胎動編
第08話 異邦の少女達 前編
不思議な出来事があった。
なんと、白昼にも関わらず流星のような光の目撃情報が数件あった。白昼流星と呼ばれたその現象の数は十にも満たないが、魔力の帯びてない奇妙な光には誰もが驚愕した。
その中の一つは首都アルナ・マグスへと降った。気が付いた新米兵士ミーシュが光の降った場所へ行くと、一人の少女が倒れていた。
名をナギサ。黒髪と柴色の瞳は、東方の里の民によく表れる特徴だ。なので初めて彼女を見た時、ミーシュは東方の出身かと訊いた。しかし彼女はこの世界にない都市の名前を口にしたのだ。
彼女は今、首都に保護された時に検出された高い魔力反応を見込まれ、魔法剣士としての修業をミーシュと共に重ねていたのである。赤みがかった短い黒髪とイレーネのような軽装の鎧は、周囲に活発な印象を与える。
「光の目撃情報は、他にもいくつかあったのよね? だったら私の他にも、同じ世界からやってきた方がいるのかな?」
城の中庭で素振りの稽古をしている時、ふとナギサが呟く。それに反応したミーシュは何かを考えるように空を見上げたが、大した応えは浮かばない。
「……まあそれは、いるんじゃないかなぁ?」
釣られるように手を止めて、空を見上げるナギサ。その視界の端に、奇妙なものが映る。
「ねぇミーシュ……この世界の流れ星って、昼にも降るの?」
「はっはっは! 何を言ってるんだよナギサそんなわけ……あぁ――――――ッッ!?」
彼女の見たものこそ、白昼流星と呼ばれた現象そのもの。見ようと思わなければ見えないほど遠くで起こっていたが、ナギサは偶然その第一発見者となった。
「あの現象は、ナギサの時と同じ……あそこに誰かいるかもしれない!」
あそこまで行けば同郷の人間と会えるかも、と喜んだのも束の間。ナギサが見たミーシュの目は、憔悴と動揺に見開かれている。冷や汗までかいて、一体何事なのだろうか。
「あの位置はまずい……」
「えっ!? 一体、何だって言うのよ!」
「あそこには、この間乗っ取られたバルバスの街が……あわわ慌てずに、い、いいい急いで、隊長にほほ報告するんだ!」
言っている本人が最も慌てている様子だが、ナギサも事態の重さをすぐに理解して一緒に城内へ駆けていった。
▼
王都から遥か北東の街、バルバス。その周りは今や鬱蒼と生い茂る魔族由来の植物に覆われており、大気中の魔力の多さもあって禍々しい。
だがこれが魔族や魔物や亜人、つまり普通の人間以外には過ごしやすい環境なのだ。そしてその環境に今、一つの異物が混入した。
「ここは……どこなの?」
水兵服のような上着と黒く短いスカートに身を包む、青みがかった短い黒髪の人間の少女が、森の中を不安そうに歩いている。
不安を煽るかのように周囲の草木がガサガサと揺れ動き、彼女は反射的に小さな悲鳴を上げながら飛び退く。
「ひっ!? な、何なの……もうやだ……帰りたい……」
「クキィィィィ!!」
「びゃあああああ!!?」
涙目になっていたところで甲高い鳴き声が響き渡り、尻餅を突いて思い切り叫んでしまった。
ただでさえ不気味な森の中で、明らかに人間のものでない鳴き声を聞いてしまっては、普通の少女が怯えるのは当然のこと。
鳴き声の主が草葉の影から飛び出す! 毒々しい色の羽毛の大きなダチョウのような魔物が三匹、ギョロギョロと血走った目で少女を見詰める。
「あ、ああぁぁぁ…………」
弱々しい声を上げながら、少女は腰を抜かしたまま後退る。その背中が木に辺り、白い肌が絶望の色に染まっていく。
鳥型の魔物が長い首をくねらせながら少女の元へドタドタと勢い良く駆けていき、最早これまでと少女が目を瞑った瞬間。
「めっ!」
謎の声とともにベチン、という音が三度、森の中に響き渡った。それを聞いてから魔物の気配がなくなり、少女は恐る恐る眼を開く。
「まったくもう! ダメじゃないですか、無闇に人を襲ったりしたら!」
「あ、あの……あなたは……」
