でさぁ!」
言いながらニフルが、ぴっちりと体に貼り付くスーツの首元をズリ、と下ろす。そこでは禍々しい紋様が、紫の光を煌々と放っていた。
それを元の位置に戻すと、今度は黒いスーツの全身から紋様が浮かび上がる。光の強さによって透けて見えるようだ。
「ッ!? 離しやがれ!」
「うがっ!」
異常を感じたアーズが、咄嗟にニフルを払い除けた。太い腕で押し飛ばされたニフルは、ぺたんと尻餅を突いてしまう。
彼女にずらされたアーズの胸の鱗は、生き物のようににゅるりと元の位置に戻った。
「ど、どうして……アーズ……ボクのこと、嫌いになった……?」
「あぁ、嫌いだね! 今のお前は、ウチの知ってるニフルじゃねぇ!」
「そっか……でも、大丈夫だよ」
ニフルが立ち上がりパチン、と指を鳴らす。
「ぐあっ!?」
瞬間、アーズの膝がガクンと折れ、地を突いた。
「グギギ……! ニフル、なに、を……!」
「いくら強くなったところで、魔王の力を継いだボクには敵わない。このまま征服させてもらうよ」
まるで鉛を次々と全身に吊るされているかのようだ。周囲の大気に重みを感じる。強靭になったはずの体が、思うように動かない。
「どうだい? 重力魔術の味は……素敵だろう? 人生で初めての魔術だよ。存分に浴びてほしいな」
冷徹な声で語る彼女を不気味に感じ、アーズの顔が引きつる。更に重みが増したことで彼女は手を地面に突き、四つん這いになった。
「ガアアアアアアァァァァァァァッ!!」
「激しい声だね。まるで獣だ……さて、それじゃあ征服するとしよう」
もう一度彼女が指を鳴らした瞬間、体を苛んでいた重力から解き放たれ、アーズが自由になる。
起き上がり、息を整える彼女にニフルが顔を近づける。アーズの激しい吐息が、ニフルの頬に吹きかかるような距離だ。
「おい……いったい、何なんだ……征服って……」
「簡単なことさ! ボクが持つ魔王の魔力を使って、キミを眷属にする。どんな言うことも聞いてくれる、お人形さんにね!」
「何言ってんだよニフル! いいから、早く正気に戻ってくれ!」
興奮気味の彼女の肩を押し返し、アーズが声を荒げる。だがニフルの体は、びくともしない。
「いいのかい、拒否して? このままじゃ、魔族化したキミの精神への侵食は進む一方だよ? でもボクの眷属になれば大丈夫。さあ……」
「ッ!」
そう言われたアーズは目を丸くし、ひどく落ち込んだ様子で視線を落として押し黙る。
心が闇に染まっていくのも否定できないし、今でも壊せ壊せと心の奥底で何かが叫んでいる。それを黙らせられるというのか。
「だから、わかってるよね? ア~ズっ!」
「やめろ……」
ニフルがアーズの両肩を掴み、目を瞑る。突然のことに戸惑う彼女の唇に、ニフルの唇が重なる。
「んっ!?」
「むん……ぅ……」
「んん~~!!」
じたばたと暴れ、顔を離そうとするアーズ。だがやはり、ニフルの体は動かない。
頭を後ろに離そうとするも、彼女の左腕で後頭部からがっちりと固定されてしまっている。
(やめろニフル! なんだこれ……何かが、入ってくる……)
(ボクの中にある魔王の魔力を複製し、アーズの中に注ぎ込む。これで彼女は眷属になり、ボクに逆らえなくなる)
(クソッ……なんかよくわかんねぇけど、本能的に、これはまずい! それだけはわかる……!)
アーズは、今さっき腰から生えた尻尾を、ニフルの体に巻き付けた。
「んぅ!?」
(尻尾を動かすってこんな感覚なのか……まあいい。今は利用させてもらうぜ、この力!)
ニフルの体を這い回る尻尾の先端が、形の良い彼女の胸をひたひたと触る。まるで巨大な怪物の舌に舐められているかのようだ。
「んふっ……んっ……んん~っ!」
恥部に触れられたことにより、耐え難い嬌声が彼女の口から漏れる。だがそれでも彼女は口を離さない。
肩を押すだけだった両腕も一緒に胸を揉むかと思ったが、鋭い爪でそうするのは躊躇われる。
(いい加減離せよ! クッソ……なら今度は下の方を……ッ!?)
