第11話 思い出話と人捜し

「むっふっふ~♪」

「やけにツヤツヤしてるッスね、ベル様」

「二、三人男でも食ってきたゲラか?」

「いやいや、アタシの見立てじゃあ……さぞ精力の強い男とヤったんだろうねェ」

「でへへ~……うひひ~……」

 ベルが宿屋に辿り着くと、出会い頭にファダリ、ダジ、シュナの三人に質問攻めに遭った。しかし本人はふやけたように笑って誤魔化す。

 そこに遅れて、疲れ切った様子のルーダイが入ってくる。その顔には疲れが滲みきっている上に、手がプルプルと震えていた。

「…………遅れて…………申し訳、ありません」

「こっちは逆にやつれ気味ゲラ」

「こりゃどっかで一杯の女に絞られたッスね」

「いーや、アタシの見立てじゃあ、若くて生きのいい女一人にガッツリ絞られたっぽいねェ」

「部屋は……あそこですか……」

 ダジの指差した部屋にルーダイがふらふらと入ったのを見送った後、宿屋のホールを見回したベルが欠員に気付いて手を合わせる。

「あれ、ベルディアさんにログダさんがまだですね……心配なので、探してきますよ」

「女の子一人ッスか? じゃあ俺っちもご一緒しましょう」

「アンタは寝てな! ここはこのシュナ様が一緒に行ってやるわよ。なーに、女の子同士二人で仲良くいきましょうベル様?」

「はいですっ! それではいきましょう!」

 ベルとシュナの二人で出ていき完全な男所帯になったところで、隊員ほぼ全員が心底残念そうに溜息を吐きながらそれぞれ部屋に入った。

 二人で宿屋を出たところで、シュナがぎょっとした顔でベルの背後に隠れた。何事かと振り向こうとしたところで、黒いコートを着た男性と目が合う。

 伸びた金髪で片目が隠れ、コートの襟で口元が隠れ、右手には物々しいガントレットを着けたいかにも妖しい男だ。男はクンクンと鼻を鳴らした後、値踏みするような目でベルを見て質問する。

「……おいアンタ、ここら辺でカウルって名前の生意気な少年を見なかったか?」

「ええっ!? あ、いえ……それなら、多分そこの百貨店の脇の路地裏で果ててると思いますけど……」

「おう、助かったぜ。ところでアンタはそいつとどういう関係なんだ? この臭い、タダ事じゃねぇ感じがするが」

 そりゃあ色々やった後だし色々な臭いがついててもおかしくない。しかしそれを馬鹿正直に伝えられるはずもなく、ベルは目を泳がせて口ごもってしまう。

「まいいや。そんじゃな……そこの赤毛にもよろしくな」

「ッ!!」

 黒いコートの男はそう言って踵を返して、背中越しに手を振りながらベルの言った方へ去っていく。それと同時にシュナが、止めた呼吸を再開したかのようにぶはっ、と息を吐き出した。

「なっっんでここにアイツがいるのよ!?」

「お知り合いですか?」

「そ、そんなのどうでもいいわ。それより今はあそこよベル様!」

 微妙な表情を切り替えたシュナが、やたらと目立つピンクの施設を指差す。探している二人は、あれを待ち合わせ場所と間違えたのだろうと目星を付けたのである。

「あ~……あれですかぁ。ちょっと遠いですねぇ」

「いいから行くわよ! そーら歩く歩く!」

「は、はひぃ……」



「誰も来ませんね……」

「わしらが間違えたのかもしれんな。どれ、入れ違いになるのもウマくない……わしがあっちの宿屋へ行くから、嬢ちゃんはここで誰かが探しに来るのを待ってな。くれぐれも油断して、鎧を脱いだりせんようにな」

「しませんって……わかりました。じゃあよろしくお願いします」

 ログダが宿屋を出たところで、ベルディアはカウンター前のホール脇の椅子に座って一息つく。ガシャリと鳴る鎧の音が、今はやや耳障りに感じた。

 周りに人がいないなら、兜くらいは取ってもいいだろうか。そう思って兜だけ取った自分を思い浮かべながら小声で「魔装解除」と呟くも、何も起こらない。

 ならば大声で、という考えが頭を過ったがすぐに改める。目立って少しでも人間の顔を見られようものなら、一体どんな目に遭うか。ベルにどんな罰が下るかと思い至ったからだ。