少女の目の前に魔物の姿はなく、そこには素肌の上に黒いボンテージスーツという扇情的な格好をした女性が一人立っていただけであった。
相手の見た目は明らかに自分と同じくらいで背も変わらないのだが、身に纏う雰囲気と、ややアンバランスに豊満な乳房の露出がそれを感じさせない。
それをゆさゆさと揺らしながら近付いてくる様に少し圧倒され、まだ立ち上がれないでいる少女に、彼女は子供っぽい笑みで微笑む。
「怪我はないですか? わたしはベルといいます。この森のことはよく知っていますから、安心して下さい」
「え、あっ……はい。ありがとう、ございます…………助けて頂いて。私の名前はヒナコです」
「いえいえ~。気にしないで下さいヒナコさん。綺麗な人間の女の子が襲われるのは、この辺じゃよくあることなんですよぉ」
それではあなたも危ないのでは、と思ったがなんとなく大丈夫そうなので言わないことにした。人間、とわざわざ言ったのも気になるが、質問する精神的余裕も今はない。
「そ、それよりここ……どこなんですか? 私の家は、一体……」
「ここ? ここはバルバスの街の周りの森ですよー。あなたも、ここじゃ見ない格好してますよねぇ。どこの水兵さんなんですか?」
「水兵じゃないですし、バルバスというのも……聞いたことがないです」
ヒナコと名乗った少女が首を横に振りながら眉尻を下げるのを見て、ベルが長手袋に包まれた手でその頭を撫でる。
「まあまあ、とりあえず落ち着いて……まずは街へ行きましょう。ここよりは安全なはずですよ。はい、これを付けて」
「んっ……これは?」
撫でる手を止めて渡されたものは、羊のような二本角の髪飾りであった。バルバスは魔族や亜人の街なので、人間が入ると何かと揉めてしまうため、これを付けろと言うのだ。
「マ、マゾク……? それって魔族……悪魔、みたいなものですか?」
「うーん……確かに悪魔に属する存在もいますし、そんなようなものですね」
その言葉に、ただの人間でしかないヒナコは、何かを察したようにベルの頭を見る。さらさらとした薄紫のロングヘアの上には、ねじ曲がった角が左右対称に生えていた。
「わたしも魔族ですが、人間のことは理解していますから、安心して下さいね! それじゃあ行きましょう」
迷いながらも他に縋るものもなく、ここで一人で歩くのは当然危険だと先程思い知った。今のヒナコに、ベルに付いていく以外の選択肢は存在しない。
ベルが先程から見せる人懐っこい笑みに悪意は感じられず、魔族だからと逃げ出したくなる相手ではない。それでもやはり不安は拭えなかったヒナコ。
ゆっくりと彼女の背中を追いかけ、森を抜けると、そこには確かに街があった。高い建物もあれば、人の営みが感じられる賑いの声も聞こえてくる。
「ここはバルバスの街です! そしてあのバルバスの塔は、私達のアジトみたいなものです!」
ようやく落ち着けると思いフゥと溜め息を吐いたヒナコの頭には、既に例の髪飾りが着けられていた。
「ようベルちゃん! 今日も相変わらずいい乳してんなァ! そのコは新入りかぁ?」
「ひっ……!?」
二人の少女を舐めるように見てきたのは、大柄な筋肉質の半裸の男性。ただし肌の色は赤く角も生えているオーガという種族だったが。
「ちょっとちょっとダメですよ! このコはわたしが最初に目をつけたんですからね!」
「取りゃしねぇって……しかし珍しい格好だなぁ。ドコの娘だ?」
「えっと、その……」
「さぁーて行きますよヒナコさん! 目指すはみんながいる塔です!」
なんとかオーガの男を振りきって、ベル達は街の奥へ奥へと進んでいく。しかしその後も多くの亜人がこちらを見ていた。
先程のオーガだけでなく、豚の手足を発達させ立たせたような者、痩せぎすな緑色の肌の者、比較的人間に近いのは浅黒い肌に尖った耳の者。人間と大差ない者は魔族だろう。
集まる視線はベルの刺激的な胸部へのものか、浮いた格好をしている自分へのものか。見ればここにいる魔族達の姿はどちらかと言えば黒基調で艶やかな服が多い。