「むふっ!?」
その瞬間、アーズは自分の胸を揉みしだく感触に気が付いた。目をやるまでもなくわかる。ニフルの右手だ。
人の頭程の大きさにまで育ったそれを、上から下までこれでもかというくらいに丹念に揉まれている。
「んんんんん! んむうっ! んむむ!」
(やめろ……なんだよ、これ……デカいおっぱいって、揉まれるとこんな感じなのか!? ヘンになっちまうよ……!)
そういえばニフルは、子供達のお菓子作りで生地の作り方を褒められてたっけ。ハンバーグの空気の抜き方も得意だったし……
などと昔のことを思い出し、ニフルの指の動きを更に意識してしまうアーズであった。
「んっ……」
(なんて感傷に浸っているじゃねぇ! 頭に……なんか、流れ込んできて……ハッ!)
「んぶフッ!」
ニフルに送られてくる魔力が、アーズに魔力の交換方法を瞬時に近いさせた。それによって彼女は、一つの突破口を開く。
「んん~っ?」
(へへっ……ニフル、お前にいいようにされて終わるウチじゃねぇ!)
「んん!? んぉ……むむぅぅぅぅ!!?」
(コ、コイツ! ボクから魔王の魔力を吸って……やめ、やめろォ!)
今までとは逆に、今度はニフルが顔を離そうとしてくる。だがアーズの腕力も常人の比ではない。容易には抜け出せなかった。
「んんんん! んんっ! んふんふぅぅ~~~~~っ!!」
(誰が離すか! このアーズ様を調子こいて奴隷にしようとした仕返し、ありがたく受け取りな!)
(やだ……嫌だ! このままじゃ、ボクは……!)
ニフルのスーツの内側の紋様が、徐々に光を失っていく。
「んん――――――――ッ!!」
「みゅっ!?」
その瞬間むぎゅぅ! とアーズの胸が強く掴まれた。その動揺によってか、アーズの尻尾もギュリン! とニフルの胸に絡む。
「ぷっはぁ!」
「ふヒィ!」
同時に二人の頭がようやく離れ、手足の力も抜けてぺたん、と別方向に倒れる。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「アーズぅ……」
倒れたまま呼吸を整えるニフルが、蕩けた顔で呟く。
「ごめんっ。ボク……ボクは……」
「ゼェ……ハァ……よう、やく……正気に、戻りやがったか……ふぅ」
反対側で大の字に倒れたアーズが、苦笑いと共に安堵の溜息を吐く。
「魔王の魔力と、自分の魔力を、半分入れ替えた……んだね」
ニフルが仰向けで空を見ながらそう言った。それに応えるアーズの顔も、してやったりな笑みを浮かべる。
「そうさ。それならウチの暴走も、お前の暴走も半々になって、お互い狂わなくて済むと思ったが……成功、だったみてぇだな」
「でも、これでアーズも半分魔王だね……」
「上等じゃねーか。これでウチもニフルも、一蓮托生の仲間さ」
「……難しい言葉、覚えたんだね」
「あぁ。身体も頭も、なーんか勝手に大人になっちまった。エッチの仕方だってわかるぜ」
「…………バカ」
アーズの言葉に、ニフルが頬を赤らめて唇を尖らせる。
「ま……大人って言っても、化物だけどな」
言いながら、アーズは自分の右腕を起こしてひらひらと揺らす。
「化物でも、いいよ。姿形なんて関係ない……それに」
立ち上がったニフルが、再び全身に紋様を浮かび上がらせる。その光は、深い緑色に変化していた。
彼女の背中のマントが消えたかと思うと、代わりに碧色に光る菱形の刃が左右に八対、翼のように展開する。
「角も尻尾もないけれど、ボクだって……立派な化物……だよ」
それを見たアーズは一瞬目を丸くして驚き、同時に激しい背中の痛みに襲われた。
「あっ……ウガァァァァ!?」
肩甲骨の辺りから何かが飛び出し、青白い皮膚を突き破って、黒い蝙蝠型の翼が飛び出してくる。
