第07話 転機
「報告は以上になります。社長」
派手なクッションが多い執務室の中、入口前に立つスーツ姿の屈強な男が背筋を伸ばしながらそう言った。
彼の眼前にいるのは、高級な材質の机に脚をかけた華奢な少女。男と少女は共に黒基調の服装であり、室内には妖しい雰囲気が漂っている。
少女はロールのかかった二房の金髪を揺らしながら脚を組み替え、目を細めながら男を見ると、溜め息を吐きながら頭を振った。
「“奴隷会”は任務に失敗、アジトも会員ごと魔物に襲われ壊滅……ねぇ」
「彼奴らの処遇……如何致しますか?」
「この蛇尾(サーペント・テール)社に、“奴隷会”なんて部署はなかった。いいわね?」
「は」
無感情に言い放った“社長”の言葉に、男は一切の動揺を見せず頷いた。まるでいつものことだと言わんばかりの冷静さである。
「今後“奴隷会”を名乗る者を見つけたら内々に処理しておきなさい。我が会に泥を塗る可能性があるからね」
「…………では、失礼しました」
それだけ言って社長は椅子を半回転させ窓を見る。「話はもう終わりだ」という合図がわかった男はすぐさま退出した。
一人になった少女は椅子を戻し、頬杖を突きながら一枚の羊皮紙に目を通す。“奴隷会”の周りの出来事を記録した報告書だ。
最初はやる気の無さそうだった顔が徐々に訝しげな表情を作って、彗眼が好奇心に輝く。
「“魔物”ってのが……どうも引っかかるわねぇ」
無かったことにした、と言いつつも調べることは止めない。彼女はとことん現金な少女であった。
普通に考えれば、龍人族の神子もそれに巻き込まれて死んだのだろう。だが、もう一つの目撃情報では“逃げられた”とある。
場所も時系列もバラバラな情報が混乱を招いているだけなのか、他の意思がどこかで働いているのか。
「…………くだらないわね」
運命的なものを感じたのもすぐに忘れ、社長はすぐさま別の書類に目を通した。その時、彼女の目があるものに惹かれた。消えかかった光が、再び灯る。
薄く微笑みながら口にする言葉。溢れる吐息には、陶酔するような響きがあった。ただのゴシップレベルの記事に、なぜか惹かれるものがあったのだ。
「“魔王の魔力”ね……面白そ……」
▼
「ぐはっ!? つ、強い……!」
夜の首都の宿屋。その入口には前に赤い鎧の剣士が倒れ、首に黒い刃を突きつけられていた。
剣士の姿を見下ろすのもまた、剣を手にした黒い鎧の女性であった。彼女の視線は冷たく、赤い剣士をまるで人として見ていない。
「……貴様らと事を構えるつもりはない。去れ」
「そ、そうはいきません! 疑いがある以上、見逃せない!」
「ならば死ね」
言って、黒い魔剣士アリアが剣を握る右手に力を込める。剣士の首に一筋の赤い線が伝う。
近づいた自分の死に焦り、剣士は武器を持つ手から力を抜く。ガシャリと落ちた二振りの剣の柄も、ご丁寧なことに赤色だった。
「わ、わかりました! ここは……大人しく退きましょう!」
「臆したか。私は臆病な人間が嫌いだ」
アリアは剣を引いた代わりに、倒れた剣士の体を蹴り上げた。重い鎧を着けていたはずの彼女の体が宙に舞う。
剣を持たぬ左手で兜を鷲掴みにして、めり込むような勢いで石畳に叩きつける。
「臆病者は死ねェェェッ!」
「んなああぁぁ!?」
そのまま何度も何度も、剣士の頭は脳震盪を起こすような激突を繰り返す。
兜に着けられた羽のような装飾がひしゃげ、輝く赤は土煙と傷によって錆びたような色合いになってしまった。
彼女にそうさせるアリアの顔には笑みすら浮かんでおり、兜を掴む手には一切の躊躇が見えない。