何も恥ずかしくないはずなのに、自分の方が肌の露出は圧倒的に少ないのに、周囲との違いというものはこんなにも自分を恥ずかしくするものなのか。
「ここですよ!」
着いたのは黒塗りで堅牢な造りの高い建物であった。砦といってもいいほど無骨なそれは、ただでさえ異質さを感じる人ならざる者だらけの街で一際目立っている。
重そうな扉を軽々と開けて入ったベルに続くと、再び視線の嵐に見舞われる――ことはなかった。
外の騒々しさが嘘のように、そこでは静寂が広がっていた。光沢を帯びた真っ黒な石床が一面あるだけの広間だろう。いくつかドアがあるが、そこからも人の気配は感じない。
「上にこの街をまとめてる幹部がいるので、ご挨拶しましょうねぇ~」
「……あ、はい」
気後れしつつもなんとか返事を返すヒナコ。人外の跋扈する街のトップと会うという難問を前に早くも逃げ出したくなるが、その先に未来は見えない。
ベルのように穏やかな相手であることを祈りながら、その背中を追いかけて廊下を抜け、廊下の最奥の行き止まりに着く。階段らしきものがないが、どうやって上がるのだろうか。
そう思って辺りを見回すと、床に刻まれたいくつもの文字が目に入る。半径二メートル程度の円の中の六芒星に刻まれているのは、今まで見たことがない文字だ。
「この魔法陣の中に入って下さいね。 ……ってヒナコさんは人間でしたよね。わたしの手を掴んで下さい」
「はい……これ、何なんですか?」
「魔術によってルーンを刻んで、同じ魔法陣がある場所に転移するんです。移動先は指定できるので便利なんですよ~防犯にもなりますし」
ここにいる魔族達や森で何度か出くわした魔物、そしてこの魔術といったものとは、ヒナコは今まで無縁の生活を送ってきた。
もうここが自分のいた世界とは違うということは充分思い知ったが、それでも一つ一つの出来事に驚きを隠せない。
いつの間にか魔法陣が薄紫に光り、その光に自分の体も包まれていく。激しい光に包まれ目を瞑り、それが止んだ頃にはいつの間にか別の場所に立っていた。
「すごい……」
「むふふーっ! この魔法陣、わたしが書いたんですよ~! 全部で一ヶ月かかっちゃいましたけど、十階分ですよ。これでも早い方なんですからね!」
「あはは……すごいですね……」
凄さの基準がわからないが凄いということだけはわかるので、とりあえず笑うしかなかった。尤も、この状況の中で心から笑える余裕をヒナコは持ち合わせていなかったが。
置いてけぼりになりそうな自分の手を優しく引っ張って、ベルは五メートル程度の大きな扉の前まで歩いていく。ここが最上階のようで、この十階にはこの部屋しかないらしい。
やはり黒塗りの金属製で重そうだったが、扉は独りでに開き、中から「入れ」という女性の声が聞こえてきた。二人が足を踏み入れた途端、背後で扉は再び独りでに閉じる。
「ナハトさーん、人間拾ってきましたー! 森に迷い込んだみたいですよー!」
誰も居ない玉座に向かってそう叫ぶベル。何事かと思ったが、次の瞬間上から激しい羽ばたきの音が聞こえてきた。ズンと音を立てて降り立つのは、背が高く凛とした女性だ。
だが勿論ただの女性ではない。四肢の関節の先が竜のように太く筋骨隆々で、黒い鎧のような鱗に包まれているし鋭く紅い爪も生えている。
蛇腹が弧を描く尻尾も太く、長い角も相まって竜に関係する種族だと一目でわかる。それでいて生身の人間と同じ部分は筋肉で引き締まっているものの女性らしさを失っていない。
野性味のある背中に広がった長い赤髪も、伸びに伸びて床に届きそうな程だが決して髪質が悪いわけではなく、むしろ清潔である。
ベルを上回る大きな乳房や肉感的な腰回りも僅かな鱗が局部を隠すのみだが、身に纏う気迫と野性味故か下品には見えない。
ナハトと呼ばれた黒き龍の如し街の頭領は、切れ長の紅い瞳でヒナコを一瞥し、つまらなそうに溜め息を吐く。