左右に大きく広がったそれを、アーズはバタバタと羽ばたかせ、周囲に風を起こした。
「ハァ……ハァ……こ、こいつは……ハハッ。まるで悪魔だな」
「っていうか、悪魔だよね。カッコイイ……」
「カッコイイ……か。ありがとな。それじゃあ行くぞニフル。あのベルってヤツを倒して、チビ達を取り戻すんだ」
「うん。そうだね」
路地裏から去るアーズの背中を見ながら、ニフルが頷いた。その背中が大きく見えたのは翼のせいか、物理的に大きくなったからだけだろうか。
いや、きっとそれだけではない。精神的にも頼もしく思えたことで、自分の中で彼女の存在がより大きなものになったからだ。
「…………ありがとう」
「ん? なんか言ったか?」
「なんでもない……」
振り返ったアーズの問いに、俯きながら呟いて返すニフル。下を向いたニフルが、はっとした顔でアーズに駆け寄った。
「アーズ!」
「ん? な、なんだよニフル、そんなに慌てて……」
「魔王の魔力が半分になっちゃったけど、ボクの胸大丈夫!? 縮んだりしてない!?」
「今気にすることかそれ!? ウチもお前も外見的にゃなんも変わってねーよ!!」
「…………よかった」
「ったく。変なトコ気にするのは相変わらずだな……」
ぽん、と胸を押さえながら ニフルが安堵の息を吐く。それを見たアーズの方は、呆れて溜息を吐いていた。
▼
「ごめんなさい、ベルさま……てき、みうしなっちゃったぁ」
「あなたのせいじゃありません! まだ、まだなんとかなりますよ!」
「申し訳ありませぬ御館様! 敵を見失うなど忍の恥! 最早拙者、腹を斬るしか……」
「斬らなくていいですぅ!」
「アーズねーちゃん、どうしていなくなってしまったんー!? ううっ……ふぇ……ごめんなぁ、ベルさん……」
「泣かないで!」
一時間経っても魔王の魔力を発見できなかった黒い戦士達は、代わる代わるベルに頭を下げていた。
おろおろしながらその対応に追われるベル。年下に接する機会がなかったせいか、彼女はかなり慌てている。
「ベルさん、なんだか子供みたい……」
その様子を眺めるヒナコも、どこか疲れ気味だった。
「もう一度手分けして探すんです! メリニアちゃんとシフェちゃんはわたしについてきてください!」
「わかったの! メリニア、がんばるの!」
「うん。わかったん……」
ベルの指示に従い、他の戦士達が一斉に駆け出す。突然のことに置いていかれたヒナコが立ち上がるも、時既に遅し。
「え? あっちょっと! ベルさん!? 待ってください! あっ……」
ヒナコともう一人の戦士だけがその場に残される。
「……………………」
「……えっと」
「誠に、面目次第もござらん。拙者はこうして力を得たというのに、まだ主君に何も返せておらぬ……」
瓦礫の壁際で腕を組んで、目を伏せる女性が一人。
メッシュで透けた柔肌が目を引きつける際どいハイレグの漆黒の戦闘服。口元には同じく黒のマスクと長い赤のマフラー。
黒紫の長髪は一房に纏めて、籠手や具足には幾つもの暗器が仕込まれ、腰元には二本のクナイ。まさか、とヒナコが目を疑った。
「センリ……さんは、クノイチなのかな?」
「クノイチ……!?」
ヒナコの何気ない質問に、センリと呼ばれた女性は爛々と目を輝かせて瞬足で駆け寄った。
「ヒヒ、ヒナコ殿! もしやヒナコ殿は、ニンジャを……ニンジャをご存知なのでござるか!?」
「えっ、ニンジャ!? ……うん。好きだよ。刀とか、手裏剣とか……」
「感激でござる! 拙者、同じようにニンジャが好きな者に出会ったのは……七年間生きてきて初めてで……くっ」
(センリさん、感極まって……泣いてる……!?)