「なっ……あっ……やめ、やめて……ください……」
「これで忘れたか? ……まだ意識があるようだな。せっ!」
「痛ぁぁぁぁぁぁ!!」
枯れたような悲鳴と共に、彼女は血を吐いた。その口から懇願の声が漏れ、震える手をアリアに向けて伸ばしている。
「許して……許してぇぇ!」
「ダメだ。貴様が関わったのが悪い……フン!」
「ゴフッ! あ、あぁぁ……どうして、私がこんな……!」
「しぶといな。では……最後、だッ!」
「ひぎぁあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
アリアはより勢いをつけて、高い位置から彼女の頭をぶつけさせた。ここまでしたら、意識が戻っても頭がおかしくなっていそうだ、などと心の中で笑いながら。
悲痛な叫びを最後に、彼女は意識を失った。アリアは魔術で布を作り、剣士の顔と地面にべったりと流れた血と涙を拭き取ってから蒸発させた。
ボロボロになった兜も直しておき、赤い剣士を路肩に寝そべらせると、その頭に手をかざして呪文を唱える。
「記憶の一部に魔術を施した。これで彼女は“いつの間にかここで寝ていた”ことになる」
「…………始めからそうすればよかったのではないですかな?」
「魔術だけの記憶改竄ではボロが出る。幸い兜のお陰で少ない外傷と大きな脳震盪を両立させられたから、あとは治癒魔術で傷を塞いでおけば良い」
そう言って傷を全て治癒し、落ちた剣も二本とも鞘に収める。これで今の彼女は、傍目にはただ眠っているようにしか見えない。
これに加え記憶にも細工をしたのだ。起きた彼女自身もそう認識するだろう。苦笑いするオルバにはそう説明した。嗜好が混じってないとは言わない。
ひとまず事を終えた。アリアはフッと息を一つ吐きながら、周囲に人影がないことを確かめて同胞達のいる街の外の草原へ向かった。
「早かったですね、お姉様! あのぉ、さっきロアさんと話してたんですけどぉ」
「魔王様、いずれ次期魔王になる貴方と、共に行きたい場所があります」
無邪気な顔で無邪気でない胸を揺らしながら、ベルが顔を出してきた。その話に割り込むようにして、一行に新たに加わったロアが真剣な顔を出す。
表情に出さない圧力を感じてか、ベルがそそくさと奥に引っ込んで、いつもの鎧姿のアリアと人間態のロアが二人向かい合う形になる
「私はそこまで魔王の座に固執してはいない。呼び方も態度も、仰々しいのは止せ」
熱く芯の通った眼差しから眩しがるように目を背け、アリアが疲れたような声で返す。
そこから概ね意図を察したのか、張り詰めていた彼女の周りの空気が弛緩する。
「あらそう? これでも結構緩めだったつもりなのだけれど」
「それで、行きたい場所とは何処だ?」
飄々とした態度のロアに合わせて何気ない調子で訊いたアリアだったが、その反応は意外にも深刻そうなものだった。
彼女の表情には憂いや諦観といったような、どうしようもない思いが溢れていたのである。
「簡単に言えば僻地に追いやられた魔族達の巣、かしらね」
言葉を聞いた瞬間、アリアの脳裏には痛ましい光景が浮かび上がった。魔族や亜人達が人間に蹂躙され、住処を追われている。
瞼の裏に焼きつくような壮絶さを持つそれは、彼女の胸の奥底に波紋を起こす。眠っていた記憶が少しだけ蘇ったらしい。
自分が訪れたことがあるそこは、恐らくソロネモの街からそう遠くない集落だった。武功を急ぐ戦士達が我先に雪崩れ込んだそこは、今や廃村となっている。