「ふぅ……」

 ただ座って待つのも落ち着かないので、置いてある新聞らしき紙束を手に取って眺めてみる。文字が読めないので絵だけ見ることにしたが、それも自分の知識ではよくわからないものばかりだった。

 その中でも一つだけ気になるものがあった。黒い翼竜が人間達に雷を落として村々を焼く絵である。さながら天罰を与える神のようにも見えた。象形文字を思い出すタッチだが、この世界ではそれが普通なのだろう。

 他の記事を確認して、やはり読むのを諦めて新聞を元の位置に戻すと、背もたれに身を預けて細長く息を吐く。吐き切ると同時に、正面から声をかけられた。

「こんなところに人間なんて、珍しいな」

「ッ!?」

 反射的に腕が前に出るのを、慌てて手で制される。声をかけてきたのは、黒い鎧を着た男だった。自分と同じように、兜で顔が隠れている。

「おっとやめてくれ。怪しい者じゃない……俺も人間だ」

 そう言って彼は兜のフェイスカバーを上げて彼女にだけ見えるように素顔を出す。精悍な顔つきの男性の顔がそこにあった。角や三つ目の眼も見当たらないので、ベルディアは一応彼を信じることにした。

「けど君の体は、結構魔族寄りになってるな。大丈夫か?」

「……よくわかりません」

「そっか。まあいい。アンタ、ここで俺の連れを見なかったか? 短い金髪に碧眼で、多分君と同じくらいの歳なんだが」

「わかりませんよ。ここじゃ男にしか声かけられてませんし……すみません」

 アスモデに来てから下品な衆目に晒され続けて、いい加減ベルディアも我慢の限界だった。その不機嫌さがそのまま口から出てしまう。言ってる内に冷静になって謝罪を付け加えた。

「……そうか。オレはもう行くが、くれぐれも“そいつ“に飲まれないよう気を付けてくれよな」

 そう言って彼は振り返らずその場を去る。去り際の言葉に何の事かと首を傾げるベルディアだったが、それを追求する前に彼の姿は見えなくなってしまった。

 ただなんとなく、自分のこめかみの辺りに違和感を覚え、無性に確認したい衝動に駆られた。一人になると、頭の中が騒がしくなって、余計な考えを巡らせてしまう。

 頭に浮かぶ光景は、故郷で通っていた学校で、公園で、街で、親友達と話す光景。あの時に戻れることができるなら戻りたい。ベル達のお陰で少しは紛れていた気分が、徐々に深い思考の海に沈んでいく。



「ほら、こっちこっち!」

「はぁ……はぁ……待ってよナギサぁ……速いって……」

 私がナギサと呼んだ少女が振り返って、にこやかに私の方を見る。彼女は長い黒髪に均整のとれたスタイルで、文武両道で男女から人気があって……そんなのどうでもいいや。

 反面私は彼女よりも全体的に華奢で貧相で髪も短くて、地味な印象が拭えない。傍らにいるこの子の方が小さくて可愛いらしい分まだいい。

「そうだぞ……ハァ……ワタシ達は、そんなにっ、運動できるわけじゃ、ないんだよ……特にワタシは、運動向けにできてない……」

「そういうものかしら?」

 私の隣で一緒に肩を上下させているのはイリナ。眼鏡で三つ編みで小柄で、失礼だけどいかにも地味で運動が苦手そうだ。

 とはいえ私よりも小さくて、目はくりっとお人形さんみたいで、私より可愛らしい。

「別にいいさ。ワタシは好きで付き合ってるんだからな」

「まあ、私もだけど……どこに連れて行く気なの?」

「なに、ちょっと見せたいものがあるだけよ。気張りなさい」

 そう言われて私はナギサの先導のもと再び歩き始めた。見慣れた街の景色は徐々に遠ざかっていき、山を登って周りは森林。もう歩き始めてから二十分は過ぎた。一体どこに連れて行かれるというのか。