突然目の前で上を向いて震えだしたセンリに、ヒナコが困惑する。子供から変異したばかりで、まだ情緒不安定なのだろうか。
一人だけ特異な状態になった上、流暢に喋れるようになっているのは、元からの性格なのか、イレギュラーが発生したのか。ヒナコにはわからない。
「えっとその……落ち着いて」
「ハッ! 申し訳ござらん……困らせるつもりは毛頭なかったのだが、まだ頭の中がふわふわして、感情の抑えが効かないでござる」
涙を拭い、ヒナコに向き直ったセンリが、こめかみの辺りを押さえながらヒナコに打ち明ける。
大振りのクナイを取り出して、その先端に紫の魔力弾を作り出して背後に放つ。そこにある瓦礫が全て粉微塵になった。
「この力を貰った時は本当に嬉しかったが……これはきっと禁忌の側にある。過度に使い、酔いしれれば、それだけ代償もあるのでござろう」
センリはヒナコの前で、憂いを帯びた表情を見せる。自分に与えられた力の性質やを、どことなく理解しているようでもあった。
「だから、迷っているのでござる……本当はアーズ殿が正しくて、我々が間違っているのでは、と……」
弱々しく漏れた彼女の言葉を、ヒナコは肯定することも否定することもできなかった。
実際のところ、人間界の首都をこのように魔物で埋め尽くす行為が全面的に正しいとは、ヒナコも思っていない。
ただ自分の恩人に主体性なくついてきた結果、このような事態に加担する羽目になったというだけだ。罪悪感がないと言えば嘘になる。
「……とりあえずアーズちゃん達を探そう? あのままじゃ危ないし、センリさんだって、仲直りしたいよね」
兜の下で誤魔化すように微笑みながら、ヒナコが手を差し出す。どこかぎこちない笑みになってしまったが。
「うむ。例えどんな状況であろうと、友と敵対などしたくはないでござるからな……それと、さん付けは止すでござるよ!」
「あっ……」
その手を取る彼女の顔は晴れやかで、ヒナコの懸念を僅かながら薄れさせるものだった。
「うん、ありがとう。センリ……」
互いの迷いを埋め合わせるかのように、二人は手を取り合い、しばらく見つめ合う。センリの瞳は闇に濁る紫色だったが、どこか幼さも残っていた。
「じゃ、行くよ」
「御意」
それからヒナコは、センリとともにアーズを探しに向かう。その時、周囲の魔物達が一箇所に集まるのが見えた。
これから起こることを理解し、胸がざわつき始める。一体何人の犠牲が出るのだろうかと考え、すぐに振り払う。
(本当に、これでいいのかな……)
まだ残っている懸念を胸に、ヒナコはセンリとともに行動を開始した。
▼
「ククッ……壮観だな。魔物や多種族を見下す人間共が蹂躙され、絶望とともにそれに成り下がっていくサマは……なぁ、ログダ」
「相変わらず趣味が悪いのう、お前さんは」
ルーダイとログダ。格式の高そうな厳かな建築物のテラスから、この二人が街の様子を眺めていた。
「そう言うな。これもダークエルフの性質よ。それに、もうすぐ城を除く全土の変異が完了する。滅多に見れない光景は、目に刻んでおくものだ」
「ま、それも考え方だろうよ。わしとは相容れんがな」
「無理に理解することはないさ。さて……この気配、ベル様もファダリの方もそろそろ準備が整っただろう。頃合いだ」
ルーダイが槍を携え、ログダが巨大なハンマーを担ぐ。二人は顔を見合わせ、テラスから地に降り立つ。
見据えた先には、まだ変異が進んでいない王城の門。これから二人は、周囲に出来上がった魔物達を率いてそこへ向かう。
「魔物化したとはいえ、元は素人じゃろ……正直戦力としては心許ないんじゃあないか?」
「あまり変異を軽く見ない方がいいぞ。それに、戦力差などすぐに埋まるだろう。手筈通りなら、もうすぐあの方が来るからな……」
そう言ってルーダイは、にやりと笑みを浮かべながら口笛を吹く。同時に周囲の魔物が彼のもとに集い、整然と並んだ。
獣や竜、女性型の魔物や亜人達が一同に介して列を成す様は壮観で、まるで神話の一ページを切り取ったかのような終末感に満ち溢れていた。
「行くぞ下僕ども! 魔王軍所属第三亜人混合部隊が隊長、ルーダイが命じる! 私とともに、あの忌々しいアルナマグス城を攻め落とせ!」
『オオォ――――――――――!!!』
彼の声に応じるように、いくつもの怒号と咆哮が、王都中に響き渡った。
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