「何事かと思えば……下らぬ種族の話か。捨て置け……」
「でもでも、この前戦った王国の騎士さんのこと、褒めてたじゃないですか―!」
「あれは別だ。我とてお前と同じく、人間全てを十把一絡げに憎んでいるわけではない。だが……その娘は、信用に足るのか?」
鋭い眼光に睨まれ、竦み上がってベルの後ろに隠れるヒナコ。呆れ顔のベルが咎めるように両手を腰に当てて話し始める。
悪魔の髪飾りを与えたのに自分からヒナコを人間だと明かしたということは、ベルはナハトを誤魔化すことは考えていなかったのだろう。それ以前に通じないだろうが。
「おカタいですよナハトさん。それにその気になれば、私達のように“こっち側”に染めることもできるんですから、言いっこなしです」
「…………まあ良い。主の信じる貴様を信じてやろう。ひとまず様子見だ」
何か恐ろしいことをさらっと言われた気がしたが、深く追求はしないことにした。
「娘。名は何と言う」
「ヒッ!? ……ヒ、ヒナコです」
「ヒヒヒナコか。奇妙な名だ」
「ヒナコですって……」
震え声で訂正してナハトと目を合わせると、先程までのヒナコへの刺すような視線が和らぎ、憐れむような目で見られた。
「そうか。ヒナコよ……人間である貴様がここに来たからには、振る舞いには注意することだな。だが我々魔族に害をもたらさぬなら悪いようにはせぬ」
「は、はいっ!」
「だが特別扱いはせぬぞ。取って食われぬだけでも有難く思え。その淫魔の優しさに感謝するのだな……」
「わかりました!」
黒龍の魔族は静かに、迷い込んだ少女へ警告する。思わず背筋をピンと伸ばして返事をした彼女の胸中では、言い知れぬ不安が拭えなかった。
ひとまず滞在は許されたので二人はナハトの部屋を後にして魔法陣へ向かう。次に転移した階はすぐ下の九階。ここにベルの部屋があるという。
だが彼女は自室に向かわず、迷わず奥の物置へと向かった。困惑しながら付いていくヒナコが見たのは、禍々しい武具や鎧の数々。
「その服ではここじゃ目立ちますからねぇ~……魔族らしい服装の方がいいですよねぇ」
ベルの言葉を聞いたヒナコが、彼女の服装を上から下まで見る。そしてそれを自分が着た姿を想像して、それだけで顔が真っ赤になった。
「どうしたんです?」
「い、いえ! その……やっぱり私も、ベルさんみたいな……」
頭から湯気が出そうなヒナコを見たベルが不思議そうな顔で彼女を見ていたが、やがてはっと思い至ってクスクスと笑う。
「プッ……だ、大丈夫ですよ。魔族は羞恥心が他より薄くて体型も多少自由が効くのでこんなですけど、ヒナコさんにサキュバスの服は着せませんって。流石に」
むしろ私くらいじゃなきゃ似合いませんから、などと冗談めかして言ったベルだが、その振る舞いには己の容姿への確かな自信が感じられる。
ヒナコはあまり前に出るのが得意なタイプではなかったため、少々羨ましく思った。
「ですがやはり魔族に混じるので、覚悟はしてもらいますよ~! それと今回は特別に、戦える力をあげます!」
「た、戦う力ですか? 私が?」
「当然です! 魔族としてここにいる以上、生活の術は必要になりますからね。それに……さっきみたいに襲われた時、自分を守れた方がいいですよね?」
「は、はぁ……」
言っている事は尤もだ。自衛の手段もこの世界では確かに必要になりそうだ。だが、上手いこと言いくるめられている気もする。
「どこでしたかねぇ……ここかなぁ……」
暗い倉庫の奥にある棚を、ゴソゴソと物色するベル。一体どんな衣装が来るのか、期待半分不安半分で待つヒナコ。
だが疑念を持っていても何もできないので、ひとまずここは大人しくベルの言うことを聞くことにした。戦う力というものにも、少しだけ好奇心があった。
先程の魔法陣を見たお陰だろう。自分もああいった魔法と関わって、人の身にありながら不思議な力を使えるのかもしれない。そう考えれば、悪くない。
「ありましたー! 早速試着しましょうヒナコさぁ~んっ!」