そこまでは思い出せた。だがその後の記憶は曖昧に途切れている。煮え切らない上に頭痛までするので、苛立ちばかり募る。
「教えてくれロア……その巣は一体どこにある?」
切れ長の赤い瞳に見詰められ、ロアは自分の胸が早鐘を打ち高鳴るのを自覚した。感じたことのない感覚に戸惑うも、冷静にそれを理解しようとする。
アリアの表情は真剣そのもので、おそらくはそれに揺さぶられているのだろう。王立図書館で見た恋愛小説で描写される恋慕の情ともまた違う。
この時期魔王は、恐らく自分が今まで見てきた魔族とはまるで違う。初代魔王と比べてもなお異質な魅力を放っているのだ。まだ完全に覚醒していないというのに。
「こ、ここから西に真っ直ぐ行けば、着くわ……」
「そうか。ならばすぐ行こう。皆、やり残したことなどないな?」
三人と一羽の同胞を見回して確認するアリアに、それぞれが迷わず頷いた。魔王の魔力をロアから貰えば、アリアとしては王都に用などない。
ふんぞり返っている王族達に一泡吹かせるのも面白いと思ったが、今は軽はずみな行動をするべきではない。人間の卑劣さと恐さは、なぜか脳裏に刻まれているのだ。
「それでは行きますぞ! クエールッ! クエールルル!」
独特な鳴き声を放つオルバを傍らに、魔族四人が羽ばたく。一つは標準的な魔族の翼。一つは細くしなやかな淫魔の翼。一つは大きく力強い龍の翼。
そして八枚を扇状に重ねる未来の魔王の翼。全て独自の特徴を持っており、はためき方もやや異なる。
まだ安定した飛行が難しいベルに気を配りながら、一時間ほどかけて飛んだ彼女達。そこで祭壇のようなものが眼下に見えた。
松明で照らされた祭壇の周辺には、ゴブリンとオークが輪を作っている。アリアはロアに目配せして、集落の入口まで降り立った。
巨人族も通れそうな高く幅広の扉の前には、二人の門番をする男がいる。彼らはアリア達を見るなり、長い槍を交差させてその歩みを阻んだ。
片方は緑色の肌の痩身、ゴブリン。もう一人は豚を二本足で立たせて四肢を筋骨隆々な人間のものにしたような亜人、オーク。
「なにもの、だ……ゆるし、ないもの……ここ、とおせない……」
オークの門番が、辿々しい口調で言いながらアリア達を睨む。だがゴブリンの方は及び腰で、今にも逃げ出しそうだった。
「ちょ、ちょちょーっと! 失礼ですぞお二方! ワタクシの顔をお忘れですかな!?」
「アタシもいるわよ」
魔族の中で顔の通っているオルバとロアが前に出る。そしてアリアが次期魔王候補であることを説明した。
すると二人の門番は慌てた顔で槍を捨てて重々しい扉を両手で押し開ける。扉を開き終えた二人がははぁと頭を下げながら、全員を門の中へ招き入れる。
「イヤッ! もう、この男が飛んだ失礼をしました! ホラ謝んな! 申し訳ありやせんでしたぁ!」
「もうしわけ、ないだす……しつれい、しましただ……」
「よい。これからも務めを果たせ」
「ははぁ!」
労いの言葉を与えながら、ロアの先導に続く黒騎士。木の柵の裏側では、ゴブリンとオークが夜にも関わらず辺りを火で照らしながら踊りまわっていた。
不思議そうにそれを見回すベルとナハト。二人は亜人を見ることすら初めてなのだから、戸惑うのも無理はない。
ロアとオルバだけが慣れた様子で、アリアは先程から気難しそうな表情のままだ。次期魔王候補だと勝手に囃し立てられているせいだろうか。
「これは何をやっているのだ?」
「死後の魔王の魂を悼んで祭りを催しているのよ。いつか再びかつての日常を取り戻せますように……ってね」