「ここよっ!」

 やってきたのは山頂。本格的な登山ではなかったがそれでも疲れるものは疲れる。それはイリナも同じはずだ。

「こんな場所にっ……何があるというんだよ?」

「ほらこれ!」

 意気揚々とナギサが指差したのは、崖下。眼下に広がる町並みを私達に見せたかったのだろうか。

「はっはっは。内容を知らされず半ば強引に二十分弱歩かされて、その見返りが上から見た地元の町ィ!? 嬉しすぎて涙が出るなぁナギサ!」

「ち、違うわよ! 本命はその下! 下だから!」

 今にも食って掛かりそうな顔で自分を睨むイリナを手で制して、ナギサが地面の土を指で示す。

「そこかぁ……あれ、ちょっと待って……なんか既視感が……」

 呟きながらそこを見ると、これ見よがしに積み上げられた石の山ができている。

「それもその筈よ! なんたってこの下には、私達が埋めたタイムカプセルがあるんだからねっ!」

「あー……ワタシもデジャヴってると思ったが…………道理で。確か父親の縁で、青年会のむさい男共と、一緒に来たんだったか」

「ってあなた割りと覚えてるじゃないイリナ! あんなぶつくさ言ってたけど、これでチャラよね?」

「この疲れと、それが、等価だと……?」

「そうよッッ!! って帰ろうとしないで! ねぇ!」

 はぁ~……と呆れて物も言えない感情を露わにしたイリナが即座に踵を返すのを見て、ナギサが肩を掴んで引き止める。

「開けよう!? ねぇ開けようよ! 開けろよそこは!?」

「小学生の頃の宝物だぞ。思いの外下らないモノかもしれないし、恥ずかしい思いをするかもしれないぞ」

「そこがいいんでしょう、がっ!」

「あぁもう離せ馬鹿力め! お前の思いつきに付き合わされる身にもなれ!」

 言い争っているのに割り込むのは気が引けるが、ここは止めきゃいけない。でなきゃ際限が無くなる。

 二人の間を遮るような位置に立って、両手で押して距離を取らせる。

「ふたりともいい加減にしっ……てっ! と、とりあえず開けてから考えようよ! ねっ!?」

「さっすがヒナちゃん! 話がわかる―!」

「ナギサも! タイムカプセルがあるなら先にその説明してよ!」

「それはごめんなさい」

 調子に乗るナギサを諌めて、未だにむくれているイリナに向き直る。

「イリナも機嫌直して。対価なら後でいくらでも要求すればいいでしょ」

「それもそうだな……ではチーズ明太子パスタ五人前で頼むぞ」

 えっちょっと待ってそれはと焦るナギサを無視して、積み上がった石を崩していく。下から現れた土を手頃な石でグリグリと掘り進めると、程なくして固い感触にぶち当たった。

 それを当てにして形に沿うようにして周りの土も掘る。二人に手伝わせつつひたすら土を掘った。私達、女三人で何やってるんだろう。

「これで……終わり!」

「ぃやったぁー! 結構大きいね!」

「疲れた……」

 私の言葉に続くようにしてナギサがガッツポーズして、イリナがぐったりと大の字に倒れる。

 ひとまず掘り出したタイムカプセルらしき物体の土を払う。それは三十十センチ四方の四角い陶器製の箱で、ぎっしりと中身が詰まったような重みがあった。

「す、少し緊張するね……ね、二人とも?」

「何だ。何が入ってるんだ?」

「なに、気になるの?」

「……ここまで苦労させられたからな」

 ゴリゴリと少々無理して蓋を開けると、大昔のアニメキャラの指人形がカラカラといくつも出てきた。

「それはワタシの趣味だな……まったく懐かしいものだね」

 そういえばイリナは、昔からアニメとかゲームとか好きだったっけ。私も借りていくつかやらせてもらったけど、私の好みを的確に見抜いて選択してくれるものだから、どれもハマってしまうのだ。