そわそわしていると、いきなりベルが駆け寄ってきて首元に手を回してきた。顔が近くまで来てその美貌が間近になり、柔らかく大きな感触が自分の胸の上に被さり圧倒される。
同姓なのに少しだけ胸の鼓動が早くなるのはその美貌故か、魔族としての魅力なのか。ヒナコの顔がまた紅潮した。
「このペンダントにした魔石の中に、“魔装”が入ってます。『魔装展開』と言えば勝手に衣装が変わりますから、便利ですよ」
そう言われはしたものの、はいそうですかと簡単に行えるものではない。元の世界の創作物でよく見たような変身場面を彷彿とさせる行為は、割りと恥ずかしいものだ。
まだ変身してどんな衣装になるかも知らない不安もある。だが着てみなければなんとも言えないので、とりあえず従うことにした。
「ま……まそーてんかい…………ひゃうっ!?」
口にした途端、全身に稲妻のような感覚が駆け巡る。不快ではないが、思わず声を上げてしまうようなくすぐったい感触が。
次の瞬間、丸い手のひら大の魔石から黒く邪悪な光が迸り、彼女の体の首下からつま先までをくまなく包む。
「あ、あぁっ……んあぁ!?」
光は液体のようなぬめりを伴い、水兵のような制服の内側へ侵入し、更に下着の内側へ入り込んで、敏感な部分を刺激する。
そこから液体は硬質化し、尖りを伴って服を破いていく。愉しむように少しずつ、少しずつ。
布片がはらりと落ちるごとに液体がまとわりつく面積は増えていく。袖は今や完全に覆い尽くして手袋のように貼り付いている。
脚も完全に覆われ、どんな形になろうか悩むかのように黒い液体がボコボコと形を変えながら太腿を移動していた。
「いやっ……あ、あぁぁぁ!」
紅潮した頬にまで黒い液体が進み、ぺたぺたと面白がるかのようにあちこち顔を触られたヒナコ。
やがて服の全てが布片と化すと、急速に液体の硬質化が進む。全身に獣の骨のような蛇腹を描いた鎧が形成されていくのだ。
手足は指先まで完全に覆われたが、胸や尻は未だに液体に弄ばれている。だがそれも大人しくなり、肩には横幅が広く突起の目立つ鎧が装着された。
腰鎧も足元に届くほど長く、肩甲骨の中心からは百足のように刺々しい蛇腹骨のような装飾が垂れ下がる。
「ひゃあぁぁぁ!?」
形のいい乳房が剥き出しになったところを、竜の指先のような爪が掴む。その掴んだ状態が、そのまま鎧となったようだ。
初めての感覚に喘ぐ彼女の頭を黒い液体が包む。それが竜の頭を象った黒い骨兜へと変形して彼女の顔の鼻から上を隠す。
「あ、あぁぁぁ……」
全ての変化を終え、邪悪な威容の鎧に身を包んだヒナコを見て、ベルは手を合わせて喜んだ。
「見違えました! かっこいいですよヒナコ! さあさ、鏡を御覧下さい!」
未だに奇妙な感覚が残る中、ヒナコはガシャリと音を立てて倉庫の鏡まで歩いて行く。ベルが魔法で明かりを作ると、その全容がはっきりと見えた。
そこには最早、自分の知る自分がいなかった。全身骸のような黒い鎧に包まれ、やはり露出度は高く、顔は竜骨に隠れている。
露出した女性の肢体と兜から出た短い黒髪を見なければ、そこに誰が映っているかもわからなかっただろう。
「そ、そそそそんな! 私、こ……こんな!」
驚きで反応が遅れたが、その顔が再び赤く染まる。咄嗟に胸元を竜のような腕で隠し、腰元も隠すため足を曲げたヒナコ。
禍々しい姿に不似合いな初々しい反応を見てにんまり笑うベルが、まあまあとその腕を退かす。
「武器も胸の魔石から出てきますからね。手をかざすだけでいいです」
そう言われて確認すると、いつの間にか魔石は鎧に埋め込まれる形になっていた。そこに手をかざしてから腕を前に突き出すと、そこに長物が掴まれた。
黒く長い槍の刃の横に、斧のような肉厚の刃を付けた、所謂ハルバードアクスである。明らかに重そうだが、今の自分の腕では軽々と振り回せる。
ベル曰く、この状態ならば身体能力から魔力まで大きく強化されているらしい。何も出来ないただの人間だったヒナコからすれば、有り難い話だ。