「下らん……」
吐き捨てた彼女が、赤い瞳を細めて祭壇を見た。そこでは大柄で筋骨隆々なオークが大声を張り上げながら激しく踊っている。
すぐさまそこから目を離したアリアが、祭壇の奥へと一人で歩を進めていく。突然の行動にロアは戸惑いながらも、なぜかその歩みを止めることはできなかった。
ベルとナハトは、物珍しさからか亜人達に囲まれている為前に進むことが出来ない。振り払うわけにもいかず困った顔をしてアリアを見送る。
アリアが亜人達でごった返す広場を抜ければ、そこには独自の文化で造られた木製の家が連なっている。その一角にいた小さな影が、自分を見て路地裏に隠れた。
「どうしたんだ?」
「ひっ……!」
影を追うと、小さな影が自分を見て怯えて後退り、行き止まりの壁で追い詰められるようにうずくまった。
「ニンゲン……さん、ゆるして! なんでも、します! なんでもしますから!」
膝を抱えながらがくがくと震えているのは、浅黒い肌と薄い金髪に長い耳を生やした少年だった。ロアと似た特徴を持った彼は、恐らく幼いダークエルフだ。
自分を人間だと思って怯えている少年を見て、アリアははっとした。額の兜を取って、そこに角があることを示すと同時に、畳んでいた八枚の翼を開く。
「安心しろ少年。私は人間ではない。君を……君達を助けに来たんだよ」
努めて優しい声をかけながら微笑み、しゃがみ込んで年に目線を合わせるアリア。青ざめていた彼の顔が、不思議そうな探究心の色に染まる。
「もしかして、まおーさま?」
「ッ……」
その言葉を聞いたアリアの顔色が変わる。期待に輝き出した瞳から、思わず目線を逸らしてしまった。
「まおーさま……まおーさまなら、ママ、つれてきてくれるんでしょ? みんなそういってた!」
「……“みんな”?」
「うん! ぼくのともだちのママ、“たいせん”でみんないなくなっちゃったから……パパがそういってたの」
少年の言葉の裏にある事実――戦時中に母親達がどんな目に遭って、どうして息子達の前から去ってしまったのかなど、想像に難くない。
深い悲しみと共に、一層人間の業の深さを感じたアリア。ロア曰く、勇者が魔王を倒してからは人間からの迫害も拡大したという。
「おぉ、その神々しいお姿と力は間違いなく魔王様のもの……ついに来て下さったか」
「えっ? 魔王様!? 魔王様が来たのか!?」
子供の声を聞きつけたのだろうか。他の亜人達もどやどやと集まってくる。踊りどころではないのだろう。祭壇の周囲にできていた輪がアリアの周りに移動したかのようだ。
「お、おい……」
「どこに魔王様がいるんだ! 早く姿を現してくれ!」
「あのオンナ、まおうさまのにおいがするだす!」
「オオオォン! グオオン!」
亜人は主に魔王の魔力に気付かずきょろきょろする者、一直線にこちらへ向かってくる者に分かれている。種族はあまり関係ないらしい。
少年には感知できた辺り、単に強さだけでは感知できないものなのかもしれない。本人もこの力の特性はまだ把握し切れていないのだ。
アリアが魔王だとわかったわけではないのに、誰もが期待、或いはが懇願するような声を上げた。それだけ魔族や亜人達は困窮しているのだと誰かが言った。
「待て、待つのだ……私は魔王などでは……」
「お姉様~! 大丈夫ですかぁ!? 今そっちに行きます~!」
ベルの頼りない声が人垣の奥から聞こえ、頭上からは風を切る音がした。上から強い風が吹いてきたかと思えば亜人達が吹き飛び、その地にナハトがズシンと着地する。