 箱の中を探ると、今度はおもちゃのお札や宝石類が大量に入っていた。こちらはナギサの好みだと一発でわかってしまう。良くも悪くも本人の個性がにじみ出ている。

 私のは、大きめのロケットペンダント。何分子供の時の事なので、中身についてはさっぱり記憶に無い。そういえば埋めてたっけ、なんて思い出すこともない。普通少しは引っかかってもおかしくないのだが。

「……ヒナコのが一番おしゃれだな。そしてナギサは昔から自分に正直だな」

「どういう意味よそれ! ……まあいいわ。ヒナコ! その中身、見せてもらってもいい?」

「う、うん」

 どうしてだろう。

 このロケットの中身を開けるのは簡単なのに、凄く緊張して、汗が滲み出てくる。まるで、何か大きな事が始まってしまうような、そんな予感がする。

「どうしたの?」

「い、いや? 何でもない……よ。それじゃ、開けるね」

 意を決して金の縁取りがくすみかけているそれを、両手でゆっくりと開く。中には菱型の真っ赤な宝石が一つ、淡い輝きを放っていた。

「なに、これ……ひゃっ!?」

 まるで久々の外気に反応したかのように、輝きは徐々に風圧を伴って増していく。慌ててロケットを閉めようとするも手が弾かれ、ロケットを放してしまう。

 ロケットを離れ宙に浮いた宝石……のような何かは、膨れ上がった輝きで私達を包み込む。身体がふわりと浮き上がって、文字通り地に足が付かない状態になった。

「ちょっと、何よこれ!? ヒナちゃん! ヒナちゃああああん!!」

「きゃああああああああああ!?」

「うーん……多分、どうにもならないな!」 

 そして眩い閃光が目の前を覆い尽くして、気付いた時、私は――――



 まさかタイムカプセルを開けただけで、こんなことになるなんて……

 数日で帰れるなら貴重な体験で済むけどとてもそうは思えない。ナギサにイリナともはぐれてしまって、帰れる手立ても全くない。

 そういえば、二人は今この世界のどこかにいるのだろうか。何をしているのだろうか。もし無事に会えるとしたら、何を伝えればいいのだろうか。

 頭を左右に振って郷愁に浸かる思考を引きずり出す。目の前を見ると、心配そうにこちらを覗き込む魔族とゴブリンの姿があった。

「はっ!?」

「ベルディアちゃ~ん、どうしたッスかボーっとして」

「やっと気付いたゲラね……心配したゲラよ」

 ファダリとダジが迎えに来てくれたようだ。今頃ベル達も自分の為に動いてくれているのだろうか。だとすれば迷惑をかけてしまった。

「ごめんなさい。私場所を間違えて……」

「そんなことはいいゲラ! とりあえず集合するゲラよ」

 ダジの声に反応するように、ファダリが懐から手の平大の道具を取り出した。それは紫色の金属質な菱型の中心に眼球のような飾りが付けられた、禍々しい道具――魔具だった。

 見るからに怪しいそれを見てベルディアが兜の内側の顔をしかめる。だが二人はそんな彼女の表情には気付かず、言い争いを始める。

「その魔具の力を今使うのは勿体無いゲラ!」

「ちょっとならいいっしょ? ちょっとなら。ちょっと使ってやめて陽の当たらない場所に保存しとくッス」

「樽の酒と一緒にするなゲラ! そいつぁデリケートな消耗品ゲラよ!」

 突っかかるダジに構わず、ファダリが魔具の目玉を押す。

「ゲラアアアアァァァァァッ!!?」

「あーあー、こちらファダリ。目的の回収に成功したッス」

『ちょっとアンタ! こんなことに伝達魔具使うなんて何考えてんのよ!?』

 ダジが驚きの声を上げると同時に、魔具からくぐもった質感の声が響く。それは聞き覚えのあるものだが、今ここにいないはずの人物のものだ。

「じゃ魔力勿体無いんで切りまーッス」

『待ちなさ』

 伝達魔具と呼ばれたそれの目玉を、ファダリが容赦なくもう一度押す。それと同時に、魔具から声は出なくなった。あれはシュナの声だったが、今ファダリと会話していたのだろうか。

(あの“魔具”っていうのはもしかして……電話みたいなものかな?)