だがヒナコは少し落胆していた。こんな破廉恥な鎧で長物を振り回すのは、自分の思い描いていたイメージとは違う。
長い帽子を被った魔女のようなイメージを所望したが、ベル曰く魔術には修練や高い魔力が必須で自分も勉強中だという。
この鎧のようにお手軽に強くなれる手段は当然ながら非常に稀なため、これ以上の待遇はないとまで言われては、他の選択肢は選べなかった。
「当面はその鎧を付けて、私の護衛として暗黒騎士ベルディアと名乗ること! いいですね!」
「は、はい……わかりました」
少なくとも外ではずっとこの姿で過ごすことになるのかと思うと、気が重い。ヒナコは自分の鋭く尖った指先を見詰め、渋々承諾した。
だがその途端ベルがくぅ~っと声を上げて喜んでいた。自分の名を加えた騎士が部下になるのがやたらと嬉しいようである。
「はぁ~……お姉様と離れてからヤなこと続きでしたが、まさか専任の騎士ができるなんて……あっ、ごめん! まだ完全になるって決めたわけじゃないよね!」
「い、いえ! これからよろしくお願いします……ベル様!」
「ベル様……ベル様……はぁぁ~ん!」
体をくねらせて喜んだベルが、そのまま自室へと入って嬌声を上げていた。自分の部屋はその隣になったが、寝ている時に変な声が聞こえてこないか心配である。
慣れない鎧姿で歩きながら、ヒナコ改めベルディアも自分の部屋へ入り、急いで施錠した。
いきなり見知らぬ土地へ来てから、運良く手に入れられた自分だけの部屋。クローゼットやランプなど最低限のものは全て備えられていて、居心地は良さそうだ。
そのベッドに寝そべりながら、ここまでの出来事を振り返った。考えてみれば、自分はとても運が良い方だろう。
ベルと出会っていなければあの時魔物に命を奪われてもおかしくなかったし、悪魔の髪飾り無く街へ入って魔族達に捕らわれてもおかしくはなかった。
それを考えれば、多少恥ずかしい格好も開放的でダークな格好良い鎧と考えられるし、ハルバードアクスも中々使いやすそうな武器に思える。なるべく鏡は見たくないが。
魔族や亜人にも理性があり、外の魔物のように見境なく襲い掛かってくるわけではない。ここは魔族の暗黒騎士として振る舞い、偉い立場にいるであろうベルに従うのが最善だ。
「ナギサ……イリナ……」
故郷で自分を探しているであろう友人達の名を呟く。今の自分を彼女達が見たら恐れるだろうか、大笑いされるだろうか。できれば後者であって欲しい。
しかし疑念が全く晴れないわけではない。ベルを信用していないわけではないが、虫が良すぎる話が続いたのも事実だ。
無償で提供されたこの鎧は、装備者の身体能力と魔力――という魔術を使うための力――を著しく強化するという破格の装備だ。知識に乏しいヒナコでも理解できるほどに。
本当に何の努力も代償もなくこのような力を得られるのだろうか。それだけの技術が用いられているのか……或いは……
「やめやめっ!」
ネガティブに陥っていた思考を打ち切り、どさりとベッドに上体を預ける。だが背中の蛇腹のせいか上手く寝そべれない。
「……魔装解除」
胸の魔石に手をかざして言った言葉に反応し、全身が光に包まれる。瞬時に全ての鎧が消え、ハルバードも光の粒子となって霧散する。
残念ながらやはり、元々着ていた制服は復元されない。一糸まとわぬ姿となった彼女の体に、どっと疲れが舞い込んだ。これも身体強化の影響だろうか。
「帰りたいよぉ…………パパ……ママ……」
ベッドに横になって毛布を被る。一人で落ち着ける状況になった途端、自分は今孤独なんだという認識が強まり、涙が溢れだす。
故郷に思いを馳せながら、ゆっくりと意識が沈んでいく。
その夜見た夢は、この世界に来る直前の思い出。友人同士で集まって旅行していた時の光景だった。
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