「貴様等! 我等が主に気安く近づくでない! 無礼であるぞ!」
威圧的な龍の如き声がびりびりと響き渡る。赤い爪を突き出し気迫をこれでもかと誇示すると、亜人達は皆押し黙り、わらわらと後退る。
龍人族とも魔族ともつかぬ大きな体躯と威容に、亜人達は得体の知れぬ恐怖と威圧感を感じた。それだけナハトの存在感は強く濃密なものだった。
それが主と呼ぶあの女騎士は、一体どれほどの力を持っているのか。八枚の翼だけでも強さが明らかだが、恐らく本気を出せばこの集落などひとたまりもないのではないか。
期待と不安に胸を膨らませる彼らに、アリアは慎重に言葉を選びながら口を開く。
「突然の来訪、失礼した。私はアリア……魔王の力を受け継ぎし者だ」
その言葉に皆が慄き、或いは歓喜の声を上げる。今にも飛び出しそうな人波を、ナハトが傍らに立ち足止めさせる。
ベルとロアは神妙な顔で主の次の言葉を待つばかりで、オルバはその隙を見てベルの胸の谷間に入ろうとしてロアにはたき落とされた。
やがてアリアが改めて話す為に祭壇の上に上がり、その周りを同胞であるナハト達が取り囲む形となった。騎士は祭壇の上で再び声を絞り出す。
「落ち着いてくれ……私は魔王の力を多く取り込んできたが、魔王がどういったものかなど皆目知らぬ」
堂々としながらも誠実さを感じさせる言葉に、地に伏したオルバは密かに感心した。虚勢を張ったりはったりをかますような性格でないのは理解していたが、ここまで正直だとは。
「それでもお前達が望むというのなら、私は……私なりの解釈と方法で、人間達から尊厳を取り戻し、我々魔族の安息の地を共に作っていきたいと思う」
「異論のある者は、どうぞ手を挙げてお話下さい。でなければ、今後の私達を見て納得して頂ければ幸いです」
胸に手を当て話すアリアに補佐をするような立ち位置で、ロアが凛とした声を響かせる。ベルもそれに倣って背筋を伸ばしてアリアの傍らに立った。
だが誰も彼女の発言に異を唱える者はいない。これも偏にアリアの魅力故か、他に縋るものがない者達の思い故か。
「我々の目的、そのの実現の為、力を貸して欲しい! 皆、この私に付いてきてくれるか!」
真摯な眼差しで亜人達を見詰め、アリアは宣言する。それに呼応し、野太い歓声があちこちから沸き上がる。
「新魔王様、万歳!」
誰が言ったかその言葉に、誰もが続き、いつしか声は大きな波となり、新たな魔王アリアへと降り注いだ。
「恩に着る! ――我が名は魔王アリア! この大地を魔に染め上げる血を、今捧げよう!」
「うおおおおぉ! ぐっ、うおっ! し、新魔王様ぁぁぁ! あ、あな、貴方こそォォ! 我がァ、愛すべき主ィィ――――!!」
「アンタさっき先代に失礼だとか言ってたでしょうがこの手のひら返しカスが……」
突如、一際大きい声を上げた男が祭壇に駆け寄ってくる。コートの下の肌に包帯を巻いた奇妙な青髪の人型だ。その後ろで悪態をつくのは赤髪を左右二房に纏めた華奢な少女。
包帯の青年の妙な勢いに顔を引き攣らせながら、アリアが数秒遅れてなんとか反応する。
「何だ君は……オルバと同じ、元魔王の配下か」
「ホンットすみません変な男で! オラ、お前も頭下げろジャミアァ!」
「えっ、あっ……も、申し訳ないアリア様ァ! 自分は、元魔王軍幹部の黒影魔(ブラックマージ)ことジャミア! 許しがあれば、この新たな戦列に加えて頂きたく存じます!」
「アタシからもお願いします。もう身寄りがないものですから……アタシの名は赤炎蛇(フラムバイト)のシュナ。彼と共に四天王というのをやっていました」