 ベルディアが自分なりに解釈したその道具は次の瞬間、あっけなく砕け散ってしまう。

「ゲララ……貴重な魔具だったのに……なんてことしてくれるゲラかぁぁぁぁあこんなお使いにィィィイイイ!!」

 後に説明されたが、どうやらあの伝達魔具はかなり値の張る貴重品で、遠くにいる相手がつがいの魔具を持っていれば、一分程言葉を交わせるという。ただし、その後すぐに砕けてしまうなど問題点は多い。

「そりゃベルディアちゃんの為ッスよ。素早く連絡して事態を収束させることが彼女の為になる」

「許すッ!」

 ダジが丸め込まれるのと同時に、宿屋にのっしのっしと入る巨躯が見えた。黒い鎧を着た真っ赤な肌の彼はログダ。その後ろからひょこりを顔を出した赤髪を見たベルディアが駆け寄って、深々と頭を下げる。

「すみません、余計な手間をかけさせてしまって! 貴重な道具まで使わせてしまったみたいで……」

「い、いいのよ別に! あんなの、死霊使いとかに掛け合えばポンと作れるし……めんどいけど」

 ベルディアの謝罪の言葉に、シュナがやりにくそうに目を背ける。心なしか語尾が小さくなって、その言葉は最後までベルディアには聞こえなかった。

「それより早くベル様を探すのよ男共! さっ、散った散った!」

「へいへーい」

「ゲラッ!」

「もう遅いし、わしゃ休んでもいいか?」

「ジジイはさっさと寝ろ!」

 やけに大きな声のシュナの呼びかけに、亜人の男達が三者三様の反応をする。ログダは言われた通り、奥の部屋に引っ込んでいく。

 ホールには少女二人だけが残され、シュナは困ったような顔でベルディアの方を見たり、目を逸らしたりを繰り返す。

「……でさ、どうなの?」

「はい?」

 座っているベルディアと腕を組んで立つシュナは元の身長差もあってか、目線が丁度同じくらいの高さになった。

「この第三亜人混合部隊……アタシは無理矢理入ったけど、アンタは成り行きで入ることになった。その原因になったベルのこと、恨んだりしてないの?」

「それは……正直、思うところがないわけでもないです。ですけどあの人がいなかったら、今頃私は……」

「そゆこと聞いてるんじゃないの。アンタ個人としてこの部隊と、あの頭ふわふわなまま付いてきた魔王軍幹部をどう思ってるかって話しよ」

「……よくわからないです。私、何もわからないまま、気が付いたらここに放り出されて、ベルさんにはそこから助けてくれた恩人です」

 ベルディアの率直な言葉に、微妙そうな顔でハァ、と溜息を吐くシュナ。しばらく彼女は、どうしていいかわからず指で前髪を弄ったりしていた。

「アンタは、運が良かったのよ。何をしていいかわからなくとも、行動を起こせる手段もあって、頼っていい仲間もいるんだからね」

「はい。皆さんはきっと……本当に優しい方達、なんでしょうね」

「どうかしら。アタシはアンタを騙したり、理不尽で不当な要求を叩きつけるかもしれないわよ?」

 方を竦めたシュナが、ニヤリと笑いながらベルディアに詰め寄る。

「それでも……今はここに縋るしかないんです」

 感情を押し殺した彼女の声を聞いて、シュナの顔から笑みが消え、一瞬切なげな顔になり、また笑う。ただし、先程までよりもぎこちない表情で。

「今はそれでいい。ただ、ずっとそんな気持ちでここにいるのはオススメしない。ホントに嫌んなったら、逃げな。アタシは止めないからさ」

 意外なシュナの言葉にどう反応していいかわからずに、おろおろして手を宙に泳がせる。それを見兼ねたのか、シュナがベルディアを指差して一言付け加える。