幹部だったり四天王だったりと忙しい立場だったのだろうか。だが今の彼らは恐らく流浪の身。どことなく荒んだ風体をしているのはそのせいだろうか。
いつの間にやら復活した元魔王側近のオウムが肩に乗ってきたので、今回は振り払わずに質問する。
「……どうなのだオルバ」
「実力は保証しますぞ……実力は」
引き攣った顔と泳いだ目言い方が気になったが、実力が確かなら従軍させるのもやぶさかではない。男の方は性格に多少問題があるかもしれないが。
「まあ、良い。選り好みできる立場ではないのでな。存分に働いてもらう」
「ハッ! 有難き幸せ!」
「よろしくお願いしますアリア様」
祭壇の下で傅く二人に目をやりながら、アリアは剣を抜いて首都の方向へ向けた。
「さぁ、では早速人間達を蹂躙せよ……と言いたいところだが、如何せん戦力が足りぬ。王国には聖騎士や魔王討伐軍といった精強たる闘士が揃っている。
であれば、まずは軍備を強化するのが先だ。ここに砦を建て、散り散りになった魔族達を集めるのだ! 腕に覚えがある者はは人間達の城を奪い、勢力を広めるのだ!」
「はっ! 仰せの通りに!」
「えっ……あっ、お、おおせのとおりに~!」
「この爪も、翼も、主のものだ。好きに使うがいい……」
即座に応えたロアを見て、慌ててそれに続くベル。ナハトも穏やかな声で、二人と同じように傅いた。
亜人達も、元四天王の二人も、何一つ躊躇せずにアリアに忠誠を誓い、その思いは鬨の声となる。
今ここに、あらゆる種族を内包した新たな魔王軍が誕生した。人々はやがて知るだろう。戦いはまだ終わっていないということに。
▼
首都アルナ・マグスで勇者が帰還し、王国近衛騎士団団長であるアールドレッドが路傍で昏睡していた忙しない一夜から早数ヶ月。
国を纏める臣下達は更に焦りを増していた。新魔王軍を名乗る軍勢が各地の砦を奪い、世界情勢が一変していたからだ。
その混迷を極める世界の中で一際心を痛めていた少女は今、王城上階のテラスで空を見上げていた。
「レスク……」
彼女が名を呟いた勇者レスクは今、ここにはいない。一昨日既にゼズと二人だけで城を発ってしまったのだ。
「エルスならば、あの二人と並べたでしょうに……いえ、ここはやはり私も旅に同行を……」
「なりませんよ姫様」
そう言ってテラスに足を踏み入れたのは彼女専属の騎士、エルスロット。友人であり騎士である彼女が、リエにとって今一番の支えなのである。
「ええ。わかってますわエル。そこまでお転婆ではないつもりです。それよりも今は新魔王のことですわ。北東のバルバスの街はどうなったのですか?」
「ウランスとカイラス達が守っていた門は破られ、守護を担っていた将も力及ばず……残念ながら……」
真剣な眼差しのリエに応えるように冷静な表情を保っていた騎士。その表情は絞りだす声の最中で徐々に沈み、暗くなっていく。
「そう……彼らは無事なの?」
「私もすぐに馳せ参じ、犠牲は無に抑えました。彼らは今、医療室で安静の身です」
「……よかった。貴方の鉄壁があれば、如何なる凶刃も跳ね返せるのね」
「買い被り過ぎですよ」
互いに微笑み、沈んでいた空気が弛緩していくのを実感していた。
だがその一方で、リエは微かな不安も感じていた。かつて勇者と渡り合ったエルスが撤退を余儀なくされる相手など、想像もつかなかったのだ。
一騎当千の将でもある彼女を疲弊させる集団ではない。そこまで戦略的に重要な砦ではないからだ。ならば何故?