「だけど気に入ったら別に、いつまでもいていいんだからね! 戦いとか荒っぽいことは、アタシ達に任せておきゃいいのよ!」

 努めて明るい口調でドンと平たい胸を叩くシュナの言葉に、ベルディアは黙って頷く。その顔にはほんの少し、笑顔が浮かんでいた。

「しっかし遅いわねあのサキュバス。男かしら?」

「んー……あまりそういう方には見えなかったんですけど」

「それはアタシも同じ意見よ。なんかあの子ってどこか子供っぽいトコがあるから。アタシとは逆に、中身がね」

「あっ、それ実は私も思いました……なんだか無邪気? と言うと違うんですが、妙に明るいんですよね」

「でしょ? ま、それが理由で慕われてる部分もあるんだけど……フフッ」

 話が弾むきっかけをくれたことを感謝しながら、ベルディアは次々とベルに関する話をシュナと交わしていく。そういえば今、彼女はどうしてるだろうか……



 時たま声をかけてくる男達をいなしながら、ベルは夜の街の大通りを闊歩する。それでも何も羽織らずいつものボンテージ姿なのは、プライドや意地だろうか。

「ベルディアさん……どこに行っちゃったんですかね。あっ!」

 その時視界の端で、黒くて刺々しいものがガシャガシャ動くのが見えたので、やっと自分の騎士を見つけられたと思って声をかけようとしたが、すぐに落胆する。

 私の騎士はフルプレートで全身覆った筋肉質の男性ではないし、腰に剣など差していない。なぜこんな見間違いをしてしまったのだろうか。

「そこのお姉さん、ちょっといいかな」

「はひっ!?」

 すぐに立ち去ろうとするも、その男に声をかけられ、動揺から咄嗟に裏返った声で返事ををしてしまったベル。彼女の額に、珍しく冷や汗が流れていた。

「この辺でこれくらいの背丈の女の子を見かけなかったか? 短い金髪に碧眼で、君と同じくらいの歳なんだけど……外見は」

(外見は……って、もしかしてわたし、見透かされているんですか!? いや、そんなはずは……お姉様の魔力で作り変えられたこの肉体は永久不変……そう簡単に元のわたしが見破られるなんてことは……)

 ベル冷や汗の量が増えて、動悸が激しくなる。普段なら軽く流すような言葉も、この剣士の前では重くのしかかる、まるで全て見透かされてしまうような、そんな凄みが目の前の剣士にはあった。

(もし見た目より大人だったらどうしよう……魔族相手だと色々と気を遣わないといけないからなぁ……あぁ~黙っちゃったよ。怒らせちゃったかな……何百年も生きてる種族相手の作法の指南書、誰か作ってくれ……)

 一方の剣士の方も、心中穏やかではなかった。兜の裏が蒸れそうなほどの汗を流している。今こうしている間にも、実は目を泳がせているのであった。

「そ、その方……お名前はなんていうのですか?」

「エルシャって言うんだけど」

「ぶゥえあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」

(こ、これ……わたしの正体、完璧にバレちゃってますよね!? 金髪ショートに碧眼のエルシャ、なんて一人しかいないじゃないですか……これがカマかけってヤツです!?)

(なんかいきなり変な声出したぞこのサキュバス!? イライラしてるのか? まずい、早くこの場から去りたい……)

「すまない。何か気に障ったなら謝る。でももう夜遅いんだ。なんとか探してやらなきゃいけなくて……アンタからはあの子に近い……気配のようなものを感じたから」

(近い気配ってなんですかぁぁぁ!? そりゃ近いなんてもんじゃなかったんですけど……わかってて言ってるとしたらこの人の目的はまさか…………復讐!!?)