プライドを傷つけるかもしれないが、わからないままにもしておけない。王姫はその疑問をあるがままにエルスに問う。
「人型の龍を……見ました」
「えっ? それは、竜騎士の乗るワイバーンとも違う種族なのですか?」
「違います。あれはそんな普通のものではありません。外見は龍人族のようでもあり、それでいて魔族の性質も持っている女です」
「それは一体……まさか、邪龍族でしょうか? 文献で見たことがあります」
答えを聞き、何かに思い至ったリエンデの“邪龍族”という言葉に、微かにエルスの眉が動く。
「だとすると事態は、私の想像よりも遥かに大きい……邪龍族とは、闇の力に魅入られた龍人族のことです。アドネさんと同じように、闇に染まった龍人族がいるとするのなら……」
「まさか、あのような存在がまだ多く存在するというのですか!?」
「憶測に過ぎません。ですが覚悟しておいた方がいいでしょうね……かつての戦友が闇に魅入られたら、その時は……」
その先の言葉は言うまでもない。エルスの周りでもそういった臣下や下級騎士達の裏切りは何度かあった。その度に彼女は心を殺して剣を振ったものだ。
「ままならぬものだな……」
悔しげに俯くエルスを見て、しまったと口を抑えるリエンデ。あたふたと慌てながら周囲を見渡し、彼女が脳内で話題を探すと一つ、思い至るものがあった。
急造の笑顔で王姫はそれを騎士に伝える。
「そう言えばあの子! あの子の様子はどうですの!?」
「あぁ、あの新入りですか。彼女でしたら今は……ミーシュと共に修練の途中ですよ」
「楽しみね……あぁ、空から降ってきた女の子! 私もそんなロマンスの塊のような存在に、一度はなってみたいものですわぁぁ~!」
苦笑するエルスの横で、リエンデはレスクと話す時のような乙女の仕草で体をくねくねさせている。
「えぇ、魔王軍の復活に伴い、光を纏って降り立つ異国の少女! これはまるで、お伽話に聞く救世主……」
「こらこら。本物の勇者に失礼ですよ姫様」
「ごめんなさーい! あ、はは、あっはっは!」
リエンデの笑い声に釣られてしまうエルス。二人の笑い声の響くテラスに、新たな訪問者がやってきた。
「ほら見て! ここが城の中で一番見晴らしの良い場所なんだよ! ってうわっ!? すみませんお邪魔しましたっ!!」
引き連れた誰かにそう言いながらやってきたのは、少しだけ逞しくなった新米兵士のミーシュ。
目上の隊長と王姫に出くわし、思わず逃げ出しそうになった彼女。その肩を笑顔のエルスが怪力で掴んで離さない。
「まあまあ存分に休憩していけミーシュ。緊張することはない」
「で、でも……お二人は親密な関係なのではないですか!? 人には言えないような! ゼズ様がそう言っておりました!」
帰ってきたらまずあの男に一発食らわせようと決めつつ、エルスは新米騎士を半ば強引に用意してあった椅子に座らせる。
するとその奥、テラスの入口の方でおろおろしている別の騎士が一人。
「き、君も入ってきてよ! ボク一人じゃやっていけないよぉ!」
涙声で呼ばれた騎士を見て、リエンデが目を輝かせる。
「あなたは! 噂をすればですわね! やってきましたわよ異国の少女が……!」
恥ずかしそうに顔を背けながら、王国製の騎士鎧に身を包んだ“異国の少女”は口を開く。
「あ、あの……そういうのは、いいですから……名前で呼んで下さい、姫様」
か細く響く声を聞き、一刻の王女はにんまりと笑みを広げながら少女のもとへ駆け寄った。
「わかりましたわ! でしたら私のこともリエと呼んでください! わかりましたね?」
「は、はい……できるだけ、努力します……リエさん」
「リ・エ!」
「わかりました! リ………………リエ……」
さん付けが気に入らず頬を膨らませたリエンデが、人差し指を振りながら呼び捨てを要求してきた。
困り顔の少女は、それでも要求に応えるべく、小さな口で絞り出すように愛称を呼んだ。
その音の響きと恥をこらえる必死な姿に感極まったリエが、声にならぬ声を上げて、喜びを表現する。それでも足りず、姫は少女の両手を包み込むように握る。
「ありがとうございます! 私と貴方は、これからお友達ですよ、ナギサさん!」
長い黒髪と柴色の瞳の少女は戸惑いながらも、その手を握り返して笑って返した。
「よろしくお願いします……リエっ!」
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