「何か心当たりは……っておい! どこ行くんだ!」

「ごめんなぁぁぁぁぁいぃ! ベルは、ベルは何にも知らないんですぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」

「えっ!? いや、ちょっと待ってくれ!」

「待ちませーん! ひゃっ!?」

 自分から離れるように走り出した彼女を、剣士が慌てて追いかける。大通りとは言え今は夜。住民の殆どは夜の営みに勤しむ時間帯なので見失うことはなかったが、その途中で走る少女の動きがピタリと止まった。

 彼女の足元を見ると、隆起した石床を割って中からシュルシュルとツタのようなものが伸びていた。それはやがて上にある豊満な肢体に巻きつき、ベルは締め付けられて身動きを取れなくなってしまう。

「あぐっ……!」

「おい! 大丈夫か! これは一体……」

「ひゃあぁぁん! 何なんですかぁこれは!?」

 苦悶の声を上げながらもがく彼女を助けようと、剣士が駆け寄ろうとする。しかし彼は足元の気配に気付き、咄嗟に一歩後ろに飛び退く。そこからもツタが伸びて剣士に殺到してきた。

 気付くのが少しでも遅れていたら、彼もベルと同じように絡め取られていたことだろう。剣士は腰の鞘から抜いた剣を振り下ろしてツタを切り飛ばす。

「そこだッ! アンタ、ひん剥かれたくなけりゃそこ、動くなよ!」

 続け様に剣を斬り上げて、ベルの体に向けて風の刃を飛ばす。卓越した技術で生み出された刃は、彼女に巻き付いたツタだけを一瞬でバラバラに切り落とした。

 ツタから開放されて倒れそうな彼女の体を、右手の剣を投げて咄嗟に駆け寄った剣士の腕が受け止める。

「ベルって言ったか。アンタ怪我はないか?」

「あ、ありがとう、ございます……わたしは大丈夫なので、術者を……」

「術者なら仕留めた」

「えっ?」

「ギィィヤアアアアアアアアアアアアア!!?」

 唖然とするベルを抱えた剣士が、大通りの脇の路地裏を指差す。そこには、投擲された剣に脚を貫かれ、転げ回って泣き叫ぶ男性が一人。ベルが落ち着いて一人で立てるようになったのを見計らって、剣士は男性のもとまでに詰め寄った。

「説明してもらおうかな。お前は一体、どういう了見でベルちゃんを襲ったんだ」

 男の出で立ちは、黒いローブを羽織った下に黄色いスーツとサングラスという、魔族の街の中では極めて異質なものだった。しかも見たところ角がなく、魔族ではないことも明らかだ。

「フン! 貴様に説明する義理はガアアアア!? や、やめろ! やめて下さい! 説明しますぅぅ!」

 剣士が彼の太股の辺りに刺さった剣をグニグニと動かすと、男は大人しく説明を始めた。

「俺達“奴隷会”は……ある日の失敗を境に、雇い主に見放されちまった! だが人攫いなんてやってたら、他に食い扶持もなくて……魔族好きの好事家からの依頼で、でけぇ金が手に入るってなモンで……」

「ベルを攫おうとしたってワケか。それはまあ……自業自得だな」

「あぁ。金払いの良い主に慣れると、まともな仕事なんてできなくなっちまう……これからは真面目に働くよ……」

「本当だな?」

 グニ。

「痛ァァァァァァ!! ほほ、本当だよぉ! 奴隷会の仲間とも縁を切る! だから許してくれェ!」

「…………いいだろう。それ、よっ!」

 剣士は元奴隷会の男の太股に刺さる剣を勢い良く引き抜いて、腰元の鞘に収めた。

「アヒィァアアアアアアア!! 優しく! もっと優しくゥ!」

「それくらい罰と思って我慢しろ。俺はこれで行くが……ん?」

 踵を返そうとした剣士が、男に駆け寄るベルの姿を見て首を傾げる。彼女は剣を抜いた男の傷口に手をかざすと、目を瞑って手から暖かな光を放つ。

「何を……いや、これは……治癒魔術か? 待ってくれ。俺は治療費なんて……」

「いりません」

「じゃあ何でだ? 俺はアンタを売り飛ばそうとしたんだぞ……?」

 男は怪訝な表情で、自身に治癒魔法をかけるベルを見る。脂汗を額に垂らすその顔には、驚きと恐怖と安堵、様々な感情がないまぜになっていた。

「でも、これからいい人になるんですよね……? だったら……いい人は、助けなきゃ……」

(…………)

 人間の悪党を助けるサキュバスの姿に、黒い鎧の剣士は複雑な感情を抱いた。

「うぐ……お、俺は……これからは心を入れ替えるよ……ありがとな、サキュバスの嬢ちゃん……じゃあ、俺はこれで……」

「さよならおじさん! 人間だってバレないよう気を付けて下さいね!」

 黄色いスーツの男が立ち上がって、申し訳無さそうにベルと剣士に手を振りながら去っていく。それを見送るベルの顔は満面の笑みで、それを見た剣士の悪感情が全て霧散する。

「さっきはありがとうございました! でも、何で見ず知らずの私を助けてくれたんですか……?」

「それは……アンタが困ってて、俺にそれをなんとかする力があったからだ」

 男は兜の奥からくぐもった声で、ぎこちなくベルの質問に答えた。フルフェイスのせいか、その感情はまるで読めない。

「さっき聞いたでしょうけどわたし、ベルです! よかったら、あなたの名前も教えて下さい!」

 立ち去ろうとする彼に、追い縋るようにベルは叫ぶ。すると黒い剣士は振り返ってフェイスガードを上げて、素顔を見せてくれた。

「俺の名前は…………実はアンタを助けた理由は、もう一つあるんだ」

「その理由って、何なんですか?」

「同じ名前の女の子を一人、知ってたんだ。君みたいに優しくて、小さくて可愛い子。 ……変な理由でごめん。それじゃな!」

「あう……さよなら、レスク、さん…………」

 爽やかな笑顔で手を振って去る背中を見送ったベルの目には、なぜか涙が溜まっていた。頭痛はするし、人間を助けたことといい、今日の自分はどうしてしまったのだろうか。久々に兄に会ったせいで調子が狂っているのかもしれない。

「くっ! この頭痛は……いけません。早く何とかしなきゃ……」

「ベル様ー!」

「探したッスよ!」

 聞き慣れた魔族達の声を聞いて、ベルは安心感を覚えた。ファダリとダジが迎えに来てくれたようだ。

「あっ、皆さん! ごめんなさーい! わたし、道に迷っちゃってましたー!」

「いやいや、無事で何よりッスよ」

「帰り道の護衛は任せるゲラ!」

「あっはは……頼りにしてますよ」

「いざという時はオレの背後に隠れるッスよ。ダジじゃ隠し切れないんで」

「ムッキー! しゃがんでもらったらなんとか隠れてもらえるッスよ! さ、試してみるッス!」

「いやです……」

 二人の顔を見て言葉を交わす内に、頭痛はいつの間にか無くなっていた。



「おーいレスク。こっちは見つかったぞ。路地裏で全裸で果ててやがった」

「こっちも見つかったよゼズ。指をって首もムチウチで酷い有様だったよ」

 ゼズとレスクは、アスモデの出口に人一人を抱えて集合していた。傍らに繋がれた二頭の馬のリードを外して、その背中にぐったりした体を一体ずつ乗せる。

「てめーは女の子と同乗か。いいよナァ勇者サマは役得で」

「いやいや、この組み合わせじゃないとこっちが重くなりすぎるんだよ。お前の馬は魔物だから、男二人でも余裕だし、お前自身半分魔物で重いし……」

「別に文句言ったわけじゃねぇさ安心しな。 ……行くぞ、バイコーン」

 ゼズの呼びかけに応えるように、バイコーンと呼ばれた黒い馬が獰猛にいななく。ゼズが彼に跨るのに続いて、レスクも自分の馬に跨る。後ろに載せられてる少年少女が軽装なのに対し、二人とも結構な重装備で馬に跨っている。

 少々心配になりつつも、二頭とも鼻息荒く張り切っている。もう夜遅い時間だというのに。

「で、行き先はあそこでいいのか?」

「あぁ。俺には確かめなきゃならねぇことがあるからな」

 そう言ってレスクが指差したのは、ここから遙か遠くにそびえ立つ黒き城。数ヶ月前には小さな集落だった場所に今それが建っていることが意味することは、彼にも心当たりがある。

「魔王の力を受け継いだアイツが今どうしているのか。この目で見る責任が、俺にはあるんだ